第26話 灰の風が吹く街(はいのかぜがふくまち)

 夜明けとともに霧が晴れた。

 ヴァルグに導かれて森を抜けた直哉の前に、荒れ果てた大地が広がっていた。

 黒ずんだ草、崩れた石垣、そして遠くに見える焦げた街並み。

 風が吹くたび、灰が舞い上がる。


「……ここ、街なの?」


『かつては“グラウナ”と呼ばれていた人の都だ。

 今は戦と疫病で滅びかけている。』


 ヴァルグの声は低く、どこか哀しげだった。

 直哉は胸の奥の印を押さえた。

 光は微かに脈打っている。

 ——この街にも、“何か”がある。


「行ってみたい。もしかしたら、お姉ちゃんが……」


『危険だぞ、直哉。

 この地では人が人を喰らう。それでも行くか?』


 少年は小さく頷いた。

 決意の表情に、ヴァルグはかすかに笑う。


『ならば、我は影となろう。

 お前の傍にいて、牙を向ける者を許さぬ。』


 その言葉に勇気をもらい、直哉は足を踏み出した。


     * * *


 街の入口には、崩れた門と黒い煙が漂っていた。

 かつての住民たちの姿はなく、瓦礫の隙間には朽ちた旗が翻っている。

 しかし、人の気配は確かにあった。


「……物乞い? それとも盗賊?」


 直哉が小声で呟いた瞬間、背後から声が飛んだ。


「動くな!」


 冷たい刃が首筋に触れる。

 振り返ると、顔を布で覆った少年兵が立っていた。

 年は直哉とそう変わらない。


「旅人か? それとも傭兵崩れか?」

「ぼ、僕は……違う! ただ家族を探してるだけ!」


 刃を向けた少年の目が細められる。

 その目には、戦場で大人を見すぎた子供の冷たさがあった。


「……ふん、変なガキだな。

 ここじゃ“家族”なんて言葉、誰も信じちゃいねぇよ。」


 少年兵は刃を下ろし、代わりに手を差し出した。


「名は?」

「なおや……直哉。」

「俺はカイ。

 悪いことは言わねぇ、腹が減ってるならついてこい。」


 カイに導かれ、直哉は街の奥へ進んだ。

 瓦礫の中を抜けると、地下へ続く入り口があった。

 そこには子供たちが十数人、身を寄せ合って暮らしていた。


 灯り代わりの魔石が、薄暗い部屋を照らす。

 子供たちは皆、痩せこけ、服も破れている。

 カイがパンの欠片を渡すと、彼らは群がるように手を伸ばした。


「……これが、この街の“今”なんだ」


 直哉は言葉を失った。

 自分も、もう少し遅ければこうなっていたかもしれない。

 カイがパンをちぎって差し出す。


「お前も食え。見たところ、まともな飯は久しぶりだろ。」

「ありがとう……」


 乾いたパンを口に含むと、涙が出そうになった。

 温かさでも、美味しさでもない。

 “生きてる”という実感が胸に刺さったのだ。


     * * *


 夜。

 直哉は瓦礫の外で星を見上げていた。

 ヴァルグはその横で静かに横たわっている。


「ヴァルグ。僕、やっぱり戦いたくない。」


『戦わずに生きられるほど、この街は甘くないぞ。』


「うん……でも、誰かを傷つけるのは嫌だ。

 もしお姉ちゃんや家族がこんなとこにいたら、僕、きっと……守れない。」


 少年の声は震えていた。

 ヴァルグは目を細め、静かに告げた。


『守るための牙は、奪うためにあるわけではない。

 使い方を誤るな、人の子よ。』


 その言葉と同時に、胸の印が淡く光った。

 蒼い光が星空に溶け、彼の掌を包む。


「これが……印の力?」


『そうだ。まだ形になっていないが、

 その願いが強まれば、いずれお前自身の“力”となる。』


 直哉は掌を見つめ、静かに頷いた。

 そして、夜空に浮かぶ蒼の星に向かって囁いた。


「お姉ちゃん……待ってて。僕、強くなるよ。」


 灰の風が街を吹き抜けた。

 廃墟に舞う灰が、まるで光の粉のように見えた。

 その瞬間、遠く離れたレオナの空でも、一つの星が輝きを増した。


 ――二つの魂が、再び共鳴する。

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