第15話
エルフの女王を救ってほしい――。
シルヴィア王女から告げられた願いは、あまりにも重く、現実離れしていた。
俺はただの料理人だ。追放され、辺境の村で静かに暮らすはずだった、ただの男。そんな俺に、一国の女王の命が救えるはずがない。
「シルヴィアさん、お気持ちは嬉しいのですが、俺にはできません」
俺は、ゆっくりと首を振った。
「俺のスキルは、食材を美味しく『熟成』させるだけの力です。病や呪いを癒すような、そんな魔法みたいな力は……」
「いいえ、魔法ではありません」
俺の言葉を遮り、シルヴィアは強い意志を宿した瞳で言った。
「私が信じているのは、魔法ではない。あなたの料理に宿る『生命力』そのものです。母が眠りについてから、宮廷の食事は味気ないものになりました。生きるための、ただの作業です。ですが、あなたの料理を初めて口にした時、私は忘れていた『生きる喜び』を思い出した。あなたの料理には、人を、心から元気にする力がある。私は、それに賭けたいのです」
彼女の真摯な言葉に、俺は何も言い返せなかった。
だが、それでも、俺一人が背負うには、その期待はあまりにも大きすぎた。俺が押し黙っていると、それまで黙って話を聞いていた仲間たちが、口を開いた。
「カケルはすごいぞ! カケルの料理は、魔法みたいに美味しいんだ! きっと女王様も、一口食べたら元気になっちゃうって!」
フェンが、何の疑いもなく、屈託のない笑顔で言う。彼女にとって、俺の料理は絶対なのだ。
そして、グロムさんが、ゴツい手で俺の肩をバンと叩いた。
「迷うな、小僧。目の前に助けを求める人がいて、自分にやれることがあるかもしれねえなら、手を差し伸べるのが男ってもんだろ」
彼はニヤリと笑う。
「それに、面白そうじゃねえか。エルフの国の女王様を、てめえの料理で叩き起こすなんざ、大陸中の吟遊詩人が歌にするぜ?」
フェンの純粋な信頼と、グロムさんの豪快な励まし。
その二つの温かい力が、俺の心の迷いを、綺麗さっぱりと吹き飛ばしてくれた。
そうだ。俺は、もう一人じゃない。
「……わかりました」
俺はシルヴィアに向き直り、深く頭を下げた。
「俺は医者でも魔法使いでもありません。だから、女王様を治せる保証は、どこにもない。それでも……俺にできる最高の料理で、全力で協力させてください」
「……! ありがとうございます、カケルさん……!」
シルヴィアの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
俺たちが向かうべき場所は、エルフの国「エルドラシル」。
人間界の地図には載っていない、霧深き森の奥深くに隠された、神秘の国だという。
「もちろん、あたしたちも行くぞ!」
「当たり前だ。小僧一人を、エルフの国なんぞにやれるか」
フェンとグロムさんは、当然のように同行を宣言してくれた。
俺たちはまず、クレセント商会のバルトさんの元を訪れ、事情を説明した。彼は最初こそ、エルフの王女の登場に腰を抜かさんばかりに驚いていたが、すぐに商人としての鋭い顔つきに戻った。
「なんと……カケル殿、あなたは我々の想像を遥かに超える大人物でしたな。ご安心ください。あなたがエルドラシルへ行っている間、アイナ村との交易路は、このクレセント商会が責任をもって維持・発展させます。帰ってくる場所の心配は、なさいませんように」
バルトさんは、俺たちが後顧の憂いなく旅立てるよう、完璧な約束をしてくれた。
グロムさんは、一度ギルドマスターとしてアイナ村へ戻り、信頼できる部下にギルドを任せてから、すぐに後を追ってくれるという。
そして、数日後。
俺とフェンは、王都の喧騒から離れた、静かな森の入り口に立っていた。
そこには、シルヴィアと、彼女の護衛であるエルフの騎士たちが、美しい白馬に引かれた馬車と共に待っていた。
「さあ、参りましょう。私たちの故郷、エルドラシルへ」
シルヴィアが、穏やかに微笑む。
俺は、隣で目を輝かせているフェンの顔を見て、そして遠いアイナ村の仲間たちを思い、静かに頷いた。
辺境でのスローライフを夢見た追放者の旅は、今、一国の女王を救うという、とんでもない目的を帯びて、新たな一歩を踏み出す。
馬車が、人間界では見られない、淡い光を放つ苔の道を走り始めた時、俺は未知なる冒険の始まりに、胸が高鳴るのを感じていた。
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