第5話

フェンとの共同生活が始まって、一週間が過ぎた。

俺たちの生活は、驚くほど順調なリズムを刻んでいた。早朝、フェンが森へ狩りに出かけ、俺はその間に家の周りで薪を集めたり、村で野菜を仕入れたりする。昼前にフェンが獲物を持って戻り、二人で解体作業。そして、最高のまかない飯に舌鼓を打つ。


アイテムボックスの中は、様々な種類の肉で満たされ、それぞれが最高の食べ頃へと向かって静かに熟成を進めていた。三日熟成させた猪肉、五日寝かせた鹿のロース、そして今日、ついに十日目を迎える、あの三ツ角鹿の「スジ肉」も。


普通なら硬すぎて捨ててしまうような部位だ。だが、俺の【神々の熟成庫】は、その結合組織さえも、旨味の塊であるゼラチン質へと変えてくれるはず。


「よし、今日はシチューにしよう」


俺は朝から大鍋に水を張り、村で手に入れた香味野菜とハーブを煮込み始めた。そこに、熟成させたスジ肉をたっぷりと投入する。コトコトと、時間をかけて煮込んでいくうちに、家の中はこれまでとはまた違う、深く、複雑で、温かみのある香りに満たされていった。


その匂いは、風に乗り、村の中心部まで届いていた。

アイナ村冒険者ギルド。その扉が、ギギィと大きな音を立てて開く。現れたのは、酒場の主も思わず背筋を伸ばす、この村の顔役。ギルドマスターを務めるドワーフのグロムだった。


「マスター、エールを一杯」


カウンターにドカッと腰を下ろしたグロムだったが、その目は酒樽ではなく、森の方角を睨んでいる。ここ数日、彼の鼻を執拗に刺激してくる、あの匂い。今日もまた、昨日までとは違う、だが間違いなく極上の匂いが漂ってきていた。


「……もう我慢ならん」


グロムはエールを注文したことすら忘れ、椅子から立ち上がると、ずかずかとギルドを出て行った。向かう先は、匂いの発生源。森の入り口に立つ、一軒の寂れた家だ。


「うわー……! なんて優しい匂いなんだ! お腹が鳴って力が抜ける……」


シチューの鍋をかき混ぜる俺の隣で、フェンがくんくんと鼻を鳴らしながら、うっとりとした表情を浮かべている。


「はは、完成までもう少しかかるぞ」


俺がそう言って笑った、その時だった。


ドンドンッドンッ!


まるで攻城兵器のような、荒々しいノックが家の扉を揺らした。

「ひゃっ!?」

フェンはびくりと飛び上がり、野生動物のように低い姿勢をとって扉を睨みつける。俺も心臓が跳ね上がった。こんな辺境の村で、こんな乱暴な訪問者なんて……。


恐る恐る扉を開けると、そこには、扉と同じくらいの背丈しかない、しかし鋼のようにがっしりとした体躯のドワーフが立っていた。編み込まれた髭、鋭い眼光。その全身から放たれる威圧感は、ダンジョンで見たどんな魔物よりも強烈だった。


「……てめえか。この匂いの元は」


地響きのような低い声が、俺に問いかける。

「え、あ、はい。そうですけど……」


俺がしどろもどろに答えていると、ドワーフ――グロムは、俺の返事など待たずに家の中へ踏み込んできた。そして、一直線に大鍋へと向かう。


「これは……シチューか」


グロムは鍋の中を覗き込み、ごくりと喉を鳴らした。その表情は、先ほどの威圧感が嘘のように、純粋な食欲に満ちている。俺の背後では、フェンが「グルルル……」と喉を鳴らし、完全に警戒モードに入っていた。


「あの、何か御用でしょうか……?」

「……一杯、食わせろ」

「へ?」

「このシチューをだ。もちろん、金は払う」


グロムはそう言うと、カウンター代わりのテーブルに、銀貨を数枚、ジャラリと置いた。それは、このシチュー一杯の値段としては、明らかに多すぎる金額だった。


俺はグロムに、出来上がったばかりのシチューを深皿にたっぷりとよそって差し出した。

スプーンですくった肉塊を、グロムは疑うように眺めている。スジ肉だ。この世界の常識で考えれば、革のように硬くて食えたものじゃないはず。


だが、彼は意を決したように、それを口の中へと放り込んだ。


次の瞬間、グロムの動きが、完全に停止した。

その頑固そうな口元が、カッと見開かれた瞳が、何が起きたのかを雄弁に物語っている。


「な……なんだ、この肉は……!?」


歯など必要ない。舌と上顎だけで、ほろり、とろりと崩れていく。硬いスジだったものとは思えない、究極の柔らかさ。そして、十日間かけて凝縮された肉の旨味が、野菜の甘みと溶け合ったスープと共に、喉の奥へと流れ込んでいく。


「う……うおおおおぉぉぉっ!!!」


鋼のドワーフが、咆哮した。

それは、戦いの雄叫びではない。己の人生で味わったことのない美味に出会ってしまった、魂からの歓喜の叫びだった。


グロムは我を忘れ、一心不乱にシチューをかき込んだ。あっという間に皿を空にすると、彼はぜえはあと荒い息をつきながら、俺の顔をじっと見つめた。


「小僧……てめえ、何者だ?」


その瞳から、先ほどの威圧感は消えていた。代わりに宿っていたのは、畏敬と、そして純粋な好奇心の色だった。

俺の辺境スローライフに、二人目の、そしてとんでもなく強力な仲間が加わった瞬間だった。

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