ヤクザと黒魔術

スター☆にゅう・いっち

第1話

関西の裏社会で名を馳せた組の若頭・黒川は、追い詰められていた。

 抗争の渦中で多くの仲間を失い、シノギは警察の取り締まりによって次々と潰される。かつては隆盛を誇った組も、いまや風前の灯火だった。


 黒川は、酒と睡眠薬で虚ろな日々をやり過ごしていた。夜ごとに夢の中で仲間たちの断末魔を聞き、目を覚ませば暗い天井と孤独が彼を迎える。彼は焦燥と怒りを抱えながら、ただ一つの願いを募らせていた。


――「力」だ。


 そんな折、東南アジア帰りのブローカー・野村が現れた。

「兄貴、黒魔術っちゅうもんがあります。魂と引き換えに、誰でも跪かせられる力が手に入るらしいですわ」


 黒川はグラスを置き、低く笑った。

「魂やと? そんなもん、とうの昔にヤクザに売っとるわ。今さら惜しない」


 数日後、黒川は野村に導かれ、郊外の山奥にある荒れ果てた寺を訪れた。

 夜の闇に包まれた本堂の奥には、黒い布、血で描かれた紋様、そして生贄の動物の心臓が置かれていた。

 異様な空気に喉が渇いた。恐怖を押し殺すように黒川は酒を煽り、野村が唱える呪文を真似た。蝋燭の火が揺れ、壁に映る黒川自身の影が、まるで別の生き物のように蠢いていた。


 ――翌朝。


 抗争相手の組長が突如心臓麻痺で死亡したという報せが入った。

 さらに続けざまに、警察に内通していたはずのチンピラが、自ら舌を噛み切って絶命した。


 黒川は笑いが止まらなかった。

「これや……これがワシの新しい武器や!」


 だが、異変はすぐに訪れた。


 古参の子分・田畑が、真夜中に「兄貴が呼んでる」と言い残し、自ら首を吊った。

 愛人の美佳は、誰もいない部屋で「肩を掴まれた」と錯乱し、そのままマンションのベランダから飛び降りた。


 黒川は、夜ごと悪夢にうなされるようになった。夢の中では、血まみれの仲間たちが彼を囲み、口々に恨み言を呟いた。目覚めてもなお、耳元に囁きが残る。


「兄貴……もう楽にさせてくれや」

「お前のせいや……」


 黒川は気づいた。あの儀式で呼び出したものは、外の敵を葬るだけではない。

 むしろ「自分に忠誠を誓う者」を糧に喰らい尽くしていくのだ。


 最後に残ったのは、黒川ただ一人。

 組事務所は広すぎるほど静まり返り、夜になれば必ず背後に声がした。


 それはもう、仲間の声ではなかった。

 低く、重く、背骨を冷たく撫でるような異形の声。


――「次は……おまえの番だ」


 黒川は初めて酒を口にしなかった。代わりに、拳銃を机に置いた。

「上等や。ワシの命ぐらい、タダではくれてやらん」


 彼は事務所の奥に塩を撒き、古びた経典を破り捨てて火をつけた。敵も味方も裏切りも、すべて血に塗れてきた人生だ。最後だけは自分の意志で幕を引く。そう思っていた。


 深夜、事務所の電気が一斉に落ちた。闇の中から黒い影が這い寄る。

 壁という壁に、血のような紋様が浮かび上がり、床のコンクリートが赤黒く染まっていく。


 黒川は拳銃を握り、叫んだ。

「喰うなら喰え! ワシは最後まで若頭や! 誰にもひれ伏さん!」


 引き金が引かれ、銃声が轟いた。


 ――だが、弾丸は闇の中に吸い込まれるように消え、返ってきたのはあの囁きだった。


「抗う意思も……また旨い」


 翌朝、黒川の組事務所は空っぽになっていた。

 机も椅子もそのまま、しかし黒川の姿だけが跡形もなく消えていた。


 床のコンクリートには、黒い紋様が焼き付けられていた。

 まるで地獄へと続く扉のように、凄絶な気配を漂わせながら。

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ヤクザと黒魔術 スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi

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