第18話 巡礼の街エルディア
森を抜け、三日が過ぎた。
朝靄を割って現れたのは、白い石造りの城壁だった。
塔の先端が陽光を受けて輝き、遠くからでも神々しさを放っている。
「ここが……エルディア」
美咲は思わず息をのんだ。
かつて巡礼者が“真なる祈り”を捧げに集まったという街。
今は神国の支配下にあり、教義と商業が混ざり合う奇妙な都市として栄えている。
人々は信仰のために金を払い、罪の免除を札で買い取る。
——信仰が形骸化するその様は、美咲にはどこか日本の“現実”を思い出させた。
* * *
城門の前では、旅人や商人が列をなしていた。
ルークがフードを深くかぶり、警備兵に銀貨を差し出す。
「巡礼者二名。記録院へ」
「……通れ」
街に入ると、空気が一変した。
香草と焼き菓子の匂い、鐘の音、祈りの歌。
だがその下で、囁きが混じっている。
「また“異端狩り”か」
「昨日も東区で“門の夢”を見た者が捕まったらしい」
「神の沈黙が続けば、この街も終わりだ……」
美咲はその言葉に足を止めた。
“門の夢”——それは、自分が見たあの幻のことだ。
* * *
記録院は、街の中央の丘に建つ白い大聖堂の地下にあった。
古の教典、破門者の記録、そして転生にまつわる封印文書が収められているという。
案内役の老司祭が、無言で松明を灯す。
「この地下に入れる者は限られておる。
だが、貴女の名は“光の巡礼者”として記録されていた。——不思議なことじゃ」
「……私の名が?」
「そう、十年前からな」
美咲は息を呑む。
この世界に来たのは数ヶ月前。だが、記録上は十年前から存在している。
(やっぱり……時間の流れが違う?)
* * *
最奥の石室に辿り着くと、壁一面に古代文字が刻まれた黒い石碑がそびえていた。
その表面には、淡く青い光が流れている。
ルークが小声でつぶやく。
「これが、《転環記録石(てんかんきろくせき)》……」
美咲は石碑に手を触れた。
その瞬間、光が弾け、意識が引きずり込まれる。
*
——映像のような幻が浮かび上がる。
そこには、何百もの“人影”が立っていた。
それぞれが、異なる時代、異なる世界の衣をまとっている。
彼らは全員、同じ言葉を口にしていた。
「願わくば、再び家族のもとへ」
その祈りが幾千年と重なり、やがて“門”という形になった。
死者の魂はこの世界を経由し、次の生へと渡る。
だが、稀にその流れから外れ、肉体を伴ってこの世界に現れる者がいる。
——“転生者”
そして石碑の下には、五つの名前が刻まれていた。
健二
美咲
悠斗
紗奈
直哉
「……!」
美咲の膝が震えた。
この世界に来たのは偶然ではない。
家族全員が、“門の循環”の中で選ばれ、呼ばれたのだ。
* * *
「見つけたのね」
耳元で、柔らかな声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは黒衣の女だった。
美咲より少し年上に見えるが、瞳の奥に深い虚無が宿っている。
「あなたは……?」
「記録院の守護者、《アルメリア》。——そして、あなたの“前の転生者”よ」
「……私の、前?」
「ええ。この記録石は、私たちの記憶を繋ぐもの。
あなたたち家族の“巡り”は、まだ終わっていない」
女は微笑んだ。
その笑みには、慈しみと同時に、諦めの影があった。
「覚えておきなさい、美咲。
転生とは“救い”ではなく、“試練”の継承。
次に巡る時、お前は選ばれる。
——“門を閉じる者”として」
言葉の意味を問う暇もなく、石碑の光が収束する。
アルメリアの姿は霧のように消えた。
* * *
気づけば、美咲は地面に膝をついていた。
ルークが心配そうに駆け寄る。
「大丈夫か?」
「……見たの。家族の名前が……ここにあった」
「それは、この世界に来た“理由”ということか?」
「いいえ。——“理由”じゃない、“使命”よ」
美咲の瞳に、迷いのない光が宿る。
「私たちは、世界の“巡り”の一部になってしまった。
でも、もしそれが試練なら——私は終わらせてみせる」
ルークは無言で頷いた。
その横顔に、初めて“信頼”という温度が宿っていた。
* * *
大聖堂を出ると、空に黒い影が走った。
翼を持つ騎士たち——神国の空兵だ。
彼らの鎧には、紅い月の印が刻まれている。
「“告解の月”の使徒……!」
ルークの顔色が変わる。
彼らは、神の沈黙を告げる“処刑の使者”。
その出現は、神国が美咲の存在を「脅威」と断定した証だった。
美咲は空を見上げた。
二つの月のうち、欠けていた方がゆっくりと満ちていく。
まるで世界が何かを決意したように。
(みんな……見ていて)
(私はこの世界の“巡り”を終わらせる)
彼女の胸の奥で、光が微かに脈動した。
それは祈りではなく、確かな“意志”の灯火だった。
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