第17話
母なる大樹の光に導かれ、俺たちがたどり着いたエルフの国「エルドラシル」は、俺の貧弱な想像力を遥かに超えた、奇跡のような場所だった。
そこには、石やレンガでできた建物は一つもなかった。
都そのものが、天を突くほど巨大な幾本もの樹々によって形作られていたのだ。家々は巨木の幹に穿たれ、あるいは太い枝の上に巣のように築かれている。それらを繋ぐのは、生きた蔓で編まれたしなやかな吊り橋や、淡い光を放つ菌類が敷き詰められた回廊だ。
「す……すごい……」
フェンが、あんぐりと口を開けて呟く。森で育った彼女でさえ、これほどまでに自然と調和した都は見たことがないのだろう。
都を行き交うエルフたちは、誰もが絵画から抜け出してきたかのように美しく、優雅だった。彼らはシルヴィアの姿を認めると、恭しく胸に手を当ててお辞儀をする。だが、彼女の後ろに続く俺――人間――と、フェン――獣人――に気づくと、その表情には隠しきれない驚きと、かすかな警戒の色が浮かんだ。
ここは、異分子の存在を許さない、あまりにも完成された聖域。俺たちは、美しくも厳しいアウェイの洗礼を受けていた。
俺たちが通されたのは、都の中心にそびえる一際大きな樹――母なる大樹の内部に作られた、広大な議場だった。
そこで俺たちを待っていたのは、玉座に座る女王ではなく、威厳に満ちた数人のエルフの長老たちだった。
その中心に座る、白銀の髪を長く伸ばしたエルフが、静かに口を開いた。彼の名はヴァレリウス。女王が眠りについて以来、この国を実質的に取り仕切っている筆頭長老だという。
「シルヴィアーナ姫。よくぞご無事で戻られました。しかし……」
ヴァレリウスの鋭い視線が、俺とフェンを射抜く。
「その者たちは? なぜ、清浄なるエルドラシルに、人間と獣人を招き入れたのですかな」
「ヴァレリウス。この方、カケル殿こそが、母上をお救いする鍵となるやもしれぬお方です」
シルヴィアは一歩も引かず、王都での出来事と、俺の料理が持つ不思議な力について説明した。
だが、長老たちの反応は、冷ややかだった。
「姫、お気持ちは察するが、悲しみがあなたの判断を曇らせておられるようだ」とヴァレリウスは静かに言った。「我らエルフが誇る最高の治癒術師や賢者たちが解けなかった呪いを、人間の『料理』ごときが解き明かせると? 馬鹿げた話です」
その言葉は、冷たい刃のように俺の胸に突き刺さった。
「ですが」とヴァレリウスは続けた。「姫がそこまで信じるからには、我らもただ否定するわけにはまいりますまい。ならば、その力を、我らの前で証明していただこう」
彼は従者に合図をし、一体の器を持ってこさせた。
その上に乗せられていたのは、手のひらほどの大きさの、しなびて色褪せた灰色の果実だった。
「これは、母なる大樹が実らせた『光の実』。かつては、太陽のように輝き、一口食べればどんな疲れも癒えたという、我が国の至宝。しかし、女王陛下が眠りについて以来、大樹もまた力を失い、今やこのような、味も香りも生命力も失われた抜け殻しか実らせなくなった」
ヴァレリウスは、その抜け殻のような果実を俺の前に差し出した。
「あなたの料理が、真に食材の生命力を引き出すというのなら、やってみせるがいい」
それは、あまりにも過酷な試練だった。
「この死にかけの『光の実』を使い、我ら全員が認めざるを得ないほどの、生命力に満ち溢れた一皿を、作ってみせよ。それこそが、あなたを女王陛下の元へ通すか否かを決める、我らの試練だ」
議場に集まったすべてのエルフたちの、疑いと、わずかな期待が入り混じった視線が、俺一人に突き刺さる。
俺は、しなびた果実をそっと手に取った。ひんやりとして、重みがない。だが、その奥底で、まだ消えていない、本当に微かな温かさを感じた。
「……わかりました」
俺は顔を上げ、長老たちを真っ直ぐに見つめ返した。
「その試練、お受けします」
俺の答えに、シルヴィアは祈るように胸の前で手を組み、フェンは「カケルならやれる!」と信じきった目で俺を見ている。
追放者の料理人が挑む、神話への挑戦。
その最初の舞台は、何百年もの間、人間の火を許したことのない、エルフの国の聖なる厨房に決まった。
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