212:Hyluest


「────────────は、ぁ?」


 何これ。

 何これ、何これ、何これ、何これ、何これ、何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ。


「どういう、こと──ぅ、おぇ、えッ!!」


 込み上げる気持ち悪さに足がふらついて、気付けば床に這いつくばっていた。

 息が詰まって、視界がにじんで、胃の中身をすべて吐き出していた。


 鼻を突く吐瀉物としゃぶつの臭い。

 ひゅう、ひゅう、と私の喉から響く、隙間風に似た音色。


 酸欠の魚みたいに口を開けて、閉じて、しびれた舌先を、のたうち回らせる。

 手も足も凍りついたみたいに強張こわばって、まるで思い通りに動いてくれない。


「────あ、の、おん、なァァァァッッ!!」


 とても長い間、もがいて、あがいて。

 ようやっと、その言葉を吐き出せた。


「あい、つ、何を、なんで、ああ、ああ、ああっ」


 図抜けた精度の代償だいしょうとして、身体に大きな負荷をいる私の聖託みらいよちは、連続では使えない。

 最低でも五日、万全をすなら十日の休息をはさまなければならない。


 そこを突かれた。してやられた。

 予知と予知の間という、致命的な間隙かんげきを狙われた。


 油断した。過信した。慢心した。

 やりにくい相手だと、分かってたハズなのに。


 あの女は、リュドミラ・ツェッカート・イシドゥラは、シャイア最大の強国を二十年にわたって統治してきた傑物けつぶつ

 常に押さえつけて、手綱たづなを締め上げ続けて、ようやく対等を演じられる存在。


 ずっと大人しくしていたから、知らず知らずのうちに気を抜いてしまっていた。

 望む未来をすぐそこまで感じたことで、盲目もうもくになっていた。


 痛恨のあやまち。

 まさかファティマとネェラまで懐柔かいじゅうするなんて。

 他人とロクに顔を合わせる機会すら与えなかったのに、いったいどうやって。


 …………。

 違う。違う違う違う違う違う違う違う。

 とりあえず今は、そんなこと、どうでもいい。


「どうしよう」


 未来が変わってしまった。

 ために積み上げていた全てが崩れて、元に戻ってしまった。


「どうし、よう」


 もうカザマ・フジイロは殺せない。

 自分がどれだけ愛されているのかを、自分が死ねばあの人がどれだけ悲しむかを、正しく理解してしまったから。

 あの小器用な女が自分の命を守ることにてっすれば、それを奪うことは容易よういじゃない。


 そしてカザマ・フジイロが寄り添う限り、あの人の膝を折ることは絶対に出来ない。

 あの人の歩みを止めさせる唯一の手段が、失われてしまった。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」


 もう一度やり直す? そんな時間がどこにあるの?

 あと七ヶ月で、何もかも終わってしまうのに。


 どうすれば、どうすれば、どうすればいいの。

 ここから、いったい、どうすれば。


 このままじゃ、このままじゃ、このままじゃあ──






 ──ジャック様が、死んでしまう。





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