第24話 蒼き契約

 夜の魔導都市レオナ。

 月が雲間に沈み、街灯の魔石が淡く輝く。

 塔から逃げ出した紗奈は、石畳を裸足で駆けていた。

 背後では警鐘が鳴り響き、魔力の光が空を切る。


捜索魔法エリア・スキャン発動! 北門側、反応あり!」


 衛兵たちの怒号が追ってくる。

 紗奈は路地裏に身を潜め、荒い息を押し殺した。

 手のひらには、あの《輪廻記録》の切れ端を握っている。

 ——“蒼き印は、魂を結ぶ縁”


 それだけが、彼女の逃亡の理由であり、希望だった。


 だが、光は正直だった。

 右手の印がかすかに光り、彼女の居場所を告げてしまう。


「見つけたぞ! 逃がすな!」

「くっ……!」


 紗奈は再び走り出した。

 呼吸が焼けるように苦しく、脚も限界に近い。

 それでも、止まるわけにはいかなかった。


(ここで捕まったら、もう二度と自由になれない……!)


 息を切らせながら、狭い水路へ飛び込む。

 冷たい水が服を濡らし、体温を奪う。

 街の明かりが水面に揺れ、遠くで雷鳴のような魔力音が響いた。


 やがて、目の前に古い石橋が現れた。

 その下には、封印の魔法陣が刻まれている。

 そして中央に、奇妙な石碑が立っていた。


 ――《契約の場》


 古びた碑文に、彼女はなぜか読めてしまう文字を見つけた。


「……魂を結ぶ者、印を解き、真の名を得よ」


 頭の奥で何かが疼く。

 胸の中の印が、熱を帯びていく。


「これが……導きなの?」


 紗奈は震える指で右手をかざした。

 蒼の光がほとばしり、石碑の紋様が呼応するように輝いた。

 水が逆巻き、空気が震える。


「やめなさい、紗奈!」


 背後から声が響いた。

 ルミリアだった。

 銀髪をなびかせ、数人の魔導士を従えている。


「その印は制御できない! あなたの命を——!」


「わかってる! でも、止まれないの!」


 紗奈の叫びが夜を裂いた。

 印が爆ぜるように光り、空間がねじれた。

 蒼い魔力が螺旋を描き、封印が解けていく。


 次の瞬間、石碑から声が響いた。


 ――名を述べよ、契約者よ。


 世界が静まり返る。

 紗奈は息を呑み、わずかに口を開いた。


「……紗奈。

 あたしは、紗奈・カミヤ。

 この印を通して……家族を探したい!」


 その名を告げた瞬間、光が爆発的に広がった。

 髪が風に舞い、目が眩む。

 光の中心から、蒼い紋様が形を取っていく。


 それは——小さな“竜”だった。

 掌ほどの透明な竜が、彼女の前に浮かんでいた。


 竜は目を細め、まるで理解しているように頷いた。


『契約、成立。

 吾は“導きの眷属”アズハル。

 主の願い、魂に刻み込んだ』


 その声は、直接心に響くようだった。

 紗奈の足元にあった水が静まり、彼女の印が安定していく。


 だが、ルミリアが駆け寄ったときには、すでに契約は終わっていた。


「紗奈……あなた、何をしたの……!」


 紗奈はかすかに微笑んだ。

 目の奥に宿る光は、もはや怯えではなく決意だった。


「これで、家族の“場所”がわかる。

 アズハルが言ってたの。“同じ印の光を感じる”って」


 ルミリアは息を呑んだ。

 その言葉が意味するのは、異世界に散った魂の存在——すなわち、彼女の家族だ。


 しかし、契約の代償はすでに始まっていた。

 紗奈の頬が白くなり、体温が急速に下がっていく。


『主よ、あなたの命は短くなる。それでも進むか?』


「うん……それでも、行く」


 紗奈は微笑んだ。

 その姿を、ルミリアは何も言えず見つめるしかなかった。


 塔を逃げ出した少女は、禁忌を破り、魂の契約を結んだ。

 それは、命を削りながらも絆を求める、哀しくも強い光だった。


 そしてその瞬間——遠く離れた山岳の村で、

 同じ蒼の光が少年の胸元で淡く輝いた。

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