第30話 雨の果て、約束の光

 雨は一晩中降り続いていた。

 火の気のない教会の中で、直哉はリュミナの傍らに座っていた。

 彼女は浅い呼吸を繰り返しながら、時折、微かに目を開けていた。


「……もう、動かないで。傷が開く。」

「だって、鐘が……壊れてないか、見たくて。」

 リュミナの声は弱々しかったが、瞳だけはまだ透き通っていた。


「大丈夫だよ。あの音は消えない。」

 直哉はそう言いながら、外に目を向ける。

 灰の雲の切れ間に、ほんのわずかだが青が覗いていた。


     * * *


 ヴァルグが静かに現れる。

 黒い影は、崩れた祭壇の前で人の形を取り始めた。

 その姿は、漆黒の獣と人の狭間にあるようだった。


『少年。お前の“光”が、リュミナの命を繋いでいる。

 だが、この力は——代償を伴う。』


「代償……?」

『魂の共鳴だ。お前が“守りたい”と強く願うほど、相手の傷はお前の内へと流れ込む。

 いずれ、お前自身が壊れる。』


 直哉の手を見ると、そこにはリュミナと同じ場所に、薄い傷跡が浮かんでいた。

 痛みはなかった。けれど、確かに繋がっている感覚があった。


「……それでもいい。彼女を助けたい。」

『愚かだな。だが、それが人間というものか。』


 ヴァルグは深く息を吐き、影のように消えた。


     * * *


 昼を過ぎた頃、リュミナが小さく呟いた。


「ねぇ、直哉。……あなたの“光”、あたたかいね。」

「僕の……?」

「うん。目を閉じるとね、広い空が見えるの。

 そこに、光の糸がいくつも伸びてて……遠くで誰かが、笑ってる。」


 直哉の胸が強く打つ。

 彼には、それが“家族”の気配だとすぐに分かった。

 誰かが、どこかでまだ生きている。


「リュミナ、それを……もう少し、見ていて。」

「うん……でも、もう少ししか時間、ないかも。」


 その言葉に、直哉の指先が震える。

 何かを失う痛みを、彼はもう知っていた。

 だからこそ、届かない距離に手を伸ばす。


「大丈夫。必ず、もう一度会える。

 僕の家族も、君の祈りも——絶対に消さない。」


 リュミナは微笑み、そっと目を閉じた。

 その瞬間、彼女の胸から淡い光が零れ出し、直哉の胸の印と重なった。


 蒼い光の糸が、教会の天井を突き抜け、空へと昇っていく。

 灰の雲が裂け、陽の光が街を照らした。


     * * *


 その頃——。

 遠く離れた山岳地帯、吹雪の中を進む一人の青年がいた。

 悠斗だった。

 突然、空の裂け目から降り注ぐ光を見て、彼は足を止めた。


「……あの光、まさか……直哉……?」


 心の奥に、懐かしい声が響いた気がした。

 “兄ちゃん、空を見て。”

 幻聴のように、しかし確かに。


 悠斗は手を伸ばす。

 その掌にも、かすかな蒼い紋章が浮かんでいた。


     * * *


 教会に戻ると、リュミナの姿はもうなかった。

 彼女の代わりに、祭壇の上に小さな光の欠片が残されていた。

 それは、彼女の魂の一部だった。


 ヴァルグが姿を現す。

『……その子は、祈りの巫女だった。

 お前に“灯”を託したのだ。もう、祈りはお前の中にある。』


 直哉は光の欠片を両手で包み込み、胸に抱いた。

「ありがとう、リュミナ。君の分まで、この街を守る。」


 雨はいつの間にか止み、空は澄み渡っていた。

 鐘楼の上では、修復した鐘が風に揺れ、微かに音を鳴らしている。

 ——ごぉん。


 その音は、まるで彼女の声のように柔らかかった。

 そして直哉の瞳に、はっきりと未来への光が映っていた。


「家族のみんな……もう少しで、見つけられる気がする。」


 ヴァルグが静かに頷いた。

『お前の道はまだ続く。だが、確かに“つながり”は生まれた。』


 灰の街に、久しぶりの青空が広がっていた。

 その下で、直哉は一人、希望の鐘を聞いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る