第33話 獣の村の約定

 ルガ村の朝は早い。

 太陽がまだ山陰に隠れているうちから、獣人たちは狩猟の支度を始めていた。

 悠斗もその輪の中にいた。


 昨日、村長ガルドから言われたのだ。

 「人族がこの地を通りたいなら、村の掟を果たせ。——共に狩りに出ろ。」


 異国の掟、異形の仲間。

 それでも悠斗は迷わなかった。


「恩を受けた以上、やるしかない……。」


 腰の短槍を確かめ、毛皮のマントを羽織る。

 冷たい空気が肌を刺すが、心は妙に澄んでいた。


     * * *


 狩猟隊の先頭を歩くのは、若い狼獣人の女戦士——リナ。

 銀灰色の毛並みと琥珀色の瞳が印象的な彼女は、悠斗を一瞥して言った。


「人族が狩りなんてできるの?」

「やってみなきゃ、わからないさ。」

「……ふん。足を引っ張るなよ。」


 短いやりとりのあと、彼らは森の奥へと踏み入った。


 雪解けの地面はぬかるみ、獣の足跡が無数に刻まれている。

 リナは耳を立て、空気を読むように囁いた。


「北の沢に《ダルグ》の群れがいる。あれは凶暴だ。

 油断すれば——命を落とす。」


 《ダルグ》——この地方に棲む二足歩行の猪型魔獣。

 体長は人の二倍、硬い皮膚と突進力を誇る。


     * * *


 ほどなくして、森の奥に低い唸り声が響いた。

 リナが矢をつがえる。悠斗も短槍を構えた。


 藪の向こうから、泥を蹴り上げて巨体が現れる。

 角を震わせ、血走った目で突進してくる。


「来るぞ!」

 リナの声と同時に、矢が放たれた。

 一本は肩に刺さるが、獣は止まらない。


 悠斗は地面を蹴った。

 体が勝手に動く。

 脳裏には、父・健二とキャンプで教わった「槍の構え」がよみがえる。


「今だ——!」


 突進の勢いを利用し、槍の穂先を脇腹に滑り込ませた。

 衝撃が腕を抜ける。

 獣が絶叫し、泥を蹴って倒れ込んだ。


 呼吸が荒く、手が震える。

 それでも悠斗は倒れた魔獣を見下ろし、静かに息を整えた。


「……やったのか?」

 リナが近づき、表情を引き締めたまま頷く。


「悪くない。人族にしては上出来だ。」


 彼女の尻尾がかすかに揺れた。

 それが、彼なりの“褒め言葉”なのだと気づくまで、少し時間がかかった。


     * * *


 狩りを終えた夕刻、焚き火を囲んで村人たちは肉を焼いていた。

 煙の香りとともに、笑い声が響く。

 悠斗はふと、かつての家族旅行を思い出した。


 母の手料理、弟の無邪気な声、妹の笑い声。

 それが遠い昔の夢のように感じられた。


 リナが木皿を差し出す。

「食え。これがルガの礼だ。」

「ありがとう。」


 肉は香ばしく、ほんの少し涙が出そうになった。


「お前……何を探してる?」

「家族だ。」

「……ふうん。

 だったら、探せ。俺たち獣人は、血の絆を大事にする。

 それを笑う者は誰もいねぇ。」


 焚き火の炎がリナの瞳に映り、金色に揺らめく。

 悠斗は頷き、心の奥で誓った。


(ここからだ。もう逃げない。家族を必ず見つける。)


     * * *


 一方その頃——

 グラウナでは、直哉が旅支度を終えていた。


 導晶は淡く光り、南を指している。

 まるで兄のいる方向を示すように。


「兄ちゃん……待ってて。僕も行く。」


 彼の隣では、灰色のローブを纏った少女が笑っていた。

 古書店で出会ったエルネストの弟子——ミレイ。

 淡いピンクの瞳が、少し不安げに揺れる。


「行くのね。本当に。」

「ああ。家族を探す旅だから。」

「……だったら、私も行く。師匠の命令で、あなたを見届けるって言われた。」


「えっ?」

「嫌なら置いていくけど?」

「い、いや! 助かるよ!」


 小さく笑うミレイの表情は、どこか懐かしかった。

 まるで、かつての長女——紗奈を思い出させるような。


 導晶の光が強く瞬き、空へ一筋の青い軌跡を描いた。


 兄と弟。

 別々の場所で、同じ光を追って歩き出す。


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