第7話 王都の影

 王都ルメリアは、昼と夜とでまるで別の顔を見せる。

 昼間は商人の喧噪と馬車の音が響き、

 夜になると灯火と音楽が街を彩る。

 だがその明るさの裏には、影が濃く落ちる。


 悠斗はその影の中に立っていた。

 宿での生活費を節約しようと、古着屋で安い外套を買い、街の裏通りを歩いていたのだ。

 魔法学院の入学試験は三日後。

 その前に、王都という場所を肌で知っておきたかった。


 石畳の隙間から雑草が伸びる。

 漂うのは香辛料と鉄の匂い、そして少しの血の臭い。

 表通りとは違う、現実の生臭さがここにはあった。


 「……静かすぎるな」

 背後を気にした瞬間、腕に衝撃が走った。


 「っ!?」

 何かが袖を引っ張り、素早く走り去る。

 見ると財布袋が消えていた。


 「待て!」


 悠斗は駆け出す。

 通りの奥、木箱の影を抜け、狭い路地を曲がる。

 逃げる影は小柄で、身軽だった。

 地面を蹴るたびに砂埃が舞う。


 「返せよ、それ!」


 角を曲がった瞬間、何かが目の前に飛び出した。

 少女だった。

 銀髪に琥珀色の瞳。耳がわずかに尖っている。

 年は十歳前後。だがその動きは野生の猫のように素早い。


 「……あんた、速いね」

 息を弾ませながらも、少女は余裕の笑みを浮かべる。

 「悪いけど、これも生きるためなんだ」


 手の中には、悠斗の財布。

 中には宿代と、ギドからもらった最後の銀貨。


 「困るよ、それがないと……」

 「みんなそう言うの」


 少女が踵を返す。

 そのとき——風が渦を巻いた。


 悠斗は咄嗟に手を伸ばした。

 指先に魔力を流し込み、風の流れを掴む。

 「《エア・バインド》!」


 見えない力が少女の足を絡め取った。

 「うわっ!?」

 転んで砂埃を上げる。


 悠斗は駆け寄り、財布を奪い返した。

 少女は目を見開いたまま、動けずにいる。

 「魔法……? ただの人間じゃないのね」


 悠斗は息を整え、ため息をついた。

 「盗むより、助けを求めたほうがいいんじゃないか?」

 少女は鼻を鳴らす。

 「助けをくれる人なんていないわ。特に“耳”を見た瞬間、みんな離れていく」


 彼女が髪をかき上げると、耳がはっきりと見えた。

 細く尖った、エルフの耳。

 ——この世界では少数種族だと聞いている。

 偏見や差別も多いらしい。


 悠斗は腰を下ろし、手を差し出した。

 「……返してくれてもいい。俺は怒ってない」

 「……なにそれ」

 少女が戸惑うように眉をひそめた。

 「俺も……迷子みたいなもんだからさ」


 しばし沈黙のあと、少女は小さく笑った。

 「変な人間。……名前は?」

 「ユウト。君は?」

 「ルーナ」


 その名は、月の光のように儚く響いた。


 「ねえ、ユウト。あんた魔法使いでしょ?」

 「まぁ、少しだけ」

 「じゃあお願いがあるの。友達のひとりが病気で倒れてるの。薬屋に行くお金が足りない」


 悠斗は一瞬迷った。

 裏通りの話には裏がある。

 だが彼女の瞳は真剣だった。


 「……わかった。案内して」


     * * *


 連れて行かれたのは、廃屋のような建物だった。

 薄暗い部屋に、小さな子どもたちが数人寝ている。

 痩せた体、咳き込む音。

 どの顔も疲れ切っていた。


 ルーナがしゃがみ込み、少年の額を拭う。

 「ねぇ、あとどれくらいで熱が下がるの?」

 「魔法薬があればすぐなんだけど……高くて」


 悠斗は腰のポーチを探った。

 ギドから受け取った銀貨が三枚。

 宿代を考えれば、一枚でも痛い。


 ——でも。


 「この子のためなら、使ってくれ」

 ルーナが目を丸くした。

 「いいの?」

 「恩を返すと思えば安いよ」


 少女は言葉を失い、やがて小さく頷いた。

 「ありがとう、ユウト」


     * * *


 夜。

 廃屋を出ると、風が冷たかった。

 ルーナが並んで歩く。

 「変な人間ね。本当にお人好し」

 「そう言われるの、よくある」

 「ふふ……」


 彼女の笑顔は、昼間とは別人のように柔らかかった。

 だが次の瞬間、その表情が一変する。


 「——誰?」


 細い路地の奥。

 黒いローブをまとった男が立っていた。

 顔は見えない。

 ただ、異様な魔力の圧が空気を歪めている。


 「また来たのか……“収集屋”だ!」

 ルーナの声が震える。


 男が指を鳴らすと、闇の中から影がいくつも浮かび上がった。

 それは人の形をしていたが、目が虚ろで、動きがぎこちない。

 「死霊……?」

 悠斗の背筋に冷たい汗が流れた。


 「ルーナ、下がって!」


 掌に魔力を集める。

 赤い光が弾け、炎の球が闇を照らす。

 影たちが呻き声を上げ、溶けるように崩れた。

 だが、男は動じない。


 「面白い……東方の異端か」

 低く響く声。

 そして、その声には確かに“人の興味”が宿っていた。


 「ユウト、逃げて!」

 ルーナが叫ぶ。

 悠斗は腕を掴み、路地の奥へと駆け出した。


 背後で、何かが爆ぜる音がした。

 建物が崩れ、炎が夜空を照らす。

 王都の光の裏側に、確かに“闇の気配”が蠢いていた。


     * * *


 宿に戻ったのは、夜半を過ぎていた。

 ルーナは傷を負っていたが、かすり傷で済んだ。

 悠斗は冷たい水で手を洗いながら、鏡の中の自分を見た。


 ——異世界は、美しいだけの場所じゃない。

 力がなければ、誰も守れない。


 拳を握る。

 次に会う時には、あの男を倒せるほど強くなる。

 そして——この世界の“真実”に近づく。


 二つの月が窓から差し込み、

 悠斗の決意を、静かに照らしていた。



---


設定補足(第7話時点)


◆ルーナ・エルフェリス(Luna Elferis)

年齢:11歳前後。半エルフの少女。

王都のスラムで孤児たちと暮らしている。

耳の形から差別を受け、盗みを生業としていた。

魔力適性:風・回復属性。


◆収集屋(Collector)

王都の裏社会で活動する異端の魔術師集団。

「人の魂を集め、禁忌の魔法を行う」と噂される。

その存在は公には知られていない。


◆魔法体系補足

魔法は「意識」「属性」「触媒(媒介)」の三要素で成立。

言葉は不要だが、明確な“イメージ”が伴わなければ発動しない。

悠斗は感覚的にこれを理解し、詠唱なしで使いこなす。

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