第22話 赤の空の街
荒野を抜けた先、紗奈の視界に一面の赤が広がった。
空が燃えているようだった。
夕暮れではない。大気そのものが濁り、空気に鉄の匂いが混じっている。
そこは廃墟ではなく、まだ人が生きている――いや、生き残っている街だった。
崩れかけた石の建物のあいだで、痩せた人々が行き交い、獣の皮を売り、汚れた水を飲んでいる。
彼女が歩くと、誰もが一瞬こちらを見たが、すぐに視線を逸らした。
その目は恐れとも諦めともつかぬ色をしていた。
「……ここが、街……?」
紗奈は呟き、唇を噛んだ。
かつて家族と旅行で訪れた山村の風景が、遠い記憶の中でかすんでいく。
あの時の温かな空気とは違う。ここは、生きるために他人を押しのけなければならない場所だ。
ふと、彼女の手の甲の“蒼の印”がわずかに輝いた。
周囲を見回したが、特に変化はない。
だが、その光はまるで警鐘のように彼女の胸をざわつかせた。
「……誰かが、見てる?」
その時だった。
背後から声がした。
「おや、珍しい子だね。そんな服装でこの街を歩くとは」
振り返ると、白い布をまとった老婆が立っていた。
背は低く、皺だらけの手には木の杖。
だがその瞳だけは、年齢を超えた鋭さを宿している。
「あなた……誰?」
「レメルと呼ばれているよ。見ての通り、旅の商人さ」
老婆はゆっくりと笑い、紗奈の右手を見た。
印に視線が留まり、彼女の瞳がわずかに細まる。
「なるほどね。あんた、“落ちた子”だね」
「……落ちた、子?」
「この世界に、とつぜん現れた者のことさ。空から落ちてきた魂。――“転生者”とも呼ばれる」
その言葉に、紗奈の鼓動が跳ねた。
転生者。その単語を聞いた瞬間、胸の奥の霧が晴れるような感覚がした。
「……じゃあ、わたしの家族も……」
紗奈が言いかけると、レメルは杖をついて歩み寄った。
その目に映るのは、ただの少女ではなく、何かを知る者を見極めようとする光だった。
「家族がいるのかい?」
「うん……たぶん、わたしたち、一緒に……死んで……」
声が震える。
涙が滲みそうになったが、紗奈は唇を噛んで堪えた。
レメルはしばし黙り、やがて小さく頷いた。
「なら、探すことだね。
この世界では、魂は時を違えて降ることもある。百年後でも、百年前でも、あり得る話さ」
「時を……違えて?」
「そう。“転生”は時と場所を選ばん。だが、あんたのように印を持つ者は稀だ。
――その蒼の印は、“縁(えにし)”を結ぶもの。探す者を導くためにある」
紗奈は息を呑んだ。
自分がこの印に惹かれ、そして光に救われた理由が、ようやく繋がった気がした。
「この印で、家族を探せる……?」
「容易じゃないさ。
世界は広く、魔物も、国も、戦争もある。
だが、あんたが生きる限り、その印は答える。魂が繋がっている限りね」
レメルは懐から小さな瓶を取り出した。
中には淡い紫の液体が揺れている。
「ひとつ忠告しておこう。
この世界では、転生者は“異端”とされる。魔王や神の落とし子として狩られることもある。
もし身を隠したいなら、この薬を飲みな。記憶を曖昧にする」
「記憶を……消す?」
「忘れられるさ。痛みも、失ったものも、全部ね」
紗奈は黙って瓶を見つめた。
あの瞬間、家族と過ごした旅の景色が胸をよぎる。
父の笑顔。母の声。悠斗と直哉の無邪気な騒ぎ。
それを忘れるなんて――あり得ない。
彼女は瓶を押し返した。
「いらない。
忘れたら、本当に“わたし”じゃなくなる」
レメルの口元がわずかに笑みに歪んだ。
「……そうかい。なら、その選択があんたの道になる」
その言葉を残し、老婆は人混みに紛れて姿を消した。
紗奈は赤い空を見上げる。
空の向こうで、微かに青い光が瞬いた。
まるで“誰か”が彼女の名を呼んでいるように。
「待ってて……必ず、みんなを見つける」
彼女の声は、赤の空に吸い込まれていった。
その光は、遠く離れた場所で、少年の胸の奥でも小さく共鳴していた。
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