第5話 宣言

 私は自室のあるマンションから会社まで電車で通っている。

 研究部がいる建物は研究棟と呼ばれているが、研究棟の近くに生産技術部、設計部、品質保証部のいる建物がある。その隣に工場が林立していて、私のいる研究棟から見て工場の向こうに、企画部、営業部、総務部、人事部がいる。


 そのせいで、研究職の人たちはどうしても会社の動きを察するのが難しい。

 決定事項であれば通達がある。ただし、上層部が何をしようとしているかは、企画部や営業部が考えてきた新商品の企画書で予想するしかない。

 だから、『イマジエッセン』の炎上は心細い。


「芽亜ちゃん、見た?」

「何をですか?」

「うちの話。少し炎上していて、メディアが会社の前に集まっていたでしょ?」

「騒がしいとは思っていましたが」


 主任がスマホを見せてくれた。周囲の社員も私たちの会話を真剣に聞いている。

 そんなにも大きな問題だったのか?

 普段から新聞もテレビも見ない。スマホでニュースを見る頻度も高くない。

 SNSが『イマジエッセン』を取り上げて、盛り上がっているようだった。


『イマジエッセン、女性蔑視』

『新しい動物虐待へ』


 という話題だった。

 一つ目は、人気アニメとのコラボで、食品のパッケージに人気ヒロインが載っていることについて、女性蔑視と言われているものだった。意味が分からないが、ヒロインが性的に見えることが問題らしい。また、『イマジエッセン』の商品に興味を誘導するヒロインが、無知に見えるとの指摘もあった。パッケージに男性キャラがいないことが炎上のきっかけらしい。男性主体の会社と指摘されているが、私や主任は女性で、確か企画を動かしていたグループにも女性はいたはずだ。

 何が気に入らないかは分からないが、一部のよく分からない人がその場限りで楽しむために炎上させているのだろう。


 二つ目は、私たちが細胞の高速な増殖および細胞レベルの操作に用いている細胞の初期化技術についての倫理的な指摘だった。私たちは動物性の肉を作る場合、動物から細胞を入手する。当然、その動物は生きている。そして、その細胞を特別な技術で初期に近い状態にする。この状態は、高速な増殖と細胞レベルの操作が可能である。


 受精卵が外胚葉と内胚葉に分かれて、それぞれが他の機能を持った細胞に変化(分化)することで、臓器や筋繊維、骨、皮膚などいろんなものを作る。このとき、分化によって細胞の増殖速度は低下し、機能を得ることで他の機能は得られない、不自由な状態になる。逆に見れば、細胞の初期化技術は、細胞の増殖を加速させたり、様々な特性を付与することを可能にしていると言える。


 その初期化の工程は、細胞を受精卵に近づける行為であり、それは生命になる可能性を作ることだ。だから、その細胞で食品を作ることは生物を殺していることに変わりなく、細胞レベルの操作という禁忌に触れている分たちが悪いという考えらしい。

 そこには、毒性や発がん性の把握の難しさについても言及されている。細胞の操作の中で発がん性物質や有毒物質が発生すれば、それを起点に増殖した細胞で作製された食品は途轍もなく汚染されていることになる。


 危険性への指摘だが、これは『イマジエッセン』の技術力も知らず、知識を少しだけ手に入れた部外者が知ったかぶりをしているのだろう。『イマジエッセン』の安全に対する技術力はトップレベルである。

 科学を極め、今も努力している社員を馬鹿にするような指摘だ。


「許せない、許したくない。馬鹿にするな」


 この炎上を見れば、京生さんが何か発言をするしかなさそうだ。

 馬鹿な指摘ばかりだが、会社のために身を削っている京生さんに対応させることが悔しかった。


「芽亜ちゃん」

「何も知らない人が、新しい技術を、今後の生活をより豊かにするための技術を持つ私の会社を悪く言わないで」

「うん。みんなそう思っている」


 周囲の社員も頷く。

 対処しなければならない京生さんが不憫に思った。


——


それから数日間、炎上がなかなか収まらない中、私たち研究部はいつも通り仕事をした。

朝起きてSNSを確認する度に、無知な人々の意見が視界に入る。

悔しくて、苛立って。


京生さんが取材陣の相手をすると聞いたとき、ようやく鎮火されるって思った。

取材の前に研究部に顔を出すって言ってくれて、私たち社員の心配をしてくれたって思った。

京生さんは社員想いで、本当に優しい人だから。


——


 取材当日、私たちは京生さんの話を聞くために、オフィスに集まった。パソコンの電源は点けない。私は久しぶりに見る京生さんの姿に期待と緊張でぐちゃぐちゃだった。

 久しぶり、なんて言う時間はないだろうけど。

 取材陣に囲まれる京生さんのために、何か励ます一言を準備した方がいいだろうか?


「あ、来た」


 京生さんは海が好きで、記憶の中では肌がよく焼けていた。でも今は褐色肌というには少し白くて、サーフィンや釣りで鍛えた野生児らしい体躯からは離れて、週に一回ジムに通っているような意識高い系の細マッチョのようになっていた。

 髪は光沢が出ないようにワックスで整えられ、髪は黒く染まっていた。

 綺麗な瞳を期待したけれど、黒い漆で塗られた椀のような瞳が少しだけ怖かった。


 京生さんは姿勢を正して私たちを見渡す。

 呼吸を整えて、マイクの電源を入れ、言葉を紡いでいく。


「私たちの会社についてSNSで様々な意見が飛び交いました。その中には誹謗中傷に準ずるものもあり、社員の中では嫌な思いをした人もいるでしょう」


 はきはきした台詞だ。

 だけど、ちゃんと私たちに向けられた言葉だ。


「萌えを全面に出したイラスト、倫理に反している技術、悔しい想いをした人もいるでしょう。我々の『イマジエッセン』は動物倫理や人々の健康への“配慮”によって生まれた会社です。“配慮”を十分して、様々な技術を発展させました。しかし、何でも“配慮”すればいいわけではない」


 力強い言葉に私たちは頷く。

 大丈夫、京生さんは分かっている。会社想いの人だから。

 この人が社長で、私は本当に——


「だからこそ、我が社だけは社会に示したい。どこまでも寄り添う会社だと。SNSの意見は重く受け止め、アニメコラボの中止、細胞の初期化技術の改善、その他たくさんの意見を聞いて我が社を大きく変えていきます」


 え? 京生さん?

 私は何が起きているか分からなかった。

 でもこのとき、『イマジエッセン』が変わってしまう音がした。それは積み木が崩れるようで、醜い過ちとしか思えなかった。


「私が社員のみなさんに言いたいことはただ一つ。我が社は“配慮”します」


 京生さんは話を終えてその場を去ろうとする。

 誰も動けない、私だけは知りたい。なぜ京生さんが馬鹿な意見に耳を傾けるのか納得したかった。


「京生さんっ!」


 私の声を聞いた京生さんは振り向いた。


「白樺さん、君は実に優秀だと聞いているよ。これから忙しくなるだろうけど、君には期待している」


 京生さんは優しい笑顔で言う。

 次の瞬間、険しい顔になって、細めた瞳の向こうに冷たいものを感じた。

 社員を大切にする京生さんがどうして。


「それと、君。私のことは京生さんではなくて、布施社長と呼べ。誰がそう呼ばせたか、その呼び方を許したかは知らないが」


 京生さんはそう吐き捨てる。隣の秘書の男性から耳打ちされて、足早に去っていった。

 私は悔しくて、実験室に入っても涙が止まらなくて、手も震えていたから、実験室での作業は遠慮して、オフィスでデータをまとめて時間を潰した。

 一日は長くて、面白くなかった。




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