第19話 紅の告解

 鐘の音が響いた。

 それは祈りではなく、戦の始まりを告げる音だった。


 エルディアの空に、紅く染まった月が昇る。

 翼を持つ神国の空兵たちが次々と降下し、街を包囲した。

 その鎧は夜光を反射し、まるで血の羽根を広げた天使の群れのようだった。


 「全員、武器を捨てろ! 神の告解を受け入れよ!」

 響き渡る宣告に、街の人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 教会の塔に掲げられた白い旗が、赤く燃え落ちた。


 「……来たわね」

 美咲はルークの横で呟いた。

 彼女の手の中には、転環記録石から削り取った一片が光を放っている。


 「神国の“紅の月”部隊……完全な殲滅命令です」

 「彼らは祈りのために戦っているんじゃない。——記憶を奪うために来たのよ」


 ルークが驚いたように振り返る。

 「記憶を……?」

 「ええ。転環記録石の光は、魂の記録そのもの。

  神国はそれを“罪”と呼び、消し去ろうとしているの」


     * * *


 市街の広場に、空兵たちが整列する。

 その先頭に立つのは、純白の法衣を纏った女。


 金の髪が風に揺れ、紅い月の光を受けて輝く。

 女教皇——セラフィア。


 「哀れなる巡礼者たちよ」

 その声は、慈悲深く、同時に冷たい。

 「神は沈黙した。だからこそ、我らが“神”にならねばならぬ」


 群衆が息を呑む。

 「だが——“門”は人を惑わせる。異界の記憶をもたらし、世界の理を乱す。

  それを止めねば、この大地は再び闇に沈む」


 セラフィアが手を掲げると、空が震えた。

 紅い光が弧を描き、空気が裂ける。

 そこから無数の影が現れた——半透明の人影。


 「これは……」

 「“記憶の断片”だ。過去にこの地で死んだ転生者たちの残滓。

  彼らは自らの記憶を棄て、神に許しを請うた者たちだ」


 だが、美咲には分かっていた。

 その顔の中に、かつて石碑で見た“アルメリア”の姿があった。

 「違う……彼らは“封じられた者”よ!」


 紅の光が渦巻き、幻影たちは苦痛の叫びを上げる。

 セラフィアはその光景を冷ややかに見つめた。

 「それでも、神の沈黙を破るわけにはいかぬ」


     * * *


 美咲は前へ進み出た。

 足元の石畳が震え、風が髪を乱す。

 「やめなさい、セラフィア!」


 「聖女ミサキ。あなたもまた、“門”の力を持つ者」

 セラフィアの瞳がわずかに揺れた。

 「なぜ、神の秩序に背く?」


 「秩序じゃないわ、それは“支配”よ。

  あなたたちは祈りを利用して、人の心を縛っている」


 沈黙。

 やがてセラフィアは微笑んだ。


 「あなたはまだ知らぬのだな。

  神国を築いた“最初の転生者”が誰だったかを」


 美咲の心臓が跳ねた。

 「まさか——」


 「そう。彼の名は《ケンジ》。

  あなたの夫だ」


 空気が止まった。

 炎の光がゆらぎ、世界が遠ざかる。

 ——夫・健二が、この世界の“神”の名の下に君臨している?


 「嘘よ……そんなはず——!」

 「真実だ。

  彼は異界から来て、この世界の理を定めた。

  “死を超えて家族に再び会う”という願いのために、転生の循環を作ったのだ」


 美咲の視界が霞む。

 胸の奥で、記録石の欠片が強く脈打った。

 ——それは記憶の震え。

 誰かの声が、頭の中で響く。


 『ミサキ……すまない』


 (ケンジ……?)


 『俺は間違えた。この世界を作り変えたことで……君たちを散らした』


 「やめて……!」

 叫ぶが、幻は止まらない。

 紅の月が輝きを増し、街全体が光に飲み込まれる。


     * * *


 「美咲!」

 ルークの声で我に返る。

 彼は美咲を抱き寄せ、背後に転環石の欠片をかざした。

 光が奔り、紅の波を押し返す。


 「……大丈夫か!」

 「ええ。でも、もう逃げ場はないわ」


 ルークは無言で頷き、剣を抜いた。

 「なら、進むしかない」


 セラフィアが空から見下ろす。

 「ならば告解を——血で贖え!」


 紅の光が爆ぜ、街が崩壊を始める。

 石壁が砕け、空が裂ける。

 その中で、美咲は祈るように叫んだ。


 「——家族を返して!」


 光が爆発的に広がり、空の紅が一瞬で蒼に変わった。

 静寂が訪れる。

 そして、世界が二つに割れた。


     * * *


 気づけば、美咲は瓦礫の中にいた。

 ルークの姿はない。

 遠くに見えるのは、歪んだ空と、紅く光るもう一つの月。


 その中心に、黒い塔がそびえていた。

 その塔の頂に、見覚えのある影があった。


 「……健二?」


 その名を呼んだ瞬間、紅い月が満ちた。

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