第14話 導き手ルーク
夜明け前、霧が街を包んでいた。
鐘の音が三度鳴ると、巡礼の一行が聖堂の前に集まった。
その中心に立つのは、白衣を纏った美咲と、黒衣の青年ルーク・ヴェリス。
人々は彼を“聖女の守護者”と呼んだ。
だが、美咲の胸にはまだ警戒が残っていた。
セラフィアの命を受けて来た男。
その瞳の奥に、測り知れぬ冷たさがある。
「準備は整いました、聖女様」
ルークが淡々と告げる。
「ええ……どこへ向かうの?」
「まずは北方の
美咲はうなずいた。
人々の苦しみを放っておくことはできない。
——それが、たとえ神の意志に背くとしても。
* * *
馬車の車輪が泥道をきしませながら進む。
霧が晴れると、緑の丘と小さな村が見えてきた。
そこには焼け落ちた家々と、倒れた柵。
獣の爪痕が地面に残っている。
「……ひどい」
村の入口で、美咲は唇を噛んだ。
怪我人が数人、村人たちに担がれてくる。
彼女は思わず駆け寄り、手をかざした。
光が生まれ、傷口が閉じていく。
その光景に、周囲から歓声が上がった。
「聖女様だ……! 本物の光の聖女だ!」
「神が我らを見捨てていなかった!」
人々の喜びが溢れる中、美咲は静かに祈りを続けた。
その背を見つめながら、ルークは無表情のまま腕を組む。
「……やはり、貴女は人の希望になる」
「それが私の役目なら、そうありたい」
「だが希望は、時に信仰よりも危うい。人は容易に偶像を作り、それに縋る」
「あなたは……信仰を信じていないの?」
ルークはわずかに目を細めた。
「信仰とは、力を正当化する方便だ。少なくとも、この神国では」
その言葉には、氷のような冷たさと、どこか痛みがあった。
美咲は何も言えず、ただ彼の横顔を見つめた。
* * *
その夜、村の広場で小さな儀式が行われた。
美咲は炎の前に立ち、亡くなった者たちの魂を弔う。
光が舞い、空へと昇っていく。
村人たちは涙を流し、何度も彼女の名を呼んだ。
——そのとき、ひとりの少女が走り寄ってきた。
「聖女さま! お願い……お父さんを助けて!」
少女が指さしたのは、村外れの小屋だった。
そこには黒い瘴気が立ち込めている。
「これは……魔獣の呪い?」
「そうです。触れた者は数日で“影”になります」
ルークの声が低く響く。
「影?」
「魂を失い、闇の器となる者たちです」
美咲は一瞬ためらった。
教典では、“影”となった者は浄化すべき存在とされている。
だが、目の前の少女の涙が、それを許さなかった。
「……私が、行きます」
「危険です。命令では——」
「命令よりも、人を救うことを選びたい」
美咲は光をまとい、黒い瘴気の中へ踏み込んだ。
* * *
中は暗く、空気が重い。
床には男が横たわっていた。
皮膚は灰色に変色し、瞳には光がない。
「まだ……生きてる」
美咲は膝をつき、手をかざした。
光が溢れ、瘴気を押し返す。
だが、黒い腕が男の体から突き出てきた。
「っ!」
美咲の体が弾かれる。
影が呻き声を上げ、襲いかかる。
その瞬間、鋭い刃が閃いた。
ルークが剣を抜き、影を一閃した。
闇が弾け、男の体が崩れ落ちる。
「……助けたの?」
「救えた、とは言い難い」
ルークは剣を拭いながら答えた。
「彼の魂はもう戻らない。だが、“影”にはしなかった。それだけです」
沈黙が降りる。
外では、少女が父の名を呼んでいる。
美咲は唇を噛み、拳を握った。
「……私は、もっとできるはずなのに」
「それが“聖女”の苦しみです」
ルークは小さく息を吐いた。
「貴女はまだ、知らない。——この国の祈りが、どれほどの犠牲の上に成り立っているかを」
炎が揺れ、影が二人の間を走った。
そして夜風が、静かに祈りの音を運んでいった。
* * *
翌朝、出立の準備をしながら、美咲はふと問いかけた。
「ルーク。あなたは……なぜ私に付き従うの?」
彼は一瞬だけ沈黙した。
そして、わずかに笑った。
「私の使命は、“導くこと”です。
だが——もし貴女が正しいと信じる道を選ぶなら、私はそれを“見届ける者”でありたい」
馬車の車輪が再び軋む。
村の人々が手を振り、光がその姿を包み込む。
その光の中で、美咲は決意を固めていた。
——この世界の真実を知る。
——そして、家族を探し出す。
ルークは、そんな彼女の横顔を見つめながら、静かに呟いた。
「……運命の歯車が、また一つ動いたな」
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設定補足(第14話時点)
◆影(シャドウ)
魔獣の瘴気や呪詛により、魂を奪われた人間。
自我を失い、魔に操られる存在となる。
聖教会では「異界の穢れ」として浄化の対象。
◆サルヴァリア神国の構造
《聖都アルセリア》を中心に五つの神殿都市を持つ。
各地で“巡礼”と称し、聖女を通して信仰の再確認を行う制度がある。
表向きは敬虔だが、裏では異界由来の存在を「闇」として排除している。
◆ルーク・ヴェリスの素性
神国直属の聖騎士。
しかし、その正体は“セラフィアによって作られた人工生命体”。
魂の一部が「門の欠片」に反応するよう設計されており、美咲を通して“門”の覚醒を促す役割を持つ。
本人はまだその事実を知らない。
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