豪雨 19:23 階段下にて

黒乃千冬

豪雨 19:23 階段下にて 前編


ひと月ほど前に死んだはずのサヨコのSNSから突然通知が来て、その投稿が

〈おはよ☆〉

だったことで、私は生きた心地がしなかった。

スマートフォンを持つ手の震えが止まらない。


「鈴村さん大丈夫?壊れてない?」

「ふへ」

会社の同僚からの呼び掛けに、狼狽してちゃんと声が出ない。

「スマホ、落としたから」

「あ、ああ、ふふふ、大丈夫みたい」

拾い上げたスマホはカバーもしていたせいか無傷だった。


画面を見ると彼女のSNSに〈おはよ☆〉の投稿があるのは、妄想でも見間違いでもなく、私の頭が壊れそうな現実だった。




サヨコとの交流は4年ほど前、SNSで相互にフォローし合ったことが始まりだった。

好きなアーティストが同じで、アカウントではアーティストの話を中心に趣味の共有をしていた。

SNSだけの付き合いが1年ほど続き、アーティストが半年の休止を終えて大きなワンマンライブを行うのをきっかけに、私とサヨコは会って一緒にライブに行く約束をした。



ライブ会場で待ち合わせをした初めて見るサヨコは、SNSの陽気な投稿に比べ、いくらか物静かに見えた。

想像していたよりも小柄で全体的に小枝のように細く、化粧っ気もない。

服装も、まるで小学生がお母さんの地味なチェック柄のワンピースを借りて、ぶかぶかのまま着ているみたいだ。

「こんにちは」と恐る恐る私の顔を下から覗き込む、少し傾けたサヨコの顔に、洗いっぱなしの黒髪がかかる。

おかっぱで眉毛の上で切り揃えた前髪に、肩から下げたキャラクターもののショルダーバッグがずり落ちそうになる姿は、申し訳ないが笑いを誘った。


「うわあ、ココさんお姉さんですね、初めましてモツナベです」

赤いベルトの付いた黒いミニのワンピースに、ハイヒールのショートブーツを履いた私は、サヨコより頭一つ背が高かった。

「やだ、確か同い年だよね、私だけに歳取らせないでよ」

「綺麗な髪の毛、自分で巻いたんですか?」

「美容師さんにしてもらったんだよ」

私とサヨコはお互い29歳の同い年なのは知っていたが、この頃はまだSNSのアカウント名でしか名前を知らなかった。



この日を境にたまたま家も近かった私たちは、ライブイベントに限らず頻繁に会うようになった。

SNSでの交流も変わらず続き、私たちは仲の良い女友達という感じだった。


付き合いが長くなるにつれ、サヨコがファンシー雑貨の店でパートをしていること、既婚者で結婚6年目になること、妊活をしていること、出身地がM県であることなどを知った。


そんなサヨコのSNSは1カ月以上止まったままになったのち、妻が死んだ旨と生前のお礼などを述べた文章が夫により更新された。


それから数日後に投稿された〈おはよ☆〉

生前のサヨコの予約投稿だったのだろうかと、時間を確認するも19:23という表示。

予約にしては細かすぎる時間設定だ。

それにわざわざ〈おはよ☆〉を1カ月以上も先に予約投稿する理由がない。



私はサヨコの最期の日に一緒に居た。

つまりあの事故の日に一緒に居て、事故に遭うサヨコの姿も目撃していた。

その日は2人で新しくできたカフェに行く予定だったが、あいにく悪天候と重なった。

窓の外の雨を眺めながら、アーティストの情報交換や他愛もない話に笑いあった。

SNSで見たのと同じ、テディベアの形をした炭みたく真っ黒なケーキを食べたあと、楽しい空気に押されるように雨の中ショッピングもした。


いくつか店を回って、サヨコが夫に新作のコンビニスイーツを買って帰りたいと言うので、コンビニに入った。

サヨコは生クリームとチョコレートクリームが二層になったシュークリームを2つ買い、私はいつも食べているヨーグルトとポテトチップスを買った。

コンビニを出る頃には、雨はさっきよりも激しく強くなっていた。


傘をさした私たちは地下鉄の入り口に向けて、身を寄せるようにして歩いた。

別れ際私は、サヨコのビニール傘の柄に、ヨーグルトから剥ぎ取った〈おはよ☆〉と書かれた横長のシールを巻き付けた。

「え、なにこれ?」

雨音に消されないようにサヨコが少し声を張った。

「なくさないように、目印だよ」

私も声を大きくして伝えた。

何の特徴もないサヨコの傘は、電車内に忘れでもしたら、目印なしでは同じような傘の忘れ物に紛れてしまいそうだった。


「そっか、ありがと、何か可愛い。じゃあ私降りるね、またね」

サヨコはそう言って傘を畳んで手を振ったあと、足を滑らせて地下鉄の階段を下まで転がり落ちた。

私は慌てて階段を駆け降りて、救急車を呼んで、それからしばらくしてサヨコは病院で息を引き取った。


病院で初めてサヨコの夫という人を見た。

サヨコがいつもムネ君と呼んでいた、夫のムネヒコだ。

ムネヒコはサヨコが見せてくれた写真よりも数倍美しく、私は背の高い彼をしばらくただじっと近くで見上げていた。

茶色い長めの少しクセのある髪の毛や、彫りの深い大きな目、彫刻のように美しい鼻筋、なのに真っ白な肌の顔を、両手で覆って泣き始めたのが残念でたまらなかった。


「初めまして、ムネヒコさんですよね?私、鈴村チカコです。サヨコさんとは生前友人として大変お世話になりました。こんなことになって、なんて言ったらいいか」

涙に濡れたムネヒコの目が私を見た。

彼は私のことをどう思っただろう、綺麗だと思ってもらえただろうか。




ムネヒコとはあれ以来顔を合わせていない。

サヨコの葬儀も近親者のみで既に行われ、SNSで知り合ったであろう、私以外の友人も参列することはなかった。


サヨコが亡くなったお知らせの投稿から、ムネヒコがサヨコのアカウントを動かせるのは分かっている。

仮にあの〈おはよ☆〉がムネヒコだったとして、どう記憶を遡ってもあの一瞬がムネヒコに知られる方法が思いつかない。


誰かが私たち2人を見ていたとして、雨の中、傘をさした状態で、ヨーグルトから剥ぎ取ったシールをサヨコの傘に貼り付けた手元の細かい動作を、いったい誰が目撃できただろう。

そのあとに起きたことも、1秒も逃さず見ていたなんて。

そしてサヨコのアカウントを操作して、シールの言葉を使って私に警告までするなんて、その誰かにも想像がつかない。


サヨコと私、共通のフォロワーだろうか。

サヨコが誰かと、趣味のアカウントを共有していた可能性があるとすれば、一番仲の良い私以外に居るとは思えない。

サヨコのアカウントは私と共有されていなかった。

私たち2人を常に監視するようなフォロワーにも、心当たりがない。

皆、趣味には夢中だが、私たち2人の関係に関心を持つ物好きなんていない。


確かなことは、投稿者は私が何をしたか知っていて警告している。

間違いない、これは警告だ。

それだけは強く感じられ、私は怯えている。


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