5話. 絶望の味と、数値に支配された命
5話. 絶望の味と、数値に支配された命
ラフィスタ平原を歩き始めて三時間が経過した。
この三時間、俺たち勇者パーティは、システムが設定した「効率的な成長」という名の、単調で無意味な作業を繰り返すことを強要され続けた。
その風景は、現実のゲームのレベリング作業そのものだった。
数分おきに、黒い影が「ポン」と空間に出現し、ゴブリン兵、もしくはスライム、あるいはコボルト兵といった、お決まりの雑魚モンスターが湧き出す。
そして、俺たちはそれを、寸分の狂いもない手順で処理していく。
「ガルド!前衛は任せた!防御に徹しろ!」 「おう!任せろ!」
ガルドは、豪快な叫び声を上げ、敵の攻撃を引き付ける。
彼の頭上には、ゴブリンの錆びた剣がヒットするたびに、ダメージ 3といった小さな数値が表示される。
彼のHPバーはほとんど減らない。
まさにタンクの役割を完璧にこなしている。
「リリス様、お願いします!」 「ええ。
フレア・ボルト!」
リリスの魔法が炸裂し、ゴブリンはダメージ 150を受け、粒子となって消滅する。
俺の役割は、とどめ役か、もしくは被弾役だ。
効率的に経験値を分けるため、俺の木の剣で一撃入れておくことが、リリスにとっての「最適解」らしい。
俺が剣を振るう。
「チリン!」 ダメージ 12。
ゴブリンは、俺の一撃で激痛を感じるどころか、その存在自体が「演算」として処理されているため、表情一つ変えない。
ただ、俺の攻撃が当たったという事実が、次のリリスの魔法の「効率」を少しだけ上げる。
戦闘終了。
【戦闘結果】
• 経験値: 20 を獲得しました。
• ゴールド: 5G を獲得しました。
この作業を繰り返すこと、実に三十六回。
俺のレベルは、あっという間に 6 から 10 に上がった。
【システムメッセージ】
• 勇者アルトのレベルが 10 になりました!
• スキル:【微弱な治癒】を習得しました。
俺は、レベルアップの達成感よりも、機械的な処理の速さに、吐き気を覚えた。
この世界は、まるで俺というプレイヤーを、最短で次のステージに上げるための、巨大な経験値工場だ。
「アルト様、おめでとうございます!レベル 10 ですね。
これで、火山の試練も乗り切れるでしょう」
セリアが、いつものように祝福の言葉を述べる。
彼女の言葉に、心からの喜びは感じられない。
ただ、「勇者が強くなったこと」という、システムの進捗を喜んでいるだけだ。
「ああ、そうだな。
俺は強くなった」
俺は木の剣を握りしめた。
手の中に感じるのは、木の質感ではなく、ただの攻撃力 15という数値の重みだ。
俺は、疲労を感じ始めていた。
肉体的な疲労ではない。
精神的な、虚無に起因する疲労だ。
「リリス。
少し休もう。
ガルドも少し疲れているようだ」
俺は、汗をかきながら、表情に疲労の色を滲ませているガルドを見た。
彼もまた、システムから与えられたスタミナゲージという数値の限界に近づいているのだろう。
だが、リリスは容赦ない。
「アルト様。
何を仰るのですか。
このエリアでのエンカウント率は非常に高い。
ここで休憩を取ることは、非効率的です。
疲労回復は、ポーションか、セリア様の魔法で行うべきです」
「ポーションなんて持ってないだろ」
俺がそう言うと、セリアが小さな袋から、赤い液体が入ったガラス瓶を取り出した。
「ございますよ、アルト様。
万能薬ポーションです。
旅立つ前に、システムが……いえ、神々が用意してくださったものです」
セリアの言葉が、一瞬だけ詰まったように聞こえた。
彼女は、「システム」と言いそうになって、すぐに「神々」という定型的な言葉に言い換えたのだ。
(また、ノイズを上書きしたな。
)
「ポーションは、味が気持ち悪くてな。
できれば、何か食べるものを……」
俺は、以前食べた肉の味のなさを思い出し、躊躇した。
それでも、ポーションという化学的な液体よりはマシだと思った。
ガルドが、喉をゴクリと鳴らした。
彼の顔色が、少し悪い。
「勇者……俺は、肉が食いたい。
腹が減って、力が入らねえ」
彼は、豪放な戦士の役割を全うしようとしているが、その声には、切実な飢えが滲んでいた。
それは、HPが減っているからではなく、「満たされない飢え」だ。
リリスは、ため息をついた。
「仕方ありません。
食料も、万能薬ポーションと同じく、HPとスタミナの回復効果を持つアイテムです」
リリスは、アイテムウィンドウを開き、そこから焼いた野兎の肉を取り出した。
その肉は、湯気一つ立っておらず、まるでプラスチックの模型のように完璧な茶色をしていた。
「さあ、ガルド様。
これをどうぞ。
すぐに回復します」
ガルドは、リリスから肉を受け取ると、迷うことなくそれを口に入れた。
そして、豪快に咀嚼した。
俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
彼が、肉に「味」を感じるのかどうか。
それが、俺の最大の関心事だった。
ガルドは、肉を飲み込むと、目を閉じ、そして開けた。
彼の表情は、「美味い!」と叫ぶべき戦士の定型的な表情ではなかった。
「……腹は、膨れた。
力が、戻ってきた感覚はある」
ガルドの頭上に、HPとスタミナの数値が満タンになったことを示すエフェクトが表示される。
【状態変化】
• ガルドのHP: 300→500
• ガルドのスタミナ: 0→100
「だがな、勇者」
ガルドは、俺の顔をまっすぐ見た。
「食ったという行為は理解できる。
腹に何かが入ったという通知は受け取った。
だが、その肉が、どんな匂いで、どんな味がしたのか……俺には、思い出せねえ」
彼の言葉は、絶望を帯びていた。
彼は、肉を食らうという「人間的な欲求」をシステムに与えられているにも関わらず、その欲求が数値的な回復という結果でしか満たされないことに、激しい違和感を覚えているのだ。
「ああ、知ってるさ。
その絶望の味のない味をな」
俺は自嘲気味に笑った。
セリアが、慌てて前に出た。
「ガルド様!アルト様!そのようなことを言ってはいけません!この世界は、私たちに生命の恵みを与えてくださっているのですよ!」
セリアの顔は、システムが崩壊するかもしれないという恐怖に歪んでいた。
彼女の表情は、定型文を繰り返すNPCのそれではなく、必死に理性を保とうとする人間のものだった。
俺は、リリスに尋ねた。
「リリス。
あんたは、どうだ? この肉を食って、満足できるのか?」
リリスは、静かに首を振った。
「私は、味覚というセンサーに、高い優先度を与えていません。
それは、生存という使命に直結しない、非効率な情報だからです」
「あんたは、本当に、味のない世界で生きていけるのか?」
リリスは、俺の問いに答えなかった。
代わりに、彼は杖を高く掲げ、空に巨大な魔法陣を展開させた。
「休憩は終わりです、アルト様。
次のエンカウントが始まります」
彼の言葉と同時に、俺たちの周囲の地面が揺れ、十体のコボルト兵が一斉に湧き出した。
普段の二体や三体ではない。
このエリアで発生しうる、最大規模のエンカウントだ。
【システムメッセージ】
• 警告: プレイヤーの行動(非効率な休憩、世界の真実への深すぎる言及)により、周辺エリアの警戒レベルが上昇しました。
• 緊急クエスト: コボルト兵団を撃破し、このエリアの戦闘効率を回復してください。
「チッ、強制戦闘かよ!」
俺は、システムからの直接的な警告に戦慄した。
この世界は、俺たちが立ち止まったり、深く考えたりする時間を、一切許さない。
物語の進行という絶対的なレールから逸脱させないために、最も不快で、時間のかかる作業を強制してきたのだ。
「勇者!数が多すぎるぜ!俺が持たねえ!」
ガルドが叫んだ。
彼のHPバーはまだ満タンだが、彼の「戦闘の常識」が、この不自然な多さに警鐘を鳴らしている。
「アルト様!私だけでは処理しきれません!このエリアから、逃走を選択しますか?」
リリスもまた、冷静な分析の結果、「逃走」という選択肢を提示した。
逃走。
それは、ゲームにおける「ペナルティ」を伴う選択だ。
だが、俺は逃げなかった。
「逃げない!逃げたって、またすぐに捕まる。
どうせ、この世界のルールは、俺たちに戦うことしか許さないんだ!」
俺は、絶望の淵から、逆説的な決意を引っ張り出した。
「いいか、みんな!これはただの数値だ!痛いフリをして、苦しいフリをして、戦闘という演算を完了させるんだ!」
俺は、喉が張り裂けるほど叫んだ。
それは、仲間たちに向けた言葉であり、何よりも、自分自身に言い聞かせている言葉だった。
セリアが、目を見開いた。
「アルト様……」
「セリア!回復魔法だ!俺とガルドが、コボルトの攻撃を引き付けたら、すぐに回復しろ!魔法のクールダウン時間(再使用までの間隔)を最短で利用するんだ!」
俺は、冷静沈着なリリスの「効率」と、聖女セリアの「役割」を、強制的に融合させた。
戦闘が始まった。
木の剣を振るう。
コボルトの頭上に、12の数字。
コボルトの刃が俺の体に触れる。
俺は痛みを感じないが、画面にはダメージ 3が表示される。
ガルドは、その巨体でコボルトの群れを食い止めている。
彼の体には、絶えず小さなダメージ数値が表示されている。
「セリア!今だ!」
俺の指示に、セリアは反射的に反応した。
「ヒール・ライト!」
神々しい光が、俺とガルドを包み込む。
【状態変化】
• アルトのHP: 97→100
• ガルドのHP: 450→500
完璧なHPのリカバリー。
セリアは、彼女の持つ役割を、最高の効率で遂行した。
彼女の顔には、安堵の表情と、そして「これでいい」というシステムの肯定が見て取れた。
リリスは、俺の指示を聞き、驚きながらも、すぐに自分の魔法を最適化した。
「アルト様、あなたの指示は、最も効率的です。
私が火力を集中させます!集中砲火(フォーカス・ファイア)!」
リリスの魔法は、次々とコボルトの群れを粒子に変えていく。
俺たちは、もはや人間的な感情や肉体的な疲労を無視し、四つのプログラムが連携した演算処理ユニットとなって、コボルト兵団を打ち倒した。
戦闘終了。
【戦闘結果】
• 経験値: 20×10=200 を獲得しました。
• アルトのLV: 10→11
• 周辺エリアの警戒レベルが解除されました。
コボルト兵団が消滅した後、静寂が訪れた。
俺は、荒い息を吐きながら、木の剣を地面に突き立てた。
「これが、この世界の戦いだ。
命の重みなんて、どこにもねえ」
俺は、絶望した。
だが、同時に悟った。
この世界から抜け出すには、魔王を倒すというゲームのゴールを達成するしかない。
そして、この世界に囚われた、「ノイズ」を抱える仲間たちを救うには、彼らの役割を徹底的に利用するしかないのだ。
「セリア、ガルド、リリス。
聞け」
俺は、三人の仲間をまっすぐに見据えた。
「俺たちの旅は、茶番だ。
だが、この茶番を演じきらなければ、俺たちは誰も、自由になれない」
俺の言葉に、三人は何も答えなかった。
彼らの表情には、困惑と微かな期待が入り混じっていた。
「行くぞ。
リリス。
次は何をすればいい? 火山の試練の、最も効率的なルートを教えてくれ」
俺は、皮肉屋の悠真ではなく、世界をクリアすることに特化した勇者アルトの顔になった。
リリスは、眼鏡の奥の瞳を輝かせ、即座に答えた。
「はい、アルト様!あなたが、効率を選んでくださったことに感謝します。
この先、二時間の道のりで、灼熱の火山が見えてきます。
火山に入るには、灼熱の結界を破らねばなりません。
そのためのアイテムを……」
リリスの言葉は、完璧なガイドラインだ。
俺たちは、数値に支配された命を背負い、遠く赤く染まった火山を目指して、再び歩き出した。
その道中、俺は、「味のない肉」をかじった。
HP 10 回復。
その数値だけが、俺の「生存」を証明していた。
(これでいい。
これで、俺は進める。
)
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