嘔吐

「……ゔ、ぇ」


 夢から覚めた。その瞬間に、堪えがたい吐き気を覚えて喉奥に力を込める。ひどく濁った音が耳に届いてから、自分が嘔吐いていることに気がついた。耳障りだな、と思う。感情が感覚と剥離していき、視界が曖昧に揺らぐ。そんな中でどうにか身体を引きずって、手洗い場に向かった。

 夢を。

 ひどい夢を、見た。

 嫌に粘性のある水音を聞きながら、息苦しさと反射で滲む視界をそのままにしながら。それでも頭だけは正確に夢を再度描き出す。夢の内容などというものはすぐに忘れて然るべきだというのに、脳にべっとりとへばりついて離れない。紙に落ちたインクのように。拭っても拭っても、消えない。

 今日はいつも通り学校で。ああそうだ、宿題。たぶん俺の友人である彼奴はわからないだろうから、というか教えてくれとメッセージが届いてたから。早めに学校行って、宿題移させてあげないといけなくて。それから。ええと、ああそうだ。パン、賞味期限今日までだから、食べないといけない。

 生きないといけない。ちゃんと、今日を過ごさないといけない。だというのに身体に力が入らなくて、洗面台に体重をかけた。軋む音。けれど、立ち上がれない。


 ひどい夢だった。ひどい、ひどい、本当にひどい夢。


 息を吸い損なって、変な咳が出る。口の中に、吐瀉物特有の嫌な味が広がる。そんな不快感よりも、夢の残滓が体を冷やしてやまない。


 人を殺す夢を見た。

 自分を、殺す夢を見た。


 殺された自分は笑っていて、手の中にあったナイフは嫌に冷たくて、血だけは熱い。そんな夢だった。その程度の夢なのに、あの顔が頭から離れない。笑っていた。楽しそうに、幸せそうに、うれしそうに。

 死ぬ権利なんてないくせに、渇望するなよ。水で口を濯ぐだけの冷静さを取り戻してから、自分に言い聞かせる。そして、視線だけで仏間を見た。

 子供がこんなことになっていても気にしない母。そして、遺影。俺と同じ顔をした、遺影。

 双子の兄の遺影だけが、笑っている。夢の中の自分と、その顔が似ていて。……また、空っぽの胃が軋んだ。

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