第4話

翌朝、俺は落ち着かない気分で家の周りをうろうろしていた。

フェンは本当に、あの「グレートボア」を獲ってくるんだろうか。猪一頭分の肉なんて、この小さな家のどこに保存すればいいんだ? そもそも、俺一人で解体なんてできるわけが……。


そんな心配をよそに、太陽が空高く昇った頃、森の方から威勢のいい声が聞こえてきた。


「おーい、カケル! 持ってきたぞー!」


見ると、フェンが巨大な何かを引きずりながら、ぶんぶんと尻尾を振ってこちらへやってくる。俺は思わず身構えたが、彼女が引きずっている獲物の姿を認め、心底ほっとした。

それは巨大な猪ではなく、立派な三本の角を持つ、大柄な鹿だった。


「ご、ごめんな! グレートボア、見つけたんだけど、大きすぎて一人じゃここまで運べなかった!」


フェンは照れくさそうに頭をかく。

「いや、十分すぎるよ! すごいじゃないか、フェン。こんな大物を一人で?」

「へへん、これくらい、朝飯前だ!」


胸を張るフェンを素直に尊敬する。俺は彼女を褒め称えながら、内心で(グレートボアじゃなくて本当によかった……)と安堵のため息をついた。


「よし、じゃあ早速肉にするぞ!」


フェンはそう言うと、腰のナイフを抜き、無造作に鹿の腹に突き立てようとした。


「わ、待った、待った!」


俺は慌てて彼女を止める。

「なんだよカケル?」

「いや、解体は俺にやらせてくれないか? 少しだけ、やり方にコツがあるんだ」


不思議そうな顔をするフェンを横目に、俺は日本のキャンプ雑誌や動画で得た知識を総動員する。まずは血抜きを丁寧に行い、臭みの原因を取り除く。次に、皮を傷つけないように慎重に剥ぎ、肉を部位ごとに切り分けていく。


「へえ……。この部分はロース、こっちがヒレか。この筋が多いところは、いつも硬くて捨ててたぞ」

「いや、ここは時間をかけて煮込むと、すごく柔らかくて美味しくなるんだ。こっちのレバーやハツは、新鮮なうちに食べないと味が落ちる」


俺が淀みなく説明しながら作業を進めると、フェンの目が尊敬の色に変わっていくのがわかった。


「カケル、すごいな……。ただ料理がうまいだけじゃないんだな」

「まあ、ちょっとした知識だよ」


切り分けた肉のほとんどは、長期保存とさらなる熟成のため、アイテムボックスへと収納していく。そして、今日の昼食のために、新鮮なレバーと、柔らかそうなモモ肉を少しだけ取り分けた。


今日のまかないメニューは二品。

「三ツ角鹿のレバーと森の香草炒め」。そして、アイテムボックスで数時間だけ「短期熟成」させたモモ肉を使った、「木の実衣のカツレツ」だ。


俺が手際よく調理を進める隣で、フェンは興味津々に目を輝かせている。


「うわー! レバーって、こんなふうに料理するのか!」

「ああ。このハーブと一緒に炒めると、臭みが消えて風味も良くなるんだ」

「カツレツってなんだ? 肉に木の実をくっつけて、油で焼くのか?」

「そう。衣がサクサクになって、中の肉汁を閉じ込めてくれる」


初めて見る調理法に、フェンは質問が止まらない。一人きりのキッチンが、今は賑やかで楽しい場所に変わっていた。


そして、お待ちかねの食事の時間。


「うまっ! なにこれ、レバーってこんなにふわふわで美味しいものだったのか!?」

「こっちも! 外はカリカリなのに、中はすっごくジューシーだ! 昨日のお肉も最高だったけど、今日のも最高だぞ!」


昨日以上の勢いで料理を平らげていくフェン。その幸せそうな顔を見ていると、俺の心まで満たされていくようだった。二人で食べるご飯は、一人で食べるより、何倍も美味しかった。


俺たちがそんな風に盛り上がっていることなど、知る由もない村人たち。

だが、静かな村に起きた小さな変化は、確実に彼らの注意を引き始めていた。


家の外で大きな鹿を解体している俺たちの姿。

そして、煙突から立ち上る、これまで嗅いだことのないような食欲をそそる匂い。


「なあ、最近越してきたカケルさん、あの獣人の子と仲良くなったらしいな」

「ああ。毎日、うちの晩飯とは比べ物にならんような、良い匂いがしてくるぞ……」


畑仕事をしていた村人たちが、遠巻きに俺の家を眺めながら、そんな噂話を交わしていた。


そして、村で唯一の酒場。

昼間からエールを呷っていた冒険者ギルドのマスター、ドワーフのグロムが、ふと杯を止めた。屈強な彼の鼻が、くん、とひくつく。


「……む?」


風に乗って、微かに運ばれてくる匂い。ただ肉を焼いただけじゃない。様々な香草と、上質な脂が焼ける香ばしい匂いだ。


「なんだ、この匂いは……。腹が、減るじゃねえか」


グロムはごくりと喉を鳴らし、匂いが流れてくる森の方角を、じっと見つめた。

そんな視線が自分たちに向けられているとは露知らず、俺とフェンは、食後の満腹感に包まれながら、のんびりと昼下がりの時間を過ごしていたのだった。

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