第17話 血の告解
夜が明けても、風は冷たかった。
村を囲む森は焼け焦げ、焦げた草の匂いが立ち込めている。
昨日の戦いの爪痕が、静寂の中に生々しく残っていた。
ルークは焚き火のそばに座り、右肩を押さえていた。
矢傷はすでに癒えている。だが、痛みは消えていない。
——心の方の痛みは、なお深く沈んでいた。
美咲は黙って彼の隣に腰を下ろした。
風が吹くたび、彼の銀髪が揺れ、血の匂いが淡く混じる。
「ルーク。……あなた、本当にあの部隊の出身なのね」
「ええ。神国直属の“浄化部隊”。」
彼は淡々と告げた。
「異端を捕らえ、排除するのが使命でした。——貴女のような者を、何十人も焼きました」
沈黙が落ちた。
その告白は、焚き火の爆ぜる音より重かった。
「けれど……俺はあの祈りを見て、わからなくなったんです」
ルークは夜空を見上げる。
薄明の空に、二つの月がまだ残っていた。
「罪とは何だ? 罰とは何を意味する? 神の声に従うことが“正しさ”なのか?」
彼の問いに、美咲は静かに息をのむ。
ルークの瞳には、かつて自分が日本で感じた“空虚な正義”が映っていた。
誰かの決めた善悪に従うだけの人生——
それが、彼女自身が逃げた世界そのものだった。
「あなたが苦しむ必要はないわ」
「でも……俺の手は、血にまみれている」
「なら、その血で新しい祈りを描けばいい」
その言葉に、ルークは驚いたように顔を上げた。
美咲は微笑みながら言葉を続ける。
「昨日、村の人たちが見せてくれた祈り——あれは“贖罪”じゃない。“循環”よ。
生も死も、罰ではなく流れの一部。
あなたが流れに戻ろうとする限り、神だって否定できない」
その瞬間、彼の肩の傷口がわずかに光った。
白い光が血を包み、薄い紋章が浮かび上がる。
——円の中に、二つの月。
「……これは?」
「たぶん、サリアの印。
でも、あなたのそれは“生まれながらの信徒”の印じゃない。
選び直した者に刻まれる“再生の印”よ」
美咲の言葉が、ゆっくりと夜明けの空に溶けていった。
* * *
その頃、遠く神都サルヴァリアでは。
玉座の間で、女教皇セラフィアが報告を受けていた。
「……聖女、美咲が異端の村に滞在。追手の部隊は全滅しました」
「ほう」
彼女の声は静かで、しかし冷たい。
「“門”は覚醒に近づいています。放置すれば、神国の理が崩壊するやもしれません」
「ならば、神の御名のもとに——血で封じましょう」
セラフィアは玉座の上で立ち上がった。
月光が彼女の金の髪を照らす。
その瞳は、祈りのようでいて、どこまでも無慈悲だった。
「——“告解の月”が満ちる前に、聖女を捕らえよ。
門が完全に開けば、この世界の“記憶”が流れ出す」
* * *
その夜、美咲は夢を見た。
水面の向こうに、見覚えのある青空。
そこに、少年の声が届いた。
——「母さん!」
直哉の声だった。
彼の手が、光の水面越しに伸びてくる。
だが、美咲が触れようとした瞬間、波紋が広がり、世界が遠のいた。
「まって……!」
叫びは虚空に吸い込まれる。
目を覚ますと、外は静まり返っていた。
だが、胸の奥で確信が灯る。
——彼らは生きている。
そして、同じ“月”の下で、それぞれの道を歩んでいる。
* * *
夜明け前、ルークが言った。
「行きましょう。北の《巡礼の街エルディア》へ。
そこに、サリア教団の古文書が眠っている。——貴女の“帰り道”の手がかりがあるかもしれません」
美咲はうなずく。
その背に、まだ温もりを残した血の印が淡く輝いていた。
風が吹き、空を仰ぐと、二つの月のうちひとつが薄く欠けていた。
まるで、世界の均衡が崩れ始めているかのように。
(もうすぐ——“何か”が起きる)
それを感じながら、美咲は再び歩き出した。
異端の祈りが、血の記憶と交わり、
やがてこの世界そのものを変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
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