探偵とジョーカーのパソドブレ - 人狼 -
みょん
プロローグ
あの人は元から表情の変化に乏しい人だった。
無表情というわけではない。控えめにではあるが、微笑みを見せてくれる日もあった。
彼の照れくさそうなはにかみ――それは、内から湧き出た自然な笑みだった。
――しかし、今は違う。
最近自分に向けられる彼の笑顔――それが『本物』なのか、私にはもうわからない。
水槽に一滴垂らした墨汁のように、一度抱いた違和感はじわじわと広がっていく。
彼の顔。その皮膚の下。あの顔の下には、彼ではない、別の何者かがいるのではないか?
――ああ、まるで着ぐるみみたい。
もし、人間以外の何者かが、着ぐるみのように彼の皮を被っていたのだとしたら――。
「キャハハハハハ‼」
甲高い笑い声を上げ、子供たちはするりと晴夏の後ろを駆けていく。なんとなしに振り返ってみれば、上品な佇まいの母親たちが「危ないよ~」などと言いつつ、のんびり子供を追っているところだった。
「――ふぅ」
ごくごく普通の――ともすれば貧しいとも言える――家庭で生まれ育った晴夏にとって、この街は少々居心地が悪かった。
ターミナル駅からほど近い、閑静な高級住宅街。道を行く人々は皆、芸能人なのかと思うほど洗練されていて、量販店の服で固めた自分の姿が酷くみすぼらしく思えた。
(……って、そんなこと気にしてる場合じゃない。もう約束の時間なんだから)
晴夏は目の前に建つビルを見上げた。
ビル壁には『
年季が入っているビルだ。
しかし古めかしいというよりかは、レトロという言葉が似合う
「――――……」
緊張のせいでうるさく音を立てる胸を片手で押さえ、晴夏はステンドグラスの嵌められた扉を引く。意外にも扉は軋むことなく、するりと開いた。
中に入ってみると、晴夏の目に
大正ロマン風とでもいうのだろうか。
ダークブラウンの重厚な木の調度に、布張りのソファ。ソファに置かれたクッションには花模様の刺繍が施されており、部屋のアクセントになっている。
インテリアのメインは洋風だが、どこか懐かしい和の雰囲気も感じる、華やかな空間だった。
晴夏はインテリアについて詳しくはないが――美術館のようだ、という印象を持った。
(これ……。電話すればいいのかな?)
ホールの隅には、派手ではないが細かな装飾が施された木製の電話台がある。台の上には現代的な電話が鎮座しており、これだけが内装の雰囲気にそぐわなかった。
『ご来客の方はこちらにお電話ください』
電話の隣に置かれたカードには、この一文と共に内線番号が記されている。
(四時に予約していた興津です……。四時に予約していた興津です……)
電話が繋がったときに言う台詞を心のなかで暗唱しながら、晴夏は受話器を取った。
わずかに指先を震わせながら、内線番号を押す。すると――。
『はい。御守探偵事務所です』
電話はワンコールで繋がった。受話器から聞こえてきたのは、若い女性の澄んだ声だった。
「あ、あのっ……! 四時に予約していた興津です……!」
ついにこのときが来てしまった――。
覚悟を決めて名を告げると、受話器の先にいる女性は『ああ』と呟き、
『少々お待ちください。すぐに向かいます』
とだけ言って電話を切った。
通話していた彼女はなんだかあっさりしていて、逆に晴夏の緊張は増していく。
「お待ちしていました」
それから一分もしなかった。晴夏が大きく深呼吸をし――息を吐きだしたのと同じくして、エントランスホール奥の扉がガチャリと開いた。
「興津さん。応接室にご案内します」
(えっ……?)
開いた扉の先に立つ人物を目にした瞬間、晴夏の張りつめていた神経が、へにゃりと緩む。
(こ、子供……?)
どうぞこちらへ、と晴夏を呼ぶ声は、さっき電話口で聞いたものと同じだ。だから彼女は間違いなく、この探偵事務所で働いているのだろう。
だが、彼女は晴夏の想像とはまったく異なる姿をしていた。
――若い。一番に抱いた感想はそれだ。
顔の若々しさもそうだが、何より彼女はこの住宅街近くにある、中高一貫校の高等部の制服を着ている。晴夏も知っているくらい有名な学校で、街でも何度か見かけたことのある制服だ。
晴夏の頭に、なぜ女子高生が探偵事務所に?という疑問が浮かぶ。
「……?」
どうして?と晴夏が呆けていると、扉の向こうの少女は藍がかった黒髪をさらりと揺らし、小首を傾げた。
意志の強そうなキリリとした瞳に見つめられ、晴夏はハッと息を吸う。
「す、すみません……!」
謝りながら少女に駆け寄ると、彼女は下がり気味の眉を更に下げながら、「いえ」と微笑んだ。
「応接室はこちらです」
「はい……!」
少女に続いて廊下を進む。
花が活けられていたり、壁に絵がかけられていたり――ここは本当に美術館のようだ。
「どうぞ」
少女は廊下の一番奥にある部屋の扉を開けると、晴夏に入室を促す。
「どうも……」
扉を押さえている少女に目礼し、部屋に入る。中はこれまた立派な応接室だった。
「そちらにおかけください」
少女に指されたソファに座った途端、さっき外で感じた自分の場違いさを思い出す。再び緊張が高まっていくのを感じた。
(ああ……)
晴夏が腰掛けたのを確認すると、少女は一礼し、晴夏を部屋にひとり残し出ていった。
革張りのふかふかしたソファに沈みながら、晴夏はこれから自分が説明しなければならないことを脳内で復唱した。
(……気のせい、とか言われたら……どうしよう……)
慣れない場所にひとり残され、背中から不安が這い上がってくる。今にも逃げ出したい気分だ。
だがここで逃げ帰ってしまえば、探偵に相談しようと決意した数日前の自分の勇気が無駄になってしまう。
(ううん。評判良い探偵事務所なんだから……! とりあえず、話くらいは聞いてくれるはず……!)
悶々としていると、晴夏の耳に軽いノック音が聞こえてきた。
ついに探偵が来た、と晴夏は身構えるが――扉を開け入ってきたのは、さっきの女子高生だった。
お盆を手に戻ってきた少女は晴夏の前と、まだ誰も座っていない晴夏の向かいの席に、慣れた様子で湯呑を並べた。
(探偵さんは、まだ来ないのかな……。もう、ドキドキして言いたいこと忘れそうだよ……)
閉められた扉をちらりと盗み見るが、誰かが入ってくる気配はない。
「どうぞ、お召し上がりください」
少女は体をこわばらせている晴夏に、湯気を立てている緑茶を勧めた。そして部屋の隅にある台にお盆を置くと――。
ごくごく当たり前のように、晴夏の向かいにあるソファに腰を下ろした。
「えっ……⁉」
驚きが小さく口から漏れる。だが彼女はそれを気にも留めず、話し始めた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。――
「は、はい……。よろしくお願いします……」
「早速ですが、御守は高齢のため体調が思わしくなく……。現場に出るなどの直接的な仕事は、現在行っておりません」
「えっ‼ それはっ……、それは困ります‼」
晴夏は業界のなかでも評判がよく、親身になってくれる探偵がいると聞いたから、この事務所を訪ねたのだ。ここまで来てそれが空振りに終わるなど――やりきれない。
「ご安心ください」
夜子は焦る晴夏を落ち着かせるように微笑むと、一枚のカードを机の上に差し出した。
カードには《対異形探偵資格認定証》と記されている。その下には夜子の顔写真、それから名前が書かれていた。
「こ、これは――……⁉」
カードの文字を目で追った晴夏は、驚いて顔を上げる。すると、夜子のガラス玉のような瞳と、晴夏の視線がぶつかった。
「私は御守の《助手》に過ぎません。ですが、探偵資格を取得しています。――つまり、動けない彼の手足となって働くことができるんです」
そう言って夜子は、得意げな表情を浮かべた。
「私がご相談を承ります。興津さん、あなたのお話を聞かせてください。――私が御守に代わり、あなたの不安を解消してみせます」
◇ ◆ ◇
人外。妖怪。悪魔。人ではないナニカ――――。
かつてそう呼ばれ、人の影に隠れていた存在が、ある時期を境に人間社会へ積極的に干渉するようになった。
のちに《異形の者》と呼ばれるようになる彼らは、『人間を捕食し』『人間に成り代わる』という方法で、その存在を知らしめていく。
見知った誰かが、いつの間にか《異形の者》に成り代わられている――――。
それが夢幻ではなく、現実に起こってることなのだと理解したとき、人々は戦慄した。
大切な人の顔をしていても、実はその人自身はとうに喰われている。そしてその人の皮を被った別のナニカは、目の前の人物を捕食するタイミングを、今か今かとうかがっている――。
それはなんと恐ろしく――悲しいことか。
異形の者の出現により、人の世にあったはずの日常はこの世界から消え失せた。
――今では、かつての非日常が日常となってしまっている。
だが、その非日常がもたらしたのが恐怖だけではないということは、せめてもの救いだった。
異形の者は人を喰らう悪鬼羅刹ばかりではない。なかには、人との共存を望む者もいた。
人間と異形の者、そして両の血を引く者が存在する、新たな時代の幕開けだ。
けれども――人との共存を望む異形の者よりも、人を喰らう異形のほうが数は多い。
――彼らとの衝突は避けられなかった。
人間は当時できる限りの対抗をしたが、それでも世界は均衡を崩し――混沌の渦に呑まれた。
それというのもすべて、異形の者が持つ力が圧倒的だったせいだ。
異形の者の強靭な肉体、人に成りかわることを含めた様々な能力に人間は苦しんだ。
――しかし、人間側もただ怯え、縮こまっていたわけではない。
様々な戦い、そして研究の果てに――特殊な才能を持つ人間に、技術の粋を集めた特別な武器と道具を持たせれば、異形の者に対抗できることがわかったのだ。
人間にも、社会に潜む異形の本性を暴くこと、時にこの世から《排除》することが可能となった。
人々は異形の者に対峙する者たちを、当時業界を率いていた男に倣い、こう呼んだ。
《探偵》――と。
『対人』ではなく、『対異形』のエキスパート。それが対異形探偵だ。
ひっそりと人の世に紛れ込む《異形の者》。
彼らが誰に成り代わっているのか、本当に成り代わられているのかを調査し、本性を暴く。
そしてまずは対話し――交渉が決裂した際は力で制す。それができるのは、特殊な才能と技術を持つ探偵だけである。
『ただ』の人間に異形の者とやりあうすべは――まだない。
探偵の活躍により、傾いていた秩序のバランスは現在、元に戻りつつある。
また、探偵は人間との暮らしを望む者と人間とのあいだで、橋渡しの役目も担う。人以外の隣人が存在する現代において、探偵は社会にとって必要不可欠の職となった。
人間の敷いたルールに従う異形にとっては良き相談相手であり、ルールから外れた異形にとっては傲慢で邪魔な仇敵――――。
それが、対異形探偵だ。
◇ ◆ ◇
机に用意されていた資料を一枚手に取り、夜子は静かに文字の集まりに視線を落とす。
「興津さん、職場のお客様に成り代わりの疑いありとのことですが……。詳しいお話を聞かせてもらっても?」
「えっと……」
本当にこの少女に相談をしていいものか、晴夏はわずかに戸惑った。
探偵になるには、特殊な能力を求められると聞く。つまり探偵という職業は、なりたいと思ってなれるものではない。
そのような事情もあり、広く人材を確保するためにも、探偵の資格取得に年齢制限はないそうだ。
だから条件さえ揃えば、幼くとも探偵になることができるらしいが――……。
そうはいっても、やはり見た目から受ける印象というのは強い。
(聞かせても……いいのかな……)
自分の不安を、本当に目の前の娘が解消できるのか。
「……はい」
答えはすぐに出た。彼女が悩んだのは、本当に短い時間だった。
早く胸につかえているものを、誰かに聞いてもらいたい。そして、少しでも楽になりたい――。
そんな思いが強かったのは事実だ。
だが、何より夜子の堂々とした佇まいには、「言わねばならない」と思わせるだけの力があった。
オーラとでもいうのだろうか。年若いのに、彼女からは自信がはっきりと伝わってくる。
「あの……。私の勘違い……かもしれないんですけど」
晴夏は掌にかいた汗を隠すように、膝の上で拳を丸めた。
「構いません。相談料は無料ですから、どうぞお気軽に。それに、『勘』というのは案外馬鹿にできません。私たち探偵は、勘を結構信用しているんです」
夜子の薄い唇が微笑みを作る。
「そう……なんですか?」
「はい。それに勘違いであったら、それが一番いいんです。ですからお気になさらず。問題なのは……本当に《異形の者》による成り代わりが起こっていた場合です。その場合、あなたがこうして相談してくれたことで……。あなたの勘のおかげで、救われる命があるかもしれません」
救われる命――。
夜子の発した言葉は、晴夏の腹の底にずしりと響いた。
(そうだ……。そのとおりよ……)
成り代わりが発生していれば、犠牲は成り代わられた人間だけでは済まない。
一度人を喰らった《異形の者》は、きっと次の命を求めることだろう。
補助金が出るとはいえ、一般的に探偵への依頼料は安くはない。
それでも晴夏は最悪の場合を恐れ、身銭を切ろうと決心した。
生活に余裕があるわけではない。しかし、疑いを抱いてしまったのに放っておくなど――誰かが死んでしまうかもしれないのに――知らなかったで済ませるなんて、晴夏にはできなかった。
――だから、意を決しここに来たのだ。
「……聞いてくれますか?」
「もちろん」
夜子はしっかり晴夏と目を合わせて言った。
「それが私の仕事です」
晴夏は、ほぅと息を吐く。頭のなかに、今日まで不安だった様々な出来事が思い浮かんだ。
「私の職場は、小さな食堂なんですけど――」
伝えよう、自分の抱いた不安を彼女に。
◇ ◆ ◇
小さいといっても、うちのお店は本店と二号店の二店舗あるので、結構繁盛しているほうです。本店は社長、二号店は社長の息子さんが店長をやっています。家族経営のお店なんです。
私は、二号店でホールスタッフとして働いています。
成り代わられているかも……っていうお客さんは、その二号店のお客さんなんですが……。
その人は、『大原さん』っていう中年の男性です。もう長いことうちに通ってくれていて……。私が働き始めてすぐにいらっしゃるようになったから、四年は経つかな。常連さんなんですよ。
落ち着いた人で、いつもお店にはひとりでいらっしゃいます。
物静かで、店員とお喋りをするような人じゃないんですけど、暗いとかミステリアスという感じでもなくて。なんというか、本当に普通の、大人しいおじさんなんです。
そんな人なので、私たち店員もあんまり声はかけません。だからどういうお仕事をしているのかとか、どこにお住まいなのかとかはわかりません。
でも、感じのいい人ではありました。どことなくいつも穏やかな空気を纏っているような……。
すみません、わかりづらくて……。
ええと、成り代わりが起こったのかも、と感じたのが、なんだか最近大原さんの雰囲気が変わったなってところからなんで……。普段のお話もしたほうがいいかと思いまして……。
「……雰囲気が変わった?」
はい、そうなんです。一ヶ月前でしょうか。大原さんがお店にやって来たとき、ふといつもと違うような気がして……。
髪型を変えたとかそういうことでもなさそうだし、機嫌が悪そうでもなかった。
いつもと同じ大原さんだったんです。
でも……。どこかが、『最後に見た大原さんと違う』と感じたんです。
さっきもお話したように、大原さんは店員と話すタイプの人ではありませんでしたから……。こちらから「何かありましたか?」なんて聞けなくて。
結局その日感じた……違和感、とでもいいますか。それはうやむやになってしまったんです。
ですが……。大原さんがお店に来るたびに感じるんです。何かが違うって。
それで同僚に、「大原さん、雰囲気変わったね」って話してみたんです。でも、同僚はよくわからないらしくて……。
あ、その同僚っていうのが、《異形の者》と人間のハーフなんです。
うちの店には何人かいて、本店では《異形の者》も働いているんですよ。
同僚は《異形の者》の血を引いているからか、私なんかより感覚が鋭いし、もしかしたら気づいてるかもと思って……訊いてみたんですけど……。
「成り代わった《異形の者》は、《異形の者》同士でも簡単に判別はつきません。彼らはそれくらい完璧に姿――それと性格を模すことができます」
そうなんですね……。
「だからこその『勘』です。あなたの覚えた違和感には、きっと何かある。――さ、続けてください。興津さんがうちに来たのは、その勘だけが理由ではないのでは……と私は思っているのですが」
は、はい。実は……そうなんです。
なんだかおかしいな、くらいだったら、多分探偵さんに相談しようとは思いませんでした。実際、一ヶ月近く気にしすぎなんだと思うことにして、放置してましたから。
それが……。このまま放っておいていいんだろうか、って悩むきっかけになることが起こったんです。
十日前のことです。お店に来た大原さんのお会計を私が担当したんですが……。
その日、大原さんのポイントカードが全部貯まったんです。
あ、うちのお店、ポイントカードがあるんです。五百円ごとにスタンプを一個捺すんですけど、そのスタンプを二十個集めたら、次回来店時五百円引きするサービスをやっていて……。
――その日、大原さんは二十個目のスタンプが貯まりました。
それで私、「いつもありがとうございます」って言って、大原さんのポイントカードをレジの中にしまおうとしたんです。そしたら……。
……………………。
「どうしました?」
……いえ、すみません。えっと、大原さんはそんな私を見てぽかんとしました。なんで返してくれないのかって顔で……。でもすぐに、ちょっとだけ「あっ」っていう顔をして、「よろしくお願いします」って……。言ったんです……。
私、それに凄くびっくりして……。なんでって……。
そのあと、仕事が手につきませんでした……。
「なぜ驚いたのか、聞かせてもらえますね?」
はい……。
……大原さんは、どうせまたすぐに来るんだからって言って、スタンプが二十個貯まったら、いつもカードを店に預けて帰るんです。本当はやっちゃいけないことなんだと思うんですけど、大原さんは常連さんだし。レジをやるメンバーに、「スタンプが貯まったから、大原さんのカードを預かってるよ」って言えば済むことですし。
ううん。言わなくたって、お会計のとき大原さんがポイントカードを出さなかったら、『ああ、今日は割引の日だな』『レジにスタンプがいっぱいになったカードがあるな』っていうのが、店員のあいだで共通認識になっているくらい、このことは浸透してるんです。
……だから私も、いつもどおりそうしただけなのに……。
あの人のほうがびっくりした顔をするんだもの……。
大原さん、なんで……。あれはうっかり忘れたとか、そんな感じじゃなかった……。
わかっていなかった。だけど、すぐに『しまった』って顔をしたんです。読書中、読み飛ばしたページがあることに気づいたみたいな……。
やっぱりもう……、あの人は大原さんじゃないのかもしれない……。
◇ ◆ ◇
すべてを話し終え、晴夏は膝の上に一粒の雫を落とした。
胸のなかで燻っていたものをようやく吐き出すことができ、安堵と不安が瞳から零れたのだ。
「お話ありがとうございます。どうぞお茶を召し上がってください。落ち着きますから」
夜子に言われ、晴夏は目の前に置かれていた湯呑に口を付けた。緑茶はもうすっかり冷めてしまっていたが、逆にそれがよかった。疲れた晴夏の喉を潤すように流れていく。
「美味しいです……」
「お口にあったようで何よりです」
夜子は人形のように整った顔に、うっすらと笑みを浮かべた。
「では――」
少女は机上にある資料の束を手に取ると、パラパラと紙をめくる。そしてそのなかから一枚選び取ると、それを晴夏に手渡した。
渡された紙には『捜査の流れ』と書かれている。
やはり――そうなのか。
晴夏は恐る恐る、正面に座る夜子を見た。
「お話を伺い、捜査の必要有りと判断しました」
夜子は感情の読めない澄まし顔で告げた。
「この大原という人物は、成り代わられた可能性が高いです」
「あ――」
がくり、と、晴夏は自分の体から力が抜けていくのを感じた。
夜子の言葉はつまり、自分の知っている大原は、もう『食べられてしまった』という宣告だ。
「……それじゃ、大原さんは、もう……」
その次の言葉は、言えなかった。
「調べてみなければわかりません。ただ、私のこれまでの経験からいうと……」
「そんな……」
「残念です。ですが、あなたが大原という人のことを気にかけていたから、わかったことです。おかげで、新たな被害者が生まれることを防げるかもしれません」
「……はい」
「興津さんがうちに来てくれたおかげですよ。――あなたの勇気が、誰かを救います」
「そう……なんでしょうか」
晴夏が問うと、夜子は大きく頷いた。
「はい。御守探偵事務所所長・御守夕に代わり、御守の弟子であり助手の私が――必ずあなたの勇気に報います」
夜子の瞳は力と自信に満ち、美しかった。
「御守さん……」
晴夏は――信じることにした。彼女のこの
「どうか、大原さんの無念を晴らしてください――」
晴夏は静かに、そして深々と頭を下げた。
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