第24話
「カケルさんの恵み畑」が生まれてから、アイナ村の日常は、豊かで穏やかなものに変わった。
畑で採れる野菜は、どれも信じられないほど美味しく、栄養価も高かった。村人たちの顔色は目に見えて良くなり、子供たちの笑い声は、以前よりも一層高く響いているように聞こえる。
俺の工房も、ますます賑やかになっていた。
ギルドに納品するジャーキーは、世界樹の恵みを受けた野菜を隠し味に加えることで、さらに風味と保存性を増し、クレセント商会を通じて王都の高級店にまで卸されるようになった。アイナ村は、今や「大陸一の美食の村」として、知る人ぞ知る存在になりつつあった。
そんなある日の昼下がり。
俺が工房でフェン、グロムさんと共に、新作の「陽だまりトマトの冷製スープ」の試食をしていると、工房の前に一台の見慣れない馬車が停まった。
「おや、お客さんかね?」
グロムさんが言う。
馬車から降りてきたのは、リュートを背負った、陽気な身なりの若い男だった。旅の吟遊詩人らしい。
「失礼! この村から、天にも昇るような素晴らしい食べ物の香りがすると聞いて、つい立ち寄ってしまいました! 私はエリアス。各地の物語と美食を愛する者です!」
エリアスと名乗る詩人は、人懐っこい笑顔でそう言うと、俺たちが食べていたスープの匂いを嗅ぎ、ごくりと喉を鳴らした。
「もしよろしければ、その一杯、銀貨数枚で譲っていただけませんか?」
もちろん、断る理由などない。
俺たちが差し出した冷製スープを一口飲んだエリアスは、その場に崩れ落ちるかのように、天を仰いだ。
「ああ……なんということだ! 太陽の恵みと、大地の慈愛、そして作り手の優しさ……その全てが、この一杯に溶け込んでいる! これは、英雄譚として語り継がれるべき味だ!」
大げさな詩人の賛辞に、俺たちは思わず笑ってしまう。
すっかり俺たちの料理の虜になったエリアスは、リュートを奏でながら、お返しに、と旅先で見聞きした様々な物語を語ってくれた。遠い国の伝説、おかしな魔物の話、そして――。
「そういえば、最近、あまり良い噂を聞かない方々もいらっしゃいますね」
エリアスは、ふと表情を曇らせて言った。
「勇者ギデオン様一行のことです」
その名前に、俺の心臓が、かすかにどきりと音を立てた。フェンとグロムさんも、ピクリと反応し、俺の顔を窺う。
「勇者様ご一行は、魔王軍との戦いで苦戦を強いられているとか。なんでも、遠征先での食料管理がうまくいかず、兵士たちの士気は下がる一方。強力なスキルをお持ちのはずなのに、本来の力を全く発揮できていない、と」
エリアスは、旅の途中で見たという勇者パーティーの野営地の様子を語った。
粗末で味気ない携帯食料、疲弊しきった兵士たちの顔、そして、うまくいかない戦況に、焦りと苛立ちを募らせるギデオンの姿。
「王国からの期待という重圧も、相当なものらしいですからね。可哀想なものです」
エリアスの話を聞きながら、俺は複雑な気持ちになっていた。
追放されたことへの恨みは、もうない。だが、彼らが苦しんでいると聞いても、心の底から「ざまあみろ」とは思えなかった。
俺は、ギデオンの焦燥感を、知っている。
あのダンジョンで俺をクビにした時の彼の瞳は、ただの傲慢さだけでなく、何かに追い詰められた者のそれだった。彼らもまた、この世界の大きな運命に翻弄される、哀れな若者たちなのかもしれない。
「……カケル?」
俺が黙り込んでいると、フェンが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
俺は、彼女に大丈夫だと笑いかける。
「いや、なんでもないさ。ただ、少しだけ、昔のことを思い出しただけだ」
その夜、俺は一人、恵み畑の前に立っていた。
世界樹の若葉が眠る畑は、月明かりを浴びて、穏やかな生命の光を放っている。この畑があれば、何千人、何万人もの兵士たちの腹を満たすことも、不可能ではないだろう。
勇者パーティーの苦境。
それは、彼らだけの問題ではない。もし彼らが魔王に敗れれば、このアイナ村の穏やかな日常も、いつかは脅かされることになる。
スローライフを、俺は愛している。
だが、その愛する日常を守るために、俺にしかできないことがあるのなら――。
俺は、畑の土をそっと撫でた。
辺境の料理人の、ささやかで幸福な物語に、再び、世界の運命という名の、ほろ苦いスパイスが振りかけられようとしていた。
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