第8話

ギルドとの正式契約は、俺の辺境スローライフに、想像以上の変化をもたらした。

まず、ジャーキーの注文が殺到した。アイナ村の冒険者たちがこぞって買い求めるだけでなく、グロムさんが他の支部に手紙を書いたとかで、近隣の村のギルドからも問い合わせが来るようになったのだ。


「これじゃあ、あの燻製器一つじゃ追いつかねえな」


俺の嬉しい悲鳴を聞いたグロムさんは、ニヤリと笑うと、どこからかドワーフ秘伝の図面と工具を持ち出してきた。


「任せとけ。最高の『工房』を建ててやる」


その言葉通り、グロムさんの指揮のもと、家の裏手には瞬く間に立派な燻製小屋と、天然の冷蔵庫となる地下貯蔵庫が建設されていった。噂を聞きつけた村人たちも、「いつも良い匂いをありがとうよ」なんて言いながら建設を手伝ってくれ、俺はいつの間にか、この村の一員として、温かく受け入れられていることを実感した。


俺の家は、もはや単なる住居ではなく、村の活気を支える「工房」へと姿を変えつつあった。


そんなある日、フェンが少しだけ不満そうに頬を膨らませていた。

「最近、ギルドの肉ばっかりじゃないか。あたしが獲ってきたお肉、ちゃんと食べてるか?」

「もちろん食べてるさ。フェンが獲ってきてくれる鹿肉が一番だよ」

「……ふん、ならいいけど」


そう言いながらも、彼女の狩人としてのプライドが刺激されているのは明らかだった。ギルドの冒険者たちが持ち込むありふれた獲物ではなく、自分にしか獲れないもので、カケルを驚かせたい。そんな気持ちが、彼女を新たな狩りへと駆り立てていた。


「ちょっと森の奥まで行ってくる! 今まで見たこともないようなご馳走、獲ってくるからな!」


そう宣言して森に消えていったフェンが、誇らしげな顔で帰ってきたのは、三日後のことだった。彼女が担いでいたのは、白銀の毛皮を持ち、夜の闇の中でも淡い光を放つという、幻想的なウサギだった。


「月光兎(ムーンライトラビット)だ! 貴重な獲物なんだぞ!」


グロムさんの話によると、月光兎の肉は微量ながら魔力を回復させる効果があるため、魔法使いたちが高値で取引する高級食材らしい。しかし、その肉質は非常にデリケートで、普通に焼いただけではパサパサのスカスカになってしまうため、「魔力持ちのパサパサ肉」と揶揄される、調理が極めて難しい食材でもあった。


未知なる食材は、料理人の心を燃え上がらせる。

「よし、最高の料理にしてみせる」


俺はまず、月光兎の肉をアイテムボックスで丸一日だけ熟成させ、肉質を柔らかくしっとりと変化させた。そして、日本の調理法「コンフィ」を応用する。肉を香草と共に良質な油に浸し、薪ストーブの熾火を利用して、決して沸騰しない極低温で、時間をかけてじっくりと火を通していく。


完成した「月光兎のコンフィ」は、ナイフが吸い込まれるようにスッと入る、驚異的な柔らかさを実現していた。


「……うそ、だろ?」


偶然、様子を見にきたグロムさんが、試食して絶句した。

「あのパサパサ肉が……まるでクリームのように舌の上でとろける……! それに、食ったそばから体の芯に力が灯るようだ。こいつは……魔法使いどもが全財産をはたいてでも食いたがる逸品だぞ!」


フェンも、「ふわふわで、ミルクみたいに優しい味がする!」と、夢中で頬張っている。

俺のスキルと知識は、また一つ、この世界の「食の常識」を覆すことに成功したのだ。


そんな穏やかで充実した日々が続いていた、ある晴れた午後。

俺の工房の前に、一台の立派な馬車が停まった。護衛らしき屈強な男たちに守られ、馬車から降りてきたのは、上質な服に身を包んだ、人の良さそうな笑みを浮かべた中年の男だった。


男は俺の姿を認めると、丁寧にお辞儀をした。


「はじめまして、カケル殿。突然の訪問、お許しいただきたい」

穏やかな物腰だが、その瞳の奥には、鋭い商人の光が宿っている。


「私は、商業都市オリオンにて『クレセント商会』の支部長を務めております、バルトと申します。あなた様が作られたという、あの『至高のジャーキー』について……ぜひ、詳しいお話を伺いたく、こうして参上いたしました」


風に乗った噂は、ついに辺境の村を越え、大きな商人をここまで運んできたらしい。

俺は、自分のささやかなスローライフが、思わぬ方向へ、そして大きな世界へと向かって、ゆっくりと動き出そうとしていることを予感していた。

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