第16話 異端の祈り

 夜明け前、灰色の雲が空を覆っていた。

 焚き火の火はほとんど消えかけ、風が吹くたびに灰が舞い上がる。

 ルークは剣を研ぐ手を止め、美咲に視線を向けた。


 「聖女様。村の者たちが“祈りの儀”を行うと言っています」

 「祈りの儀?」

 「古きサリアへの祈りです。——教会では禁忌とされる」


 美咲はしばらく迷ったが、静かに立ち上がった。

 「見せてほしいわ。その“祈り”を」


     * * *


 村の中央にある廃れた聖堂。

 天井の一部は崩れ、石柱には蔦が絡みついている。

 中央の祭壇には、白く輝く花が一輪、供えられていた。


 老婆が祈りを捧げる。

 その言葉は、どこか優しく、温かい。

 ——“命は巡り、すべては還る。

   水が空に昇り、雨となり、また大地に帰るように”


 その調べに合わせ、村人たちが輪を作って祈り始めた。

 誰もが静かに目を閉じ、涙を流している。


 美咲の胸が締めつけられた。

 神国の祈りは、常に「恐れ」と共にあった。

 罪、贖い、浄化。

 だが、この祈りには“罰”がなかった。

 ——ただ、生と死の循環を受け入れている。


 光がゆらぎ、花びらが空に舞い上がる。

 その中で、美咲はふと幻を見る。


 水面に映る青い空。

 その下で、子どもたちが笑っていた。

 悠斗、紗奈、直哉——。

 そして、あの懐かしい声が聞こえる。


 ——“ミサキ、また会える”


 美咲ははっとして目を開けた。

 花の光が消え、祈りが終わっていた。


     * * *


 「見たのですね」

 背後から聞こえた声に振り返ると、そこに青年が立っていた。

 先日、助けた“門の子”だ。

 まだ体は弱っているが、穏やかな微笑みを浮かべている。


 「あなたの世界の記憶が、少しだけ流れ込んできました」

 「やっぱり……あなたたちは、異界と繋がっているのね」

 「ええ。そして、それを恐れたのが神国です」


 青年は美咲に視線を向ける。

 「でも、私たち《サリアの徒》は信じています。

  “門の光”は災いではなく、再生の兆しだと」


 「再生……?」

 「命が巡るように、世界もまた巡る。

  あなたのような存在は、その“巡り”を正すために呼ばれたんです」


 美咲の心臓が高鳴った。

 自分がこの世界に来た“意味”。

 それが、いま初めて言葉になった気がした。


 だが同時に、恐れもあった。

 ——もしそれが本当なら、私は“神国の敵”になる。


     * * *


 その夜、風が強く吹いた。

 村の外れから、鈍い音が響く。

 ルークが即座に剣を抜き、外へ出た。


 「……神国の追手です!」


 黒衣の騎士たちが松明を掲げ、村を包囲していた。

 「異端者を引き渡せ! さもなくば、全員を処刑する!」

 その声に村人たちが怯える。


 「美咲、隠れてください!」

 ルークの声が鋭く響く。

 だが、美咲は一歩前に出た。


 「待って!」

 彼女の声が風を切った。

 「戦う必要はないわ! 彼らも人間よ!」

 「ですが——」

 「彼らを傷つければ、この祈りも意味を失う」


 美咲は村の中央に立ち、両手を広げた。

 光が迸り、夜空を照らす。

 「やめて……もう、誰も殺さないで」


 その光に、一瞬、騎士たちの動きが止まった。

 だが、背後の指揮官が叫ぶ。

 「偽りの聖女だ! 撃て!」


 矢が放たれる。

 次の瞬間、ルークが美咲の前に立ちふさがった。

 矢が彼の肩を貫き、鮮血が飛び散る。


 「ルーク!」

 「下がってください……!」


 彼の瞳が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。

 その光の中に、痛みと——確かな“意志”があった。


     * * *


 戦いは短く、そして残酷だった。

 ルークの剣技と美咲の光が騎士たちを圧倒し、

 やがて追手は退いた。


 村は静寂に包まれた。

 焚き火の火が小さく揺れ、美咲はルークの傷口を癒やす。

 光の中で、彼が微かに笑った。


 「やはり……貴女は、聖女ではなく、“門”そのものだ」

 「どういう意味?」

 「貴女の力は、信仰ではなく“世界”と繋がっている。

  ——そして、その世界の先に、“帰る場所”がある」


 美咲は息を呑んだ。

 帰る場所——家族。


 夜空を見上げると、二つの月の間に流星が走った。

 その光は、まるで彼女に道を示すように煌めいていた。


 (みんな……どこにいるの?)


 その問いが風に溶けて消える。

 だが、胸の奥で確かに感じていた。

 ——彼らもまた、この空の下にいる。



---


🌙設定補足(第16話時点)


◆サリアの徒(旧信仰派)

古きサリアを信仰する少数集団。

“生命は還り、異界との循環が世界を保つ”という思想を持つ。

神国の“光は唯一”という教義と真っ向から対立するため、異端視されている。

彼らの祈りは“光”と“闇”の調和を象徴し、魔素や瘴気を浄化することができる。


◆神国追手(教皇直属部隊)

セラフィアの命令により、美咲を監視・捕縛するために派遣された。

目的は「門の力の覚醒を抑制し、神国の支配を維持する」こと。

ただし、ルークはこの部隊の出身であり、複雑な葛藤を抱く。


◆ルークの矛盾

彼は神国に造られた存在でありながら、人間的な感情を獲得し始めている。

“聖女を導く者”であるはずが、次第に“彼女を守りたい男”へと変化していく。



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