第20話 黒塔の呼び声

 崩壊したエルディアの空を、灰が舞っていた。

 瓦礫の山を越えて、美咲は歩き続けた。

 ルークの姿は見えない。

 空には、紅い月と蒼い月が並び、ゆらめくように重なり合っている。


 その狭間に立つ、黒き塔。

 まるで世界の終わりに突き立てられた杭のようだった。

 近づくほどに、空気が重くなる。呼吸が苦しい。

 ——それでも、足を止めることはできなかった。


 「健二……あなたが、ここにいるんでしょう?」


 返事はない。ただ、胸元の転環石が低く脈打つ。

 塔の扉に手を触れると、ひび割れた表面に光が走り、ゆっくりと開いた。


     * * *


 内部は静寂そのものだった。

 壁一面に光の文様が流れている。

 それは数えきれぬ転生者たちの“記録”——魂の系譜だった。


 「ここが……転生の根幹」

 美咲は足を踏み入れた瞬間、胸の奥が震えた。

 無数の声が、意識の底で囁いている。


 『生まれ変わりたい』

 『もう一度、家族に会いたい』

 『今度こそ、幸せに——』


 そのどれもが、誰かの“願い”であり、“祈り”だった。

 やがて、光の道が塔の奥へと伸びていく。

 美咲は吸い寄せられるように進んだ。


 階段を登るたびに、周囲の景色が変わっていく。

 過去と現在、現実と夢が溶け合い、彼女はいつしかあの日のトンネルに立っていた。


     * * *


 ——車のハンドル。

 ——子どもたちの笑い声。

 ——そして、光。


 目の前に、事故直前の健二がいた。

 運転席でこちらを振り返り、穏やかな笑みを浮かべている。


 「……ミサキ」


 その声を聞いた瞬間、美咲の目から涙が溢れた。

 「やっぱり、あなたなのね……」


 健二はゆっくりと頷いた。

 だが、その輪郭は人間のものではなかった。

 身体の半分が光の粒子となり、塔の壁に流れる記録と一体化している。


 「俺はもう人間じゃない。

  この世界の“循環”を維持するための——核になったんだ」


 「なぜそんなことを……! あなたは、私たちを探すって言ってたのに!」


 健二は目を伏せた。

 「探したさ。だが、転生の理は壊れていた。

  家族は別々の時空に落ち、再会は叶わなかった。

  だから俺は願った。“この世界を安定させ、いつか再び巡り合わせてくれ”と」


 美咲の胸に冷たい風が吹く。

 「その結果が……神国なの?」

 「……ああ。俺が作った“理”を、セラフィアたちが受け継いだ。

  だが彼女らは、祈りを秩序に変え、人を支配した」


 「あなたは、それを止めなかったの?」

 「止めることはできなかった。俺は世界そのものに繋がっている。

  壊せば、すべての魂が崩壊する」


 健二の声には深い絶望が滲んでいた。

 「だが、君がこの塔まで辿り着いた……。

  それは、理が歪み始めている証だ」


     * * *


 塔の中心に、巨大な水晶が浮かんでいた。

 その内部には、淡く光る六つの魂が見える。


 「これは……」

 「俺たち家族の魂だ」


 美咲は息を呑んだ。

 そこには健二、美咲、悠斗、紗奈、直哉、そしてもうひとつ——**“誰か”**の影。


 「六人目……?」

 「“この世界が産んだ子”だ」

 健二が答える。

 「転生の理が生み出した、俺と君の“願いの具現”——名は、リュミナ」


 「リュミナ……」

 美咲の脳裏に、エルディアで出会った幼い少女の笑顔が浮かんだ。

 戦火の中で消えたあの子。

 まさか——。


 「彼女は、転生循環の“鍵”だ。

  家族の魂を再び結びつけるために生まれた存在だ」


 美咲は言葉を失った。

 それは希望であり、同時に残酷な現実だった。

 自分たちの願いが、ひとりの子の命として現れてしまったのだ。


     * * *


 塔の外で轟音が響いた。

 紅の月が膨張し、黒い亀裂が空を走る。

 「……セラフィアが来る」


 健二が目を閉じる。

 「ミサキ。時間がない。

  転生の循環を終わらせるには、俺を——この塔を壊さねばならない」


 「そんなこと、できるわけない!」

 「そうしなければ、家族は永遠に別々の時空に閉じ込められる」


 美咲は涙をこぼしながら叫ぶ。

 「あなたがいなきゃ、意味がないのよ!」


 健二は微笑んだ。

 「いや、俺はずっと君たちの中にいる。

  循環が消えても、魂は再び“ひとつの世界”で出会えるはずだ」


 紅い光が塔を包み込む。

 健二の輪郭が崩れ始める。

 「ミサキ、俺を……解き放ってくれ」


 美咲は震える手で、転環石を掲げた。

 「——ありがとう。約束する、必ずまた会いに行く」


 光が弾け、塔が崩壊を始めた。

 紅の月が砕け、蒼の光が世界を染める。

 その中で、美咲は見た。


 健二が微笑みながら、光の中へ溶けていく姿を。


     * * *


 ——静寂。


 目を開けると、美咲は草原に立っていた。

 夜明けの風が吹き抜け、空にはひとつの月だけが浮かんでいる。

 遠くに、誰かの笑い声が聞こえた。


 「……悠斗? 紗奈? 直哉……?」


 涙を拭いながら、美咲はその声の方へ歩き出した。

 どこかで、また“始まり”が待っている気がした。


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