第21話 蒼の印

 目を覚ましたとき、紗奈は硬い石の床の上に横たわっていた。

 薄暗い天井には、蔦が這い、ひび割れた壁の隙間から光が漏れている。息を吸うと、土と埃のにおいが喉を刺した。


 ……体が痛い。全身がずぶ濡れで、服はどこか異国風の布地に変わっている。

 記憶を手繰る。――家族旅行、トンネル、光。そこまでは覚えている。

 その先が、真っ白だ。


「ここは……どこ?」


 呟いた声が小さく響いた。答える者はいない。

 だが、頭の奥に奇妙な感覚が残っていた。何かに呼ばれたような、光に引きずり込まれたような。

 立ち上がると、足元の石床に淡い光が走った。紋様――魔法陣のような線が一瞬だけ浮かび、彼女の右手の甲に青白い紋章が灯る。


「なに、これ……」


 紗奈は慌てて手を振った。だが光は消えず、まるで肌の下に刻み込まれたように脈動している。

 心臓の鼓動と同じリズム。

 それが何を意味するのかはわからない。ただ、直感が告げていた。

 ――これは、自分の“印”だ。ここで生きるために刻まれた、運命のしるし。


 外に出ると、そこは廃墟のような街だった。

 崩れた石造りの建物、干上がった噴水、灰色の空。

 遠くには塔のような建造物がそびえ、その根元からはかすかに人の気配がする。


「……人がいるのね」


 紗奈は恐怖よりも、安堵を先に感じた。

 誰でもいい、話ができる相手が欲しかった。

 だが歩き始めてすぐ、地面を這う低い唸り声が背後から響いた。


「……うそ」


 振り返ると、獣がいた。

 狼に似ているが、異様に大きく、眼は赤く光っている。

 まるで父が遭遇したものと同じような、異界の獣。

 紗奈は後ずさりし、手に小石を握った。


「来ないで……来ないでっ!」


 獣が唸り声を上げ、跳びかかる――その瞬間、紗奈の手の甲の紋章が強く輝いた。

 青い光が奔り、獣の身体を弾き飛ばす。

 空気が爆ぜるような音。衝撃に耐えきれず、紗奈は尻もちをついた。


「い、今の……あたしが?」


 手のひらに残る熱と、青い残光。

 信じられない。けれど確かに、自分から何かが放たれた。


 ――魔法。


 その言葉が、唐突に頭に浮かんだ。

 なぜか意味がわかる。魔力、術式、発動。

 まるで見たこともないはずの知識が、記憶の奥から溢れ出すようだった。


「……もしかして」


 紗奈は空を見上げる。

 曇天の向こうで、赤い月が滲むように輝いていた。

 ここは日本じゃない。地球ですらない。

 “異世界”という言葉を口にした瞬間、胸の奥が冷たくなる。


「パパ、ママ……悠斗……直哉……」


 その名を呼んだ途端、手の甲の紋章が一度だけ光った。

 まるで誰かが遠くで応えたかのように。


「……みんな、生きてるの?」


 涙が頬を伝う。

 そうであってほしいと願う。

 この印は、きっとそのためにある。――家族を見つけるための導きだ。


 紗奈は拳を握りしめ、崩れた街をあとにした。

 その背に、青い光が淡く揺れていた。


     * * *


 彼女の歩みが向かう先、遥か北の山脈の麓で、ひとりの少年が同じ青い光に気づく。

 名を直哉という。

 まだその繋がりを知らぬまま、彼もまた、自分の運命に目を覚まそうとしていた。



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