第32話 雪解けの旅路

 夜明けの山は、白銀の静寂に包まれていた。

 吹雪は止み、空の端から淡い光が差し込んでいる。

 悠斗は背負い袋を締め直し、凍てついた大地に一歩を踏み出した。


「南へ……あの光が示していた方角へ行く。」


 泉に刻まれた弟の声——直哉の存在。

 それを確かめるために、悠斗は迷わず歩き出す。


 山を下る道は険しく、雪解けのぬかるみに足を取られた。

 何度も転び、指先は痺れ、息は白く凍る。

 それでも、心だけは燃えていた。


(あの声が、嘘のはずがない。弟が生きているなら……家族も、きっとどこかで。)


     * * *


 三日後、悠斗は山の麓にある獣人の集落——ルガ村へ辿り着いた。

 石と木で作られた素朴な家々が並び、煙突からは香ばしい煙が上がっている。

 狼や熊に似た獣人たちが忙しなく動き回り、交易商人が荷を降ろしていた。


 悠斗が集落の入口に立つと、槍を持った番兵が声を上げた。


「人族か? 珍しいな。この時期に山越えとは命知らずだ。」

「道を探しているだけなんだ。休める場所があれば……」

「なら、村長のとこへ行け。だが余計な騒ぎは起こすな。」


 短い言葉とともに、門が開かれた。

 悠斗は礼を言って中へ入った。


 村の中央、焚き火の周りには数人の獣人が集まっていた。

 その中でひときわ目立つ、銀毛の大柄な男が立ち上がる。


「俺がルガ村の長、ガルドだ。

 人族がここを訪れるのは久しいが……何の用だ?」


「……探している人がいるんです。弟なんですが、手がかりを追って南へ向かっています。」

「弟、か。なら少し休むといい。ここから南は、森と沼地の連続だ。人族一人では死ぬぞ。」


 ガルドの声は低く、しかし敵意はなかった。

 悠斗はその言葉に頭を下げ、焚き火の前で温かいスープを受け取る。

 口にした瞬間、久しく忘れていた“生きている実感”が胸に広がった。


     * * *


 一方その頃——

 グラウナでは、直哉が石畳の路地を駆け抜けていた。


 彼は今、街の再建を手伝いながら、独自に“転生者の痕跡”を調べていた。

 廃墟の奥に刻まれた光の紋章、消えかけた転移陣、そしてあの夜見た青い光。

 全てが“家族の再会”へ続く糸のように感じられた。


「兄ちゃん……きっと動き出してる。僕も、行かないと。」


 直哉は古書店の老魔導士エルネストから、旅に必要な魔法地図を受け取った。

 彼は呆れたように言う。


「まだ子供だろう、街の外は危険だ。」

「わかってる。でも、僕には行く理由があるんです。」

「理由?」

「家族を探す。きっとどこかで、生きてる。」


 その言葉に、老魔導士はわずかに笑った。

「……なるほど。なら、これを持って行け。」


 差し出されたのは、青い光を帯びた小さな石——導晶(どうしょう)。

 “血縁の者が近くにいると、淡く光る”と伝えられる希少な魔具だった。


「古代の遺物だが、君になら扱えるかもしれん。道の果てでも、光を見失うな。」

「ありがとうございます。絶対、無駄にしません。」


 導晶を握りしめた直哉の目は、少年とは思えないほど真っ直ぐだった。


     * * *


 夕暮れ、ルガ村の丘。

 悠斗は焚き火の側で空を見上げていた。


 雲の切れ間から、一筋の青い光が夜空を渡る。

 それは、グラウナの上空に漂う導晶の輝きと、同じ色をしていた。


 遥か離れた二人が、知らず同じ空を見上げていた。


(もう少しだ。今度こそ、きっと……)


 雪解けの風が吹き、白い地平の向こうに春の匂いが流れ込む。

 家族の軌跡が、少しずつ交わり始めていた。



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