第23話 灰の塔の少女

 旅商人レメルと別れて三日、紗奈は“灰の街”をあとにした。

 道なき道を歩き、森を抜け、丘を越え、彼女の目にようやく人らしい文明が映る。

 高くそびえる塔群と、青い魔力の光を放つ街——魔導都市レオナ。


 赤い空が途切れ、澄んだ青が広がる。

 そこはまるで別世界のように活気づいていた。

 街路には魔石を積んだ馬車、空には小型の飛翔魔具が浮かび、人々はローブ姿で魔法の言葉を交わしている。


「……ここなら、きっと何かわかる」


 紗奈は震える足を前に出した。

 異邦の少女が歩けば、人々の視線が集まる。

 だが、彼女の瞳に宿る青い光は、不思議と人を拒まなかった。


 門番に身元を問われ、彼女は咄嗟に「旅の孤児」と名乗った。

 そのまま追い返されるかと思ったが、意外にも兵士の一人が首を傾げた。


「……その印、魔力の紋だな?」


 右手の蒼の紋章が淡く光っていた。

 紗奈は慌てて袖で隠したが、兵士はそれを見て頷いた。


「学院の者に見せてみろ。拾ってもらえるかもしれん」


 それが、この街での運命を決めた瞬間だった。


     * * *


 魔法学院レオナ。

 塔のような建物がいくつも連なり、中央には“記録の塔”と呼ばれる灰色の尖塔がそびえていた。

 紗奈はそこで、学院長の秘書と名乗る女性・ルミリアに引き取られる。


「あなたの魔力……普通ではありませんね」


 ルミリアの銀髪が揺れる。

 彼女の瞳は冷たく、測定器の水晶玉を見つめている。

 そこには青白い炎のような魔力が渦を巻いていた。


「この値……人間の範疇を超えています。出身は?」


「……覚えてません」


 紗奈はそう答えるしかなかった。

 レメルの言葉が脳裏をよぎる。

 “転生者は異端とされる”——そう言われたばかりだった。


「そう……なら、いずれ思い出すでしょう」

 ルミリアは冷ややかに微笑み、手元の帳簿に何かを書き込んだ。

「今日からあなたは学院の『観察対象』です。身の安全は保障します。ただし、外出は禁止です」


 観察対象。

 それが、彼女に与えられた立場だった。


     * * *


 日々は静かに、しかし息苦しく過ぎていった。

 塔の上層にある部屋で、紗奈は魔法の基礎を学ばされ、定期的に魔力測定を受けた。

 食事も与えられ、寝床もある。けれど、それは“監視の上の安寧”に過ぎない。


 夜になると、塔の外壁に腰を下ろし、街の灯を眺めた。

 遠くで子どもの笑い声が聞こえる。

 あの声の中に、直哉や悠斗の姿を重ねてしまうことがあった。


「……会いたいよ……」


 風に消えそうな声が漏れた瞬間、

 右手の印が淡く光った。


 それはまるで、遠いどこかで呼応する光があるように思えた。


     * * *


 ある夜、学院の図書棟で紗奈は“それ”を見つけた。

 塔の最上層、立ち入り禁止とされた部屋。

 偶然、巡回の隙を突いて忍び込んだその奥に、

 古びた本棚と、一冊の革表紙の本があった。


 ――《輪廻記録(リィン・レコード)》


 表紙には、見覚えのない文字が刻まれていた。

 だが不思議なことに、紗奈にはその意味が読めた。

 “異界より来た魂、再び巡る定め”


 ページをめくるごとに、頭の奥がざわめいた。

 そこには、幾度となく繰り返される転生と魂の記録が書かれていた。

 そして、その余白にこう記されていた。


 ――蒼き印は、導きの光。魂を結ぶ縁。


「……やっぱり」


 紗奈は震える声で呟いた。

 あの印は偶然ではない。家族と繋がるための“証”なのだ。


 しかし、ページの最後にはもうひとつ記述があった。


 《印を深く解放せし者、命を削る》


 その瞬間、冷たい風が塔の窓を叩いた。

 まるで本が警告を発しているかのように。


「……寿命を、削る……?」


 紗奈はその言葉に、思わず本を閉じた。

 家族を探すことは、命を削ること。

 それでも、立ち止まるつもりはなかった。


「怖くても……進む。

 あたしが止まったら、誰も見つけられないから」


 手の甲に触れる。

 印は静かに、しかし確かに光っていた。


 その夜、紗奈は塔を抜け出した。

 月光を背に、石畳を駆け降りる。

 彼女の髪が風に舞い、遠くで鐘が鳴った。


 灰の塔の少女は、禁忌を知り、運命の扉を叩いた。

 それが、彼女を次の試練へと導くことになるとも知らずに――。



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