四拾陸 鰤楠会の盃④

「……此度のこの兄弟の盃、確かに受け取らせていただきますわ。

兄弟衆と盃交わす以上、義理と絆はきっちり通させてもらいまっせ。

──今日からウチも鰤楠ぶりくす会の一角として、しっかり身体張らしてもらう覚悟、ここに誓わせてもらいまっさ。」


南阿なんあ組の後流しりる組長は、口上を述べると一礼し、盃に手を伸ばす。

そして中共ちゅうきょう組の近平ちかひら組長と、露西亜ろしあ組の裏島うらじま組長を交互に見つめる。

二人共、満面の笑みをたたえている。

……この二人に担ぎ上げられちゃ、かなわん。

観念したように盃に口をつける。


中共組や露西亜組は、南阿組をこの鰤楠会に引き込むため、様々な部分で便宜を図ってきた。

鰤楠銀行からの特別融資。チャカの供与に若衆の訓練。

今回持ち掛けられた鰤楠会の盃を無下に断れない程度には、依存させられていた。


今回の盃で南阿組は鉱業のシノギの販路を得ることになるが、それ以上に鰤楠会側のメリットの方が遥かに大きい。

南阿組が居を構えるシマ…そこには、海の要衝、『喜望峰』がある。

ここは、欧州連合がシノギを張る欧州地方から大西洋を通ってインド洋に出る際、必ず通過するポイントだ。


海というものは船があればどこでも通れるようでいて、実際は陸地に縛られ、通れるところが限られる。

例えば陸地に挟まれた海峡を船で通る際は、当たり前だが陸地の間の海の上を左右に陸地を見ながら進むことになる。

ではもし、この陸地を敵対する暴力団組織に押さえられたら……海峡を通過する船など、いい的にしかならない。


このような、その場所を押さえることでそこを通るしかない船の生殺与奪を握れるシマを、極道達の隠語で『チョークポイント』という。

どこの組がどこのチョークポイントを押さえているかというのは暴対課の関心事でもあり、専属の刑事によって常にマークされている。


南阿組の『喜望峰』。これはまさに『チョークポイント』であり、ここを鰤楠会が押さえれば、露西亜組は禁制品の密輸ルートを、中共組は亜米利加組や欧州連合に海からカチ込む際の経路を得ることになる。

…そして盃は結ばれた。

大成果に、裏島うらじま組長と近平ちかひら組長は顔を見合わせてニッコリと微笑んだ。


……その時。

「かんぱ~い!」

隣の座敷のあたりから厳粛な盃事の空気をぶち壊すような大音声の掛け声が響き渡る。

何事かと顔を見合わせる親分衆。


つづいてキーンというハウリング音が響き、「景気づけに一発、かましたるけェ!」と酔っ払いのような声が響く。

演歌調のゆったりとしたリズムにのり、音程を外したダミ声が響く。

鼓膜が破裂するような爆音が座敷の障子を震わせる。


……亜米利加あめりか組か!あの外道、俺らの盃事に水差しやがって!

露西亜組・裏島うらじまと中協組・近平ちかひらはこめかみに青筋を立て、憤怒の表情を見せている。


……こいは亜米利加組じゃろうな。ちいとばっかし、目立ちすぎたかもしれんばい。

印度組・茂出もいでと南阿組・後流しりるは頭を抱えている。

印度組は最近亜米利加組との親分同士の確執を抱えてはいるが、それでもシノギの面や、露西亜組を強請るタネとして亜米利加組との関係は重要だ。

そして南阿組も亜米利加組に睨まれてはシノギが回らない。


そしてバン!という大きな音を立てて、座敷の襖が勢いよく開く。

頭にネクタイを巻いた亜米利加組の組員がズカズカと入ってくる。


「オウオウ……ありゃ〜?鼻つんざくような臭せぇ匂いが漂うけぇ、てっきり便所かと思うたんじゃが……

なんじゃい、よう見りゃあ親分衆のお揃いじゃありゃせんですか〜!

ワシみてぇな三下が踏み込む場じゃねぇかもしれんけどのォ、空気が濃すぎて、勘違いしてしもうたわい。」

亜米利加組の組員は、わざとらしく鼻をつまんで見せる。


「オウ……いんや〜、邪魔したのォ、親分衆。

ところで耳に入ったんじゃが──どっかのバカタレ共が『鰤楠会』とかいう外道の寄り合い立ち上げよったらしいのォ。

親分さん方も、そがぁな筋通らん連中と付き合うたら、後々えらい目に遭うけぇ、気ぃつけんさいや。

……そうそう、あやつら、ウチのユーエスダラーじゃのうて、よう分からん貫目の足らん札でシノギ回しよるらしいのォ。

そがぁな札、受け取ったところで親分衆が困るだけじゃろうが。

安心してつかぁさいや──ワシらがきっちり潰してやりますけぇ。

……あの外道どものシノギごと、まとめてのォ。

最後はユーエスダラーでガッチリ締め上げてやるけぇ……なァ?」


そう言い放つと、亜米利加組の組員はバタンと襖を閉めて帰っていった。

後には顔を赤くして怒りの表情を浮かべている近平ちかひら裏島うらじま、青い顔をして早速盃を水にしてやろうかと思い始めた茂出もいで後流しりる、事態をよく分かっていない留浦るうらが残った。


──鰤楠会は、一枚岩ではない。各々の組の熱意や、思惑が決定的に異なり、少し揺すればガタつきが出る。

しかし、裏島うらじまは心に誓う。

…舐めやがって!テメエらの天下、いつまでも続くと思ってんじゃねぇ!

見てろ…兎に角会員増やしてやらァ!

鰤楠会でシノギ回せるようにしてやればなァ、ユーエスダラーなんざケツ拭く紙よ!


……ユーエスダラーは強力な武器だ。

しかしその弱点は、武器として使えば使うほど、その力を失ってゆくことだ。

──鰤楠会は、ユーエスダラーの天下と、それに裏打ちされた亜米利加組の天下を揺さぶるポテンシャルを秘めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る