第10話
クレセント商会のバルト氏が帰ってから、俺の工房は本格的に忙しくなった。
定期的に出荷されるジャーキーは、商業都市オリオンで瞬く間に人気商品となり、俺の元には安定した収入がもたらされるようになった。グロムさんはギルドの懐が潤ったと上機嫌だし、フェンは新しい狩りの道具を買ってもらって大喜びだ。
村人たちの俺を見る目も、すっかり変わった。今では「得体の知れない余所者」ではなく、「村に富をもたらす腕利きの職人」として、誰もが親しみを込めて接してくれる。
穏やかで、満ち足りた日々。
追放された時に夢見たスローライフは、今、確かにここにあった。
……だが、俺の心の片隅には、バルト氏が残していった言葉が、小さな火種のように燻り続けていた。
「王都の収穫祭」――。
その言葉を思い出すたびに、胸がざわつくのだ。スローライフを望む心と、自分の料理がどこまで通用するのか試してみたいという、料理人としての純粋な好奇心。その二つの間で、俺の心は揺れていた。
その夜、いつものように工房の前の焚き火を囲みながら、俺はぽつりと、二人にその迷いを打ち明けた。
「王都、か……。俺なんかが行って、どうなるんだろうな」
すると、焚き火で木の実を炙っていたフェンが、ぱっと顔を上げた。
「王都って、美味しいものがいっぱいあるのか? なら決まりだ! カケルの料理で、王都の奴らの度肝を抜いてやろうぜ!」
彼女の瞳には、一点の曇りもない。
グロムさんも、エールを呷りながら豪快に笑った。
「がっはっは! いいじゃねえか。お前の料理は本物だ。いつもふんぞり返ってる王都の貴族どもに、この辺境の村の、本物の味を教えてやるのも一興よ」
二人の言葉は、まるで乾いた薪に火を移すように、俺の心の中の火種を、ぱっと大きな炎へと変えてくれた。
そうだ。俺はもう一人じゃない。
この仲間たちと、この村の食材と、俺のスキルがあれば。
「……やってみるか」
俺は空を見上げ、呟いた。
「王都の収穫祭、出てみようと思う」
決意したからには、中途半端なものは作れない。
ジャーキーやコンフィも絶品だが、収穫祭という特別な舞台には、それにふさわしい、新たな目玉商品が必要だ。
テーマは「辺境の恵み」。
俺は数日をかけて、一つの料理を完成させた。
【熟成猪肉と木の実のパイ包み焼き】。
アイテムボックスで極限まで旨味を凝縮させた猪肉のミンチを、この森でしか採れない数種類の木の実と香り高いキノコと共に、果実酒でじっくりと煮込む。それを、バターのように濃厚な動物の乳脂肪をたっぷりと練り込んだパイ生地で丁寧に包み、石窯で焼き上げたものだ。
試作品が焼き上がった時、工房中に立ち込めたのは、もはや犯罪的とすら言える、背徳的な香りだった。
「「…………」」
試食したフェンとグロムさんは、言葉を失っていた。
サクッ、と音を立ててパイを割ると、中から芳醇な湯気と共に、肉汁たっぷりのフィリングが溢れ出す。一口食べた瞬間、二人は目を閉じて、その場に崩れ落ちそうになっていた。
「……カケル」と、グロムさんが震える声で言った。
「てめえ……とんでもねえもんを、作りやがったな……」
これなら、いける。俺は確かな手応えを感じた。
バルトさんに連絡を取り、収穫祭にクレセント商会のブースの一部を借りて出店させてもらう約束を取り付けた。いよいよ、王都への旅立ちの準備だ。
「カケル、護衛はあたしに任せろ! それに、王都の市場も見てみたいしな!」
「小僧、大事な『うちの宝』を一人で行かせるわけにはいかねえだろう。わしが目付役として、ついて行ってやる」
フェンとグロムさんが、当然のようにそう言ってくれた。俺が一度は遠慮しようとしても、「仲間だろ?」というグロムさんの一言に、何も言えなくなってしまった。
出発の前夜、村人たちが俺たちのために、盛大な壮行会を開いてくれた。
村長が俺の手を握り、「カケルさん、お前さんは、もうこのアイナ村の誇りだ。胸を張って行ってきなされ」と、涙ながらに言ってくれる。
追放され、すべてを失ったと思っていた俺に、いつの間にか、こんなにも温かい故郷と、家族のような仲間ができていた。
翌朝。俺たちは村人たちの盛大な見送りを受けながら、クレセント商会が手配してくれた、乗り心地の良い馬車に乗り込んだ。隣には、目を輝かせるフェンと、腕を組んでどっしりと構えるグロムさんがいる。
「行ってきます」
村のみんなに手を振り、俺は新しい世界への扉を開ける。
馬車は、まだ見ぬ王都の喧騒を目指して、ゆっくりと、しかし力強く、走り出したのだった。
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