第15話 黒き巡礼者
サルヴァリア神国北方、灰色の荒野。
冷たい風が吹き抜けるその地を、一台の馬車が進んでいた。
道らしい道はなく、かつて街だったと思しき廃墟が点在している。
「……ここが、聖典にある“失われた地”?」
美咲が小さく呟いた。
「ええ。“神の怒り”によって滅んだとされる国の跡地です」
ルークの声はいつもより低く、慎重だった。
周囲にはかすかな魔瘴気が漂い、遠くで鳥の鳴き声さえしない。
「どうして、こんな場所に?」
「異端の集落があるらしい。彼らは教会の支配を拒み、“古き神”を信仰している」
「……異端、ね」
その言葉に、美咲は複雑な思いを抱いた。
教会が定めた“正しい信仰”とは、誰のためのものなのか。
救いの名を借りて、誰かを切り捨てることが正しいのか。
* * *
黄昏が迫る頃、馬車は崩れた石橋を越え、小さな村にたどり着いた。
そこは、どこか懐かしい匂いのする場所だった。
子どもたちが火を囲み、老人たちが祈りを捧げている。
だが、その祈りの言葉は神国のものとは違っていた。
「……“サリア”?」
耳に届いたその名に、美咲は目を瞬かせた。
——どこかで聞いたような響き。
まるで、遠い昔の夢の中で呼ばれたような名前。
村人たちは美咲たちの姿に気づき、ざわめき立った。
「神国の者が……!」
「逃げろ!」
「“光の鎖”に捕まるぞ!」
数人の若者が武器を手に立ち上がる。
ルークが前に出て、冷静に告げた。
「我々は戦いに来たわけではない。病人がいると聞いた。助けに来ただけだ」
その声に、一人の老婆がゆっくりと前に出た。
「……病人、ね。なら、ついてきなさい」
* * *
老婆が案内した小屋の中には、衰弱した青年が横たわっていた。
肌は蒼白で、胸には黒い紋章のようなものが浮かび上がっている。
美咲は息を呑んだ。
それは、神国で“禁忌”とされる印——異界の加護。
「この印は……どこで?」
「この子は“門の子”なのさ」
老婆の声が震えていた。
「百年前、この地に“光の門”が開いた。
そのとき現れた者たちの血を引くのが、あの子だよ」
“光の門”——。
美咲の心がざわめいた。
その言葉は、彼女の夢の中で何度も聞いた“声”と重なっていた。
彼女は手をかざし、光を放った。
だが、癒やしの光は途中で弾かれ、黒い紋章が脈動する。
「駄目……光が拒まれてる……」
「それが、“門の子”の呪いだ」
老婆は悲しげに目を伏せた。
「神国は、彼らを“異端”と呼び、捕らえて処刑する。
だが、わしらにとっては……ただの家族なんだよ」
その言葉に、美咲の胸の奥で何かが崩れた。
* * *
夜、焚き火の前で、美咲はルークに問うた。
「ねえ、どうして教会は“門の子”を恐れるの?」
「理由は……一つ。彼らの血に“異界の力”が混じっているからだ」
「異界?」
「神国の記録によれば、かつてこの世界と“別の世界”を繋ぐ門が開かれた。
そこから現れた者たちは、人ではなかった」
ルークは炎を見つめながら言葉を続けた。
「だが、その“異界の者”の中に、癒やしや再生の力を持つ存在がいた。
教会はそれを“神の奇跡”と呼び、己の信仰体系に取り込んだ。
——貴女の力も、その系譜にあるのかもしれません」
美咲の手が震えた。
自分の力が、異界に由来する……?
だとすれば、自分は“異端”と同じ存在なのではないか。
「私は……いったい何者なの?」
その呟きに、ルークは静かに答えた。
「それを確かめるために、貴女はこの地に導かれたのでしょう」
* * *
翌朝、青年の容態が急変した。
黒い紋章が全身に広がり、彼の目が闇に染まっていく。
「駄目……このままでは!」
美咲は必死に光を注ぐ。
だが、光は闇に呑まれようとしていた。
そのとき、青年の唇が動いた。
「……あなたも、“向こう”から来た人なの?」
美咲は凍りついた。
「え……?」
「夢で見た……あなたが、家族を呼んでた」
彼の声がかすれる。
「——“また会える”って、言ってた」
光が弾け、青年の体から黒い霧が消えた。
息を整える彼の瞳には、もう穏やかな光が戻っていた。
美咲は震える声で呟いた。
「……あなた、いま、何を……?」
青年は微笑んだ。
「俺たちは、“向こう”の記憶を夢に見る。
——あなたの世界の夢を」
* * *
その夜、美咲は眠れなかった。
胸の奥に、冷たい不安と、奇妙な懐かしさが渦巻いていた。
ルークは火のそばで剣を研ぎながら、静かに言った。
「聖女様。もし、貴女が本当に“向こうの者”なら——
この世界の運命を、変える存在かもしれません」
炎がぱちりと弾けた。
二人の影が重なり、ゆらめきの中に沈んでいく。
夜風が吹き抜けたとき、美咲は小さく呟いた。
「私の家族も……この世界にいる。
きっと、何か意味があるはず」
空には、二つの月が並んでいた。
その光が、彼女の頬を静かに照らしていた。
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設定補足(第15話時点)
◆“門の子(ゲートボーン)”
百年前に開かれた“光の門”を通じて現れた異界の存在の血を引く者たち。
彼らは特異な力や紋章を持ち、神国では“異端”とされ迫害を受けている。
一部は“魂の記憶”を継承しており、他世界の夢を見ることがある。
◆“光の門”
異界とこの世界を繋ぐ空間の裂け目。
異界の存在(転生者、異形、魔素体)を通じて開く。
現在は封印されているが、神国の聖典には「再び門が開くとき、神が現れる」と記されている。
◆“古き神サリア”
神国成立以前に信仰されていた存在。
“命の循環”と“再生”を司るとされ、美咲が夢で聞く声と関係がある可能性が高い。
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