第3話 聖餐の臓器
二秒先の未来から、現在に引き戻される。
銃弾の幻影が網膜に焼き付き、吐く息が凍てついた。あの煙草。相棒の最後の姿と、この街が一直線に繋がった瞬間、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。
「何が見えた?」シエナが俺の強張った表情を読んで、声を潜める。
「……計画変更だ」
俺は短く答えた。「奴らを無力化して、一人捕らえる。特に、煙草の男を」
撤退という選択肢は、もうない。
霧が好都合だった。俺はシエナに合図し、近くにあった鉄パイプを拾うと、コンテナの迷路を迂回して倉庫の裏手へ回った。シエナが表で石を投げて注意を引く。憲兵の一人が釣られて外に出た瞬間、俺は背後から忍び寄り、首筋に一撃を叩き込んだ。
男が崩れ落ちる。
――残り6回。
硬貨を弾く。未来視。倉庫の中で残りの四人が配置を変える。一人が、俺が潜む裏口へと向かってくる。光の線が、ドアが開く軌道を描く。
俺はその軌跡の外に立ち、ドアが開くと同時に内側へ転がり込む。憲兵は無人の闇に銃口を向けている。その背中に、鉄パイプを振り下ろした。
残りは三人。煙草の男が舌打ちし、仲間二人と散開する。
俺は空になった木箱を蹴り倒し、大きな音を立てて身を隠す。奴らの注意がそちらに向いた二秒。それが命運を分ける。
死角から飛び出し、一人を壁に叩きつけ、最後の一人の腕をひねり上げる。銃が床を滑った。
静寂が戻った倉庫で、俺は煙草の男と対峙していた。男はナイフを構えているが、その顔には狼狽の色が浮かんでいる。
「その煙草、どこで手に入れた」
俺の問いに、男は唾を吐きかけた。
「……施療院のグレイ司祭からだ。仕事の追加報酬だよ」
施療院。グレイ司祭。臓器を抜かれそうになった、あの場所。
「何の仕事だ」
「錬金術師レームの“研究資料”の回収だ。だが、てめえらのせいで……」
男を縛り上げ、俺たちは倉庫の奥で“荷物”を見つけた。それは分厚い革の表紙がついた、一冊の古びた台帳だった。中には暗号化された取引記録がびっしりと書き込まれている。
「これは……臓器の闇ルートの台帳だ」シエナが息を呑む。「買い手の名前も全部載ってる。これが表に出たら、街の大物が何人もひっくり返る」
レームはギルドの錬金術師でありながら、グレイ司祭の裏帳簿を管理していた。そして、それを持ち出して逃げようとしていた。
俺たちは憲兵たちを放置し、台帳を手に埠頭を離れた。安宿に戻る道すがら、俺はシエナに訊ねた。
「グレイ司祭。そんなに力があるのか」
「施療院はただの病院じゃない。教会そのものだ。司祭は弱者を救う聖人として、多くの信者を集めてる。憲兵の一部も、彼の“信者”ってわけさ」
聖人の仮面を被った、臓器密売人。そして、日本と繋がる男。
施療院に、もう一度乗り込む必要がある。だが、今度は正面からじゃない。
「裏口は知ってる。けど、司祭の私室がある最上階は警備が厳重だ」とシエナは言う。
「あんたの力を使えば行けるかもしれない。でも、もし見つかれば……」
選択肢は、またしても二つ。夜陰に乗じて単独で潜入するか、シエナの情報を元に昼間の混乱に紛れて侵入するか。どちらもリスクが高い。
俺は硬貨に触れた。冷たい。指先の感覚は、もうほとんどない。
だが、行かねばならない。あの煙草の謎を解くまでは。
深夜、俺は再び施療院の壁際に立っていた。シエナの陽動で警備が手薄になった一瞬を突き、裏口から内部へ侵入する。祈りの声が響く静かな廊下を抜け、司祭の私室へと続く階段を上った。
部屋の扉に鍵はかかっていなかった。まるで、誰かが来るのを待っていたかのように。
室内は質素だった。本棚と、重厚な木の机、そして壁にかけられた古い神々の絵。机の上には、一冊の聖書と、数枚の書類が置かれているだけ。
だが、俺の目は書類の山に置かれた、ある一点に釘付けになった。
それは、黒く焼け焦げ、少しだけ歪んだ金属のプレート。
見間違えるはずがない。俺が日本で、刑事として身分を証明するために使っていた、警察手帳の徽章だった。
なぜ、これがここにある。
俺がこの世界に来る前から、グレイ司祭は俺の存在を知っていたのか。
吐く息が、凍るよりも冷たく感じられた。
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