第13話 銀の聖女の影

 祭壇の前で祈りを捧げると、光の粒がゆっくりと降り注いだ。

 無数の信徒たちが静かにひざまずき、口々に「聖女ミサリア」と名を呼ぶ。

 だが、美咲の心は静まり返っていた。

 ——これは祈りなのか、それとも支配なのか。


 神国サルヴァリアに来てから、すでに三週間が経っていた。

 毎日、聖堂で民を癒やし、儀式に出席し、聖教会の指導者たちと顔を合わせる。

 それは「奇跡の連鎖」として国中に広まり、美咲は聖女として完全に崇められていた。


 だが、同時に感じていた。

 ——この国には、何かがおかしい。


 夜になると街の明かりが一斉に消え、神官以外の者は外出を禁じられる。

 信仰を拒んだ者は“浄化”の名のもとに姿を消した。

 人々の笑顔の奥に、恐怖の影がある。


 (これが……信仰の国?)


 その夜、美咲はひとりで聖堂裏の回廊を歩いていた。

 静寂の中、足音がやけに響く。

 ——そのとき、壁の隙間から微かな声が聞こえた。


 「……聖女様は、本当に“人”なのか?」

 「まさか。あの光は神の化身だ。だが、噂もある。“異界の者”だって……」


 美咲は立ち止まり、息をひそめた。

 (異界……? やはり、この国も知っているの?)


 不意に背後から光が差し込んだ。

 「聖女様。——夜更けにどちらへ?」

 声の主は、高司祭エドガルだった。

 相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、その目は笑っていなかった。


 「少し、空気を吸いたくて」

 「……お気持ちは分かります。しかし、この時間に聖堂を離れるのは危険です」

 彼の言葉に、わずかな圧がこもる。

 「申し訳ありません」

 美咲が頭を下げると、エドガルは満足げに微笑んだ。

 「すぐに儀式がございます。——“聖導師セラフィア”様からのご指名です」


 その名に、胸が強く脈打った。


     * * *


 翌日。

 聖堂最奥の地下。

 そこには、普段信徒の立ち入りが禁じられている「白の間」と呼ばれる空間があった。

 美咲は神官たちに導かれ、中央の祭壇へと立たされた。


 周囲には光を反射する魔法陣。

 その中心に浮かぶ水晶球が、静かに脈動している。


 「セラフィア様との“交信”が始まります」

 神官の言葉に、美咲は唾を飲み込む。

 (交信……? まさか、直接話せるの?)


 光が弾けた。

 水晶の中から、女の姿が現れる。

 白金の髪。金色の瞳。

 そして、悠斗が聞かされた通りの名を持つ者——聖導師セラフィアだった。


 《……久しいわね、調律者》

 「あなたが……セラフィア?」

 《ええ。あなたの存在を感じていた。あなたは“門”の第二の欠片。》


 「門……?」

 《この世界とあなたたちの故郷を繋ぐ“次元の接点”。

  あなた方一家は、門の崩壊によってこの地に散ったのです。》


 「家族が……生きているの?」

 《ええ。だが、欠片が離れたままでは、世界は均衡を失う。

  いずれこの星は“歪み”に呑まれるでしょう。》


 美咲の胸に、恐怖と希望が入り混じる。

 「それを防ぐには……どうすれば?」

 《すべての欠片を集め、“門”を再び開くこと。

  あなたがその中心となるのです、聖女ミサリア。》


 「でも、それは——」

 《世界を救うことと、あなたの家族を取り戻すことは同じ意味です。》


 甘く、誘うような声。

 だが、その奥に冷たいものが潜んでいた。


 セラフィアは微笑む。

 《近いうちに、あなたのもとへ“導き手”を送ります。

  彼と共に歩みなさい——それが運命です。》


 光が消え、沈黙が戻った。

 神官たちは恍惚の表情でひざまずく。

 「……神が、聖女様に道を示された……!」


 だが美咲は、祭壇の前で立ち尽くしていた。

 頭の奥に残る声が、消えない。


 《——門を開け。》


     * * *


 夜。

 窓の外で風が鳴る。

 美咲は机の上に広げた羊皮紙を見つめていた。

 そこには“聖教会の信条”が書かれている。


 > 《光は唯一、闇を裁き、異界を閉ざす》


 その一文に、心がざわついた。

 (……異界を“閉ざす”?)


 セラフィアは「門を開け」と言った。

 聖教会は「異界を閉ざす」と言う。

 どちらが真実なのか。


 その時、扉が叩かれた。

 入ってきたのは、黒衣の青年だった。

 琥珀色の瞳に、薄く笑みを浮かべている。


 「初めまして、聖女ミサリア様」

 「あなたは……?」

 「セラフィア様の命により参りました。“導き手”——名を、ルークと申します」


 男は片膝をつき、頭を下げた。

 その仕草の奥に、何か得体の知れない影が見えた。


 「貴女の旅路を導くこと。それが、私の役目です」


 美咲は息を呑んだ。

 そして、運命の歯車がまた静かに回り出した。



---


設定補足(第13話時点)


◆聖導師セラフィア

異界研究を行う聖教会の中枢人物。

“神の再臨”を信じ、異界転生者を「門の欠片」として集めようとしている。

その真意は未だ不明だが、彼女自身も“異界由来”の存在である可能性がある。


◆ルーク・ヴェリス

聖導師直属の使徒。

寡黙で礼儀正しい青年だが、表情の裏に冷徹な意志を隠す。

本来は「監視者」でもあるが、美咲に対して複雑な感情を抱き始める。


◆門の欠片

転生者の魂に宿る“異界波動”の断片。

世界のバランスを保つために必要だが、使い方次第では次元の崩壊を引き起こす。

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