第14話
シルヴィアと名乗ったエルフの女性の登場は、収穫祭の雰囲気を一変させた。
彼女の一言は、ただの言い争いを収める以上の、絶対的な重みを持っていた。『金獅子亭』のギュンター料理長は、もはや反論する気力も失ったのか、見習いたちに引きずられるようにして、すごすごと自分のブースへと戻っていった。
広場に残されたのは、静まり返った群衆と、俺たちのブースの前に立つ、気品あふれるエルフの女性。そして、状況が飲み込めずに呆然としている俺たちだけだった。
「あ、あの……シルヴィアさん、ですよね? アイナ村の……」
俺が恐る恐る声をかけると、彼女はいたずらが成功した子供のように、くすりと笑った。
「ふふ、ごめんなさい、カケルさん。驚かせてしまいましたね。私のことは、今まで通りシルヴィアと呼んでください」
「いや、でも、ギュンター料理長が『様』付けで……」
「あの男が勝手にそう呼んでいるだけです。それより、パイをもう一ついただけますか? とても美味しかったので」
彼女はそう言ってにっこりと笑い、何事もなかったかのように列に並び直そうとする。その自然な振る舞いに、周囲の野次馬たちも「何か高貴な方なんだろう」と囁き合うだけで、それ以上深く詮索しようとはしなかった。
だが、俺の隣にいたグロムさんだけは、ゴクリと喉を鳴らし、信じられないものを見るような目でシルヴィアを見つめていた。そして、俺の耳元で、震える声で囁いた。
「小僧……あの御方は、ただ者じゃねえぞ。エルフの王族にしか伝わらないはずの、古い紋章を身につけていらっしゃる……。それも、王女クラスの……」
エルフの、王女。
その言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。あの辺境の村の、俺の小さな店に、そんなとんでもない人物が通ってくれていたというのか。
その日の収穫祭は、シルヴィアの登場によって、俺たちの独壇場となった。
「エルフの高貴な方が絶賛したパイ」という噂は瞬く間に広場中を駆け巡り、俺たちのブースには、祭りが終わるまで途切れることのない、王都一番の行列ができ続けたのだった。
用意していた食材はすべてなくなり、俺たちは文字通り、心身ともに空っぽになるまでパイを焼き続けた。
祭りが終わり、後片付けをしていた俺たちの元に、シルヴィアが再び姿を現した。今度は、彼女の従者らしき、いかめしい顔つきのエルフの騎士を数人伴っている。
「カケルさん、今日は本当に、素晴らしいものを見せていただきました」
「い、いえ、こちらこそ、あの時は助けていただいて……」
俺が頭を下げると、シルヴィアは静かに首を振った。
「私は、真実を口にしただけです。それより、少しだけ、お話するお時間をいただけますか?」
彼女に誘われ、俺たちは祭りの喧騒が嘘のような、静かな王宮の庭園へと場所を移した。
月明かりに照らされた庭園で、シルヴィアは、これまで隠していた自分の身分と、アイナ村を訪れていた理由を、静かに語り始めた。
彼女の本当の名は、シルヴィアーナ・ルーン・エルドラ。森を愛するエルフの国、「エルドラシル」の第一王女。
そして、彼女が辺境であるアイナ村の近くまで来ていたのは、個人的な理由からだった。
「私の母は、数年前から、原因不明の眠りについたままなのです。どんな高名な治癒術師の魔法も、どんな貴重な薬も、効果がありませんでした」
彼女の表情に、深い悲しみの影が落ちる。
「ですが、古い文献の中に、一つだけ希望を見つけたのです。『世界の果ての森の奥深くで、月の光を浴びて育った食材には、あらゆる呪いや病を癒す力が宿る』と。私はその記述を頼りに、たった一人で、母を救うための食材を探す旅に出ていたのです」
月光兎(ムーンライトラビット)。
フェンが獲ってきた、あの幻想的なウサギのことだ。シルヴィアは、それを探し求めていたのだ。
「そんな時、偶然あなたの店の噂を聞きました。どんな食材でも極上の料理に変えてしまう、不思議な料理人がいる、と。そして、あなたの作った『月光兎のコンフィ』を食べた時……私は、確信したのです」
シルヴィアは、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「あなたの料理には、ただ美味しいだけではない、特別な力があります。食材の持つ生命力や魔力を、最大限以上に引き出す力が。カケルさん、どうか、私に力を貸していただけないでしょうか? あなたのその力で、私の母を……エルフの女王を、救ってほしいのです」
それは、一人の料理人が背負うには、あまりにも重すぎる願いだった。
辺境でのスローライフを夢見ていたはずの俺は、いつの間にか、一国の運命すら左右しかねない、巨大な物語の中心に立たされていることを、悟ったのだった。
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