「虫」の神様
コテリデン
「虫」の神様
「ただいま〜」
「おかえりなさい! 移動疲れただろうから、今日はもうゆっくり休んでいいからね〜」
私の横にいた母が、笑顔を浮かべながら語りかけて来る。
「ありがと、しかしウチの玄関、いい意味でほんっとーに変わってないね」
今、私は実に3年ぶりに実家に帰省した。社会人になってからは、初めてだ。
私の生活は随分と変わったというのに、靴箱の上には、昔からずっと変わらない家族写真や色々な飾り物が置かれ、段差の奥へと黄土色の木の廊下が伸びている。ここだけ時が止まっているかのようだ。
「言われてみればそうだな〜、お前が子供の時苦手だった、虫の神様の置物だってそのまんまだぞ!」
「ちょっとパパ〜! その話は恥ずかしいからやめてよ〜! 申し訳ないけど、私いまでも虫の神様、ちょっと気持ち悪いんだからさぁ……!」
虫の神様というのは、私の地元で信仰されている、ちょっと変わった神様だ。
神社でその神様をかたどった置物を売っていて、我が家では昔から、玄関にそれを飾っているのだが、私はそれがちょっと苦手だった。
まぁ無理もない、その置物は虫の神様の名に恥じず、ムカデそのものの外見だったのだから……って、あれ?
「ちょっと待って、変なこと聞くけどさ、虫の神様ってムカデだったっけ……?」
一瞬すんなりと受け入れられたものの、私は虫の神様の置物に対し、急に強烈な違和感を感じ始めた。
「え? 急にどうしたんだ?」
父親は、きょとんとして私の顔を見つめて来た。まぁそうだよね……、私も自分で驚いている。
「なんかさ、こういう感じの細長い形ではあったと思うけど、ムカデだったかなぁ……?」
「えー、細長い形で虫って言われる生き物なんて、ムカデとかイモムシぐらいじゃないの? ほら、あんたが前帰ってきた時の写真だって、ムカデの石像が写ってるよ」
横で会話を聞いていた母が割り込み、スマホの中の3年前の写真を見せてきた。そこにはたしかに、小さな甲冑のようなムカデの古い石像の横で、ワンピースを着てぎこちない笑顔を作る私が写っていた。
石畳の奥には鳥居があり、そのさらに向こうには、この町を流れる川が見えるので、場所は虫の神様の神社で間違いない。
「あれ、ほんとだ。でもさー、なんかもうちょっとニョロっとした、滑らかなフォルムだった気がする。こんなゴツゴツした印象じゃなかったような……」
「きっと、疲れて記憶が混乱してるんだよ〜。夕飯の準備しとくから、しばらく昼寝してなって!」
写真という証拠を突きつけられた以上、きっと私の記憶違いだろう。
一旦はそう飲み込み、私はとりあえず、2階の自分の部屋に荷物を置いて休憩することにした。
階段を上がって、1番奥にあるドアを開く。少しくすんだピンクのカーテンに、白いベッド、所々うっすら黒ずむ世界地図のシートが敷かれた勉強机が出迎えてくれた。
「懐かしいなー、この感じ」
リュックをベッドに置き、なんとなく勉強机やタンスの引き出しを開けてみる。
「お、小学校の時のプロフ帳だ。こっちは高校で使った参考書……あ、中学まで使ってた財布だ」
でてくるわでてくるわ、ジャンルや年代を問わずに、懐かしいものがわんさかと。私は整理整頓が苦手なのが悩みだが、こうして引き出しをあさるとき、色々なものが予期せず出てくるのは、少しだけ面白い。
「んー、なんだこれ?」
休息を忘れて部屋あさりをしていると、勉強机の引き出しの奥に、小さな古い、少ししわの入った紙の袋が見つかった。
「あ、これ虫の神様の神社のやつだ」
袋を裏返すと、そこには堅苦しいフォントで虫の神様の神社の名前が、朱色に印刷されていた。
そういえば思い出した。今思えば酷いことだが、私は小学校高学年のころに一度、あの神社で今は亡き祖母にお守りを買って貰ったのだが、虫の神様の刺繍が気持ち悪いと袋から出しもせず、引き出しの奥に追いやったことがあった。
そうだ、あのときたしか、私は泣きながら祖母とこんな会話をした。
「ばぁば、虫の神様のお守り、気持ち悪いからいらない!」
「こらこら、そんなに嫌がらないの。気持ち悪くたって、この町に水をもたらして守って下さる、立派な神様なんだよ?」
「だいたい、なんで虫の神様なんて呼ばれてるの!? 虫ですらないじゃん!!」
そこまで思い出すと、不意に冷や汗が頬を伝う。一体私はどうして、ムカデの見た目の虫の神様に「虫ですらない」なんて言ったのだろう。
「あのねぇ、昔は虫っていうのは、今みたいに昆虫とかムカデとかだけじゃなくて、ヘビとかトカゲとかのことも言っていたんだよ」
「変なの! 別にヘビでいいじゃん!」
会話を完全に思い出すと、私は半ば衝動的に、袋の中のお守りを取り出していた。
「やっぱり、ヘビだ……」
そのお守りにははっきりと、ヘビの刺繍が施されていた。
私は夕食の時、家族にこのことを話そうかとも思った。だが、恐怖と移動の疲労感からか、とてもその気になれないまま、今日は眠ってしまった。
「あ、ママ。私今から、ちょっと散歩してくるね。なにか買い物があれば、ついでにスーパーにも寄るよ」
「え、急にどうしたの?」
「そのへんなんか変わってたりしないか見てこよっかな~、って思って」
「いいけど、気をつけてな」
「パパったら、心配しないでよー」
「じゃあ、これ折りたたみの保冷バックね。卵と納豆が安かったら買ってきて。どんなに遅くても、6時半には帰って来なよ」
「分かった、いってきまーす」
次の日の昼。どうしても気になり、私はお守りを持って、虫の神様の神社に行ってみることにした。神社までは、実家から川の横まで出て、15分ほど川に沿って歩けば簡単に着く。
(何度見ても、ヘビだよなぁ……)
川に沿って歩くなか私は改めて、カバンに入れたお守りをちらっと見る。
鱗に覆われたニョロニョロした胴体、口から出る細い舌、爬虫類らしいその目つきが、神社の名前とともに精巧に刺繍されている。とても偽物には見えない。
それにあの祖母との会話の記憶だ。脳内で捏造された記憶にしては、妙に具体的かつはっきりとしている気がする。
一方で、昨日母に見せられた写真も、合成かなにかには思えない。母は性格的に、嘘の写真を作って私をからかうタイプではないし、仮にその気になったとしても、父にも母にも、あんな精巧な加工をする知識や技術はない。
考えごとをしながら歩いているうちに、私は神社に着いていた。年季の入った鳥居をくぐると、すぐに例の石像がある。
「……ムカデかぁ」
石像はたしかに写真と同じ、ムカデのものだった。しかも、最近になってから置いた感じではない。
神社の簡単な説明が書いてある看板があったな、と思いそれも見てみた。
この町に流れる川から、無数の水路が引かれており、それがまるでムカデのようであったことから、ムカデがこの地の守り神として扱われるようになった、というようなことが書いてあった。
私の昔の記憶では、川が蛇行しているためヘビが守り神として扱われている、という話だったのだが、看板の劣化具合は記憶のままだ。
その時間は参拝者もいなかったので、私は社務所で巫女さんにも話しかけ、神社について聞いたのだが、看板と似たような話をされるだけだった。
「でも、普通川とかの神様って、ヘビなんかが多いですよね? ここに昔、ヘビの神様なんかが祀られてた時期ってありますか?」
納得できなかったので、私は若干言いがかりに近い形でヘビについて聞いてみたのだが、巫女さんはいまいちピンときてない様子だ。
「うーん、そんな話は聞いたこともないですね……。ここでは何百年も、ムカデの神様だけを祀り続けているはずです」
「そうですか……あの、このお守りは、こちらの神社の物で間違いないでしょうか?」
最後に、あのお守りだけ見せてみることにした。私はバッグからお守りを、刺繍が巫女さんの方に向くように取り出した。
「はい、そうですよ」
「実は、こちらのお守りの刺繍が、なぜヘビになっているのか気になっているんです」
私が質問すると、巫女さんは急に怪訝な表情をして答えた。
「その刺繍はムカデなのですが……」
「え?」
なにかの間違いではないかと思い、私はお守りの刺繍を確認した。
「うそ、なんで……? 変わってる……」
神社に来る直前、たしかにヘビであることを確認したお守りの刺繍は、今はムカデのものに変わっていた。
鎧のような外骨格に包まれた細長い体、口元の鋭い牙、頭から突き出す2本の長い触覚、どこからどう見てもムカデだ。もうヘビの要素はどこにもない。
「えっと、すみません、私の勘違いだったみたいです」
私はとりあえず、そういうことにしておいたが、今の奇妙な出来事への驚きは拭い切れない。
「いえいえ。こちらもヘビといえばで思い出したのですが、こちらの宮司もちょうど最近、本当はヘビなんだ、などと呟くようになったんです。もしかすると、なにか知っているのかも知れません……」
「本当ですか? 急ですが、今お会いできるでしょうか?」
「いいえ、申し訳ございません。今朝山の方に出かけて行って、帰ってきていないんです」
「そうですか……、お時間ありがとうございました」
もうすることもないので、私は戸惑いつつも、神社から出た。夕方まではまだ時間がある。山の方に行ったという神主さんを、そう簡単には見つけられないだろうとは思いつつ、ちょうど歩きやすい格好をしていたので、私も山に行ってみることにした。
子供の時から、山には何度か入っていたのだが、今日は様子が違っていた。
「クサッ! なにこの臭い!」
山道を少し歩くと、死臭のような強烈な臭いが漂っていたのだ。
「どっかで動物でも死んでるのかな……?」
今日はそんな酷い臭いの出所が、なぜか無性に気になった。私は鼻をつまみつつ、小一時間ほど歩き回り、そこを見つけた。
「なにここ……洞窟? なんかボロボロの注連縄があるし、神社関係?」
どうやら、臭いはこの中から漏れているらしい。
洞窟を覗き込むと、それらはあった。
まず、体長十数メートルはあろうかという大きさの、所々白骨化しかけた大蛇の死骸があった。乾いてはいるものの、皮と肉がだいぶ残っているので、これから臭いが出てきているのだろう。
そしてさらに恐ろしいものが、大蛇の死骸の横で、時折その肉を千切って食らう、人間よりも少し大きいくらいの超巨大ムカデだった。そのムカデには、神社の石像やお守りの刺繍がそのまま出てきたかのような迫力があった。
私が現実離れした悍ましい光景を前に、状況をうまく飲み込めないでいると、巨大ムカデがふいに頭を上げ、私の方を向いた。
一瞬の静寂のあと、巨大ムカデは、まるで私に対し勝ち誇って嘲笑うかのように牙や触覚をしきりに動かしたかと思うと、大蛇の死骸の裏から、なにかを咥えてこちらに向けてきた。
なんだろうと思って見るとそれは、50か60代ほどと思われる、男性の生首だった。質感からしておそらく、本物だ。
もう死んでいると思われるが、ムカデが牙を食い込ませると、生首の口がパクパクと動いた。
う け い れ ろ
多分、そう言っていたのだと思う。それからの記憶ははっきりとしないが、気づけば私はスーパーの前にいた。
あの光景は白昼夢かなにかだったのだ、と自分に言い聞かせつつ、私は次の日も神社に行ってみた。
だがあの日の朝以来、神主さんは行方不明となってしまっていた。
「虫」の神様 コテリデン @Cotyledon_018
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