第26話
魔王軍との最前線、グレイロック渓谷。
勇者ギデオン率いる王国軍第三騎士団は、絶望的な状況に追い込まれていた。
「くそっ……! まだ敵の増援が来るのか!」
ギデオンは聖剣を握りしめ、荒い息をついた。
連日の戦闘と、粗末な食事。兵士たちの疲労はピークに達し、騎士団の士気は崩壊寸前だった。支給されるのは、水でふやかした硬い干し肉と、酸っぱい黒パンだけ。これでは、戦う前に心が折れてしまう。
(俺は、勇者のはずなのに……なぜだ? なぜ、勝てない……?)
王国からの期待、仲間たちの疲弊した顔、そして、じりじりと後退していく戦線。焦りが、ギデオンの心を蝕んでいく。
その時だった。
後方の補給部隊から、大きな歓声が上がった。
「なんだ、騒がしいぞ!」
「補給だ! クレセント商会の馬車が、大量の食料を運んできたぞ!」
クレセント商会。王都でも指折りの大商会だ。なぜ、こんな最前線に?
訝しむギデオンたちの元に、見たこともない兵糧が配給された。
一つは、茶色い角砂糖のような塊。もう一つは、木の実が練り込まれた、素朴な焼き菓子。
「なんだこれは……。また貴族様の気まぐれか?」
兵士の一人が、不満そうに呟く。
だが、とりあえず湯を注いでみた兵士が、次の瞬間、絶叫した。
「う、うおおおっ!? これは……シチューだ! しかも、とんでもなく美味いぞ!」
その声に、あちこちで驚きの声が上がる。
指先ほどの塊がお湯に溶けると、信じられないほど芳醇な香りを放つ、具沢山のシチューに変わったのだ。肉の旨味と野菜の甘みが溶け合った、家庭の温かさを感じさせる、深い味わい。
兵士たちは、何ヶ月ぶりかに口にする「本物の食事」に、ただただ涙を流した。
ギデオンもまた、無言でそのシチューを口に運んだ。
そして、愕然とした。
(……この味、どこかで……)
温かくて、優しくて、体の芯から力が湧いてくるような、不思議な味。
それは、パーティーを結成したばかりの頃、まだ駆け出しだった自分たちのために、一人の男が、ありあわせの食材で作ってくれた、あの時のスープの味に、どこか似ていた。
「ギデオン様! こちらのビスケットも、とんでもないですぞ!」
部下の声に我に返る。兵士たちは、もう一つの焼き菓子を興奮した様子で頬張っていた。
一口かじるだけで、疲弊しきっていた体に、みるみる力が漲ってくるのがわかる。
「なんだ、この兵糧は……。一体、どこから……」
箱に貼られた荷札には、こう書かれていた。
『辺境の、とある村より、王国と勇者様の勝利を祈って』
辺境の、村。
その言葉が、ギデオンの胸に、小さな棘のように突き刺さった。
その日を境に、戦場の空気は一変した。
カケルが作り出した究極の兵糧は、王国軍の兵士たちの心と体を、劇的に回復させたのだ。
士気を取り戻した騎士団は、本来の力を発揮し、連戦連勝。あれほど手こずっていた魔王軍の部隊を、次々と打ち破っていった。
戦場の奇跡。人々は、クレセント商会が届けた謎の兵糧を、そう呼んだ。
ギデオンは、勝利の喧騒の中で、一人、残っていた最後のシチューキューブを握りしめていた。
この食事が、戦況を変えた。それは、紛れもない事実だった。
だが、その作り主は、名乗りもせず、ただ「辺境の村より」とだけ記している。
(まさか、な……。あいつが、こんな辺境にいるはずがない。それに、あいつに、こんな奇跡を起こせるほどの力が、あるはずも……)
脳裏に、かつて自分が切り捨てた、役立たずの荷物持ちの顔が浮かぶ。
その記憶を振り払うように、ギデオンは強く頭を振った。
だが、一度芽生えた小さな疑念の種は、勝利を重ねるごとに、彼の心の中で、少しずつ、しかし確実に、その根を広げていくのだった。
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