第28話

王都の喧騒を背に、ギデオンは一人、馬を駆っていた。

英雄の凱旋からわずか数日。彼は誰にも行き先を告げず、護衛もつけず、まるで何かに追われるようにして旅に出た。目指すは、地図の上では広大で、しかし漠然とした「辺境」と呼ばれる地だ。


手がかりは、クレセント商会の輸送部隊が使っていた街道だけ。

彼は道中の宿場町で、商人や旅人たちに聞き込みを続けた。


「クレセント商会が物資を運んでいる、特別な村を知らないか?」

「食い物が美味い村だと? そりゃあ、どこの村だって自慢の一つや二つはあるだろうが……」


反応は芳しくなかった。辺境は広く、村は無数に存在する。あまりに無謀な探索だった。

だが、旅を続けるうちに、ギデオンは奇妙な噂を耳にするようになる。


「最近、東の方の森に住む獣人たちが、妙に羽振りがいいらしいぜ」

「ああ、聞いたことがある。なんでも、彼らが狩った獲物を、信じられないほどの高値で買い取ってくれる『聖人様』が、どこかの村に住んでいるとか」


聖人?

ギデオンは、その言葉に眉をひそめた。


さらに東へ進むと、噂はより具体的になっていった。

立ち寄った街の冒険者ギルドで、彼はドワーフの冒険者たちが興奮気味に話しているのを聞いた。


「聞いたか? アイナ村のグロムの旦那が、とんでもないモンを開発したらしい」

「アイナ村? あの年寄りが隠居してるだけの、何もない村だろ?」

「それが違うんだよ! なんでも、一口食えばどんな疲れも吹っ飛ぶっていう、魔法の携帯食料があるらしくてな。グロムの旦那が、旧知のギルドにだけ、こっそり卸してくれてるんだ」


アイナ村。グロム。

ギデオンの脳裏で、忘れかけていた記憶が繋がった。グロムは、かつて王都で「斧聖」とまで呼ばれた伝説のドワーフ冒険者。彼が引退して、辺境の小さな村でギルドマスターをしているという話は、騎士団の中でも有名だった。


(あのグロムが、関わっているのか……?)


ギデオンの目的地が、ついに定まった。アイナ村。それが、全ての謎の答えがある場所だ。


その頃、アイナ村の俺の工房では、ささやかな問題が持ち上がっていた。


「うーん、どうしたものか……」


俺は、腕を組んで唸っていた。目の前には、恵み畑で収穫された、バスケットボールほどもある巨大なカボチャが鎮座している。世界樹の恵みは、時々こうして俺の想像を超える規格外の野菜を生み出すのだ。


「カケル、スープにすればいいじゃないか! みんなで腹一杯食べれるぞ!」

「いや、フェン。さすがにこれ全部をスープにするのは……。そうだ、パイにするか? それとも、プリンとか……」

「プリン! それがいいぞ、カケル!」


フェンの尻尾が、期待にぶんぶんと揺れる。

そんな平和なやり取りを、工房の窓から、グロムさんが呆れたような、しかし楽しそうな顔で眺めていた。


俺たちの日常は、どこまでも穏やかだった。

勇者が、自分たちのすぐ近くまで迫っていることなど、知る由もなく。


アイナ村への最後の街道で、ギデオンは一人の吟遊詩人とすれ違った。

陽気な青年エリアスだった。


「おや、あなたは……もしかして、勇者ギデオン様では?」

エリアスは驚いたように目を見開く。

「いかにも。ここで何をしている」

「私は、素晴らしい詩の題材を探して、旅をしているのです。特に、この先にあるアイナ村は、今、大陸で最も詩心をくすぐられる場所ですよ」

「アイナ村……。お前、何か知っているのか」


エリアスは、リュートを奏でながら、うっとりとした表情で歌うように語った。

「ええ、もちろん! そこには、どんな食材でも奇跡の料理に変えてしまう、心優しき料理人がいるのです。彼の作る一皿は、エルフの女王さえも癒し、その村は今や、地上で最も豊かで幸福な場所の一つとなりました。人々は、敬意を込めて彼をこう呼びます――『辺境の聖人』、と」


辺境の聖人。

獣人たちが語っていた噂と、ここで繋がった。


「その料理人の、名を……」

ギデオンが、絞り出すように尋ねる。


「彼の名は、カケル。かつて、心ない勇者によって追放された、悲劇の英雄ですよ」


エリアスの言葉は、無邪気で、悪意のないものだった。

だが、その一言は、ギデオンの心に、雷となって突き刺さった。


カケル。

やはり、あいつだったのか。


ギデオンは、血の気が引いていくのを感じた。

自分がゴミのように捨てた男が、聖人? 英雄?

そして、自分を勝利に導いた、あの奇跡の料理の作り主?


馬鹿な。

そんなことが、あってたまるか。


ギデオンはエリアスに礼も言わず、馬に鞭を打った。

もはや、彼の旅の目的は、真実の探求ではなかった。

信じたくない現実を、自らの手で否定するため。ただそれだけのために、彼は最後の目的地、アイナ村へと、突き進んでいくのだった。

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