第28話 灰色の祈り

 雨が降っていた。

 灰街に似たこの都市では、雨粒さえ灰を混じえて落ちてくる。

 直哉はその中を歩いていた。瓦礫の間を縫い、崩れた建物を避けながら。


 昨日の戦いでカイは左腕を負傷し、仲間たちは地下にこもっている。

 食料は残りわずか。

 だから直哉は、まだ使えそうな倉庫を探して歩いていた。


 ふと、崩れた石畳の向こうに、奇妙な建物が見えた。

 半壊したドーム屋根、折れた鐘楼。

 それでも、扉の前に小さな花束が置かれている。


 ——教会だ。


 この世界に来てから、初めて見る“祈りの場”だった。

 興味というより、引かれるように扉を押し開ける。


     * * *


 中はひんやりと静まり返っていた。

 床一面に砂塵が積もり、割れたステンドグラスから光が差し込む。

 その光に照らされて、小さな人影が膝をついていた。


「……だれ?」

 少女の声だった。

 十歳ほどだろうか。金色の髪に、破れた白衣のような服をまとっている。

 だが、その目は驚くほど澄んでいた。


「僕は……直哉。街の外れの避難所にいるんだ。」

「避難所……。まだ、そんな場所が残ってるのね。」


 少女は微笑んだが、その笑みには痛みが混じっていた。


「あなたは?」

「わたしはリュミナ。……ここで、祈りを守ってる。」


「祈りを、守る?」

 リュミナは頷き、小さな祭壇の前に手を合わせた。

 そこには、欠けた石像があった。

 翼を持つ女神像。顔の部分は崩れ落ちている。


「この街の人たちは、もう神さまなんて信じなくなった。

 でも……誰かが忘れないようにしておかないと、きっと、全部消えちゃうから。」


 その言葉に、直哉の胸がざわめいた。

 ヴァルグが影の奥で、低く呟く。


『この子は“光の残滓”を守っているのだ。

 だが、この街に祈りを捧げる者など、もういない。』


 リュミナは立ち上がり、祭壇の蝋燭に火を灯した。

 その火は小さく揺れながらも、確かに温かかった。


「あなたは、神さまを信じる?」

「わかんない。でも……“誰かを守りたい”って気持ちは信じてる。」


 リュミナは静かに微笑んだ。

「それなら、あなたも祈りの子だね。」


     * * *


 その夜、教会の屋根裏で雨を避けながら、二人は少しのスープを分け合った。

 リュミナは小さな声で話す。


「昔ね、この教会は“導きの星”って呼ばれてたの。

 戦争の前は、毎晩、鐘が鳴ってた。

 でも、ある日——兵士が来て、神父さまを連れていったの。」


「……もう、帰ってこなかったの?」

「うん。でもわたし、まだ鐘を鳴らしたい。

 誰かがそれを聞いて、『ここに生きてる人がいる』って思ってくれるかもしれないから。」


 その願いに、直哉の心が震えた。

 彼もまた、どこかで家族が生きていると信じていた。

 声にならない想いを、空に届かせたいと願っていた。


「じゃあ、僕も手伝うよ。」

「え?」

「鐘、直そう。二人で鳴らそう。」


 リュミナの目が大きく見開かれ、次の瞬間、涙がこぼれた。


     * * *


 翌朝。

 二人は教会の屋根に登り、錆びついた鐘の鎖を修理した。

 ヴァルグの影が動き、鎖の裂け目をつなぎ合わせる。

 手を汚しながら、直哉は息を切らす。


「いくよ、リュミナ。」

「うん。」


 二人で力を合わせ、鐘の舌を押した。

 ——ごぉぉん。


 鈍くも、確かな音が街に響く。

 灰の空を震わせるように、鐘の音が広がっていった。


 その音を聞きつけて、地下の人々が空を見上げた。

 忘れられた祈りが、ほんの少しだけ蘇る。


 ヴァルグが囁く。


『これは……祈りではなく、希望の声だ。

 お前の中の“光”が呼び覚ましたのだ、少年。』


 直哉は鐘楼の上で風を受けながら呟いた。


「ねえ、リュミナ。もし僕がいなくなっても、この鐘を鳴らし続けて。」

「やだ。あなたが鳴らすんだよ。あなたが、生きてるうちは。」


 灰色の雲の切れ間から、一筋の陽が差し込む。

 その光が、二人の肩を静かに照らしていた。

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