第23話
エルドラシルから帰還して数日、アイナ村は活気に満ちていた。
俺の工房の前には、ひっきりなしに村人たちが訪れる。ある者はお土産話を聞きに、ある者はギルドに納品された珍しい魔物の肉のお裾分けをねらいに。俺の家は、いつの間にか村の新しい集会所のような場所になっていた。
そんな賑やかな朝、俺は村長と数人の農夫を連れて、村の外れにある痩せた土地に来ていた。
そこは、日当たりは良いのに、なぜか作物が根付かないと言われる場所だった。
「カケルさん、本当にここで……?」
村長が、不安そうな顔で尋ねる。
「ええ。最高の畑を作るには、最高の場所が必要です。何もないここから、始めたいんです」
俺はそう言うと、懐からそっと、女王アレクシアに授かった『世界樹の若葉』を取り出した。
手のひらの上で、若葉は生命の光を宿したかのように、優しく明滅している。
俺は、用意された畑の中心に小さな穴を掘ると、祈るように、その葉を土の中へと埋めた。
目を閉じ、俺は念じる。
ただ豊作を願うのではない。この葉に、俺の感謝の気持ちを伝えるのだ。
追放された俺を迎え入れてくれた、この村への感謝。
いつも俺を支えてくれる、フェンやグロムさんへの感謝。
そして、料理を作ること、美味しいものを食べてもらうことの、純粋な喜び。
俺の想いに応えるかのように、手のひらの下の土が、ふわりと、温かくなった。
若葉を埋めた場所から、柔らかな金色の光の波紋が広がり、畑全体をゆっくりと満たしていく。それは、魔法というより、まるで大地が心地よい眠りから目覚めるような、穏やかで優しい奇跡だった。
翌朝、村は夜明け前から、ただならぬ興奮に包まれていた。
昨日まで石ころだらけの荒れ地だった場所に、信じられない光景が広がっていたからだ。
そこには、寸分の隙もなく整えられた、完璧な畑が生まれていた。
土は、生命力に満ちた黒々とした色に変わり、その畝には、見たこともないような瑞々しい野菜たちが、朝露を浴びてきらきらと輝いている。
「おお……神よ……」
村長は、その場にへたり込んで、天を仰いだ。
そこは、もはやただの畑ではなかった。世界樹の力が作り出した、小さな聖域。
トマトは、太陽の光をそのまま閉じ込めたかのように、真っ赤に、そして甘く実っている。ジャガイモを掘り起こせば、大地のエッセンスを凝縮したかのような、濃厚な香りが立ち上った。
「カケル! なんだこれ! トマトが、果物みたいに甘いぞ!」
もぎたてのトマトを丸かじりしたフェンが、目を丸くして叫ぶ。
「ふん。土の力が違うわい」
グロムさんも、土を一つまみ指に取り、そのあまりの豊かさに感嘆の声を漏らしていた。
その日の昼食は、畑の前で、村人全員を招いての収穫祭となった。
メニューは、これ以上ないほどシンプルだ。
採れたての『陽だまりトマト』を厚く切り、エルフの国で分けてもらった岩塩と香草のオイルをかけただけのサラダ。
そして、土の香りが豊かな『大地ポテト』を、皮ごと豪快に石窯で焼き上げた、ベイクドポテト。
だが、その味は、どんなご馳走にも勝るものだった。
「甘い! なんだこのトマトは!?」
「ポテトが、バターもつけてないのに、こんなにクリーミーで……!」
村人たちの驚きと喜びの声が、あちこちから上がる。
最高の食材は、最高の調味料になる。俺が料理人としてずっと信じてきた哲学が、今、この場所で証明されていた。
陽が傾き始め、宴がお開きになる頃。
俺は、一人、新しい畑の前に立っていた。村人たちは、この畑を、感謝を込めて「カケルさんの恵み畑」と呼んでくれるらしい。
辺境の村での、穏やかなスローライフ。
世界を巡る大冒険を終え、俺の物語は、再びこの小さな村へと帰ってきた。
だが、以前とは違う。
俺の手の中には、世界を緑で満たすことさえできる、奇跡の力がある。
そして、俺の周りには、かけがえのない仲間たちの笑顔がある。
俺は、黒々とした土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「さて、と」
明日は、この最高の野菜たちと、フェンが獲ってくるであろう最高の肉を組み合わせて、どんな料理を作ろうか。
考えるだけで、笑みがこぼれた。
伝説の料理人の本当の物語は、ここから始まる。
それは、世界を救う英雄譚ではない。
愛すべき仲間たちと、この恵み豊かな大地と共に、日々の食卓をどこまでも豊かにしていく、ささやかで、しかし最高に幸福な物語だ。
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