井桁スーパー

鮎のユメ

肝試し

「あ、あー……見えてっかーお前ら〜」


 自撮り棒を構えて、スマホの画面に話しかける。小さくて見えにくいが、コメントが流れていくのが確認出来た。


〈見えてる〉〈くらすぎ〉〈どこいんの?〉


「はい、って訳で、言っとこやっとこ、付和〝雷堂〟〜! 雷堂らいどうでーす。今日はなんと、廃墟に、来ています…………肝試し配信、してやっからな〜?」


 いつもの挨拶をして、俺は配信画面に『雷堂』と名乗りを挙げる。肝試しというワードにザワつくコメント欄に苦笑しつつ、俺は続ける。


「廃墟っつっても、もう使われなくなったスーパーの居抜き物件なんだけどな。ほら、よくあんじゃん、おもちゃ屋が靴屋になってたりとか。アレ系の店舗が、まるまる使われないまま残ってる場所にいるって訳ね」


 俺はいわゆる配信者ストリーマーだ。と言ってもかなり底辺の。金稼ぎが出来るほど売れてもいないが、趣味程度には続けているのだ。今も視聴者数は10人未満で、登録者数も伸び悩み中である。

 元は看板が設置してあったであろう壁は崩れているが、辛うじて文字が残っており、俺はその文字を配信画面に映し出す。『井桁いげたスーパー』と書かれていた。


「なんでも、取り壊そうと計画する度に関係者が病気したり、命落としたり、いわく付きって話らしいが……いやいや、そんな馬鹿な話ねーだろ〜ってことで、今回! 俺が直々に調査してやろうと思ってな〜。お、クロカミさんいらっしゃい! いつもいるね、君w」


 べらべらと一人語りをしながら、常連のリスナーと軽口を交わす。相も変わらずこのクロカミさんという人は『いつも見てます』と初っ端にコメントを残すだけだ。それが逆に他のリスナーからも目に止まり、口々に〈いらっしゃい〉と挨拶され、すっかり定着した立ち位置にいる。


「話ばっかしてんのもなんだし、そろそろ行くか〜。……とりあえず外周をぐるっとね……?」


 冗談交じりに俺がそう告げると、帰ってくる反応は様々だった。


〈無駄口叩くなビビり〉〈心の準備出来てなくて草w〉〈雷堂! ライト!w〉


 厳しい声のリスナーには「草に草を生やすな」とだけ言っておいた。

 廃墟に足を踏み入れるが、特段珍しいものはない。割れたガラスの破片が辺りに飛び散っていたり、すっかり空のスチール棚が錆まみれで立っていたり。こういうのって片付けとかされるものではないのか? と首を傾げることもあったが、いわく付きという話を信じるならまぁそういうこともあるだろう。


「……ま、普通だな! 何も出ないし、こりゃあれだ、放送事故だよ放送事故!」


 自撮り棒で内カメラに切り替え、左手に持っていた懐中電灯を顎の下に向けて当てた。


〈うお〉〈やめい〉〈尺稼ぎ?〉

「しょーがねーだろ? こうでもしなきゃ廃墟に来た意味ないっての。っつーか、知ってるだろうけど俺普通にビビリだからな? こないだだって……」


 雑談を織り交ぜながら、決して狭くはない廃墟のスーパーを一歩ずつ進む。そう、廃墟探索の配信は初めてではない。今日を入れて3回目である。

 前回探索をした時は本当に酷かった。廃ホテルでのことだったが、さっさと進めと命令するリスナーの声に嫌々ながら従ったら、顔にべったりと蜘蛛の巣が張り付いたのだ。飛び退くように払い除けるその様子が、落としてしまったスマホのカメラにばっちり映り、情けない姿を晒したのをまだ昨日の事のように覚えている。


〈マジで焦ってたもんな、おもろ〉〈俺、クリップ残してあるぞ〉〈それは草〉


「おいお前ら! 人の無様なとこ記録してんじゃねぇよ! 性格わっる!」


 もちろんこんなやりとりは日常茶飯事で、愉快なリスナーとともに、配信を盛り上げていた。とても廃墟に来ているとは思えないほどに和やかな雰囲気だが、そうじゃなきゃ困る。普通に怖いし。

 懐中電灯で辺りを照らしながらさらに進んでいくと、不意に現れたような人型の影に思わず、


「うわっ! ……んだよ、マネキンか?」


 衣料服店も兼ねていたタイプのスーパーなんだろうか、顔のないマネキンがじっと立っていた。コメントが一斉に沸き立つ。お前らホント、人の不幸がお好きだね。

 やけに扇情的なポージングのマネキンは煤けていて、本来の白い姿がぼやけて見えた。

 マネキンの立つ背後を照らすとどうやら行き止まりだった。周囲を照らし、他にめぼしいものが無いか探したが、頭打ちらしい。


「……ま、こんなもんだよな。そりゃね? 俺だってわかってたのよ、小さいスーパーじゃねぇけど、たかがこんだけの敷地だぜ? 何も出るわけねぇって。あーあ、期待してたのに」


 実際その気持ちに嘘はない。3回目ともなる廃墟探索だが、霊的なものが配信に残せた試しはなく、ただただ暗い場所を見て回るだけの虚しい時間に、俺は嘆息する。


「そんじゃ、帰るとすっかぁ。あ、でも帰る時が一番怖くね、だってさ、こういうのって大体振り返ったらーみたいなのが多いし。だから、出口近くなったら振り返るかんな?」


 前置きし、俺は来た道へと踵を返そうと──


『──も ────』


「…………? なんか、聞こえた?」


 突如、耳に届いてきた声のような音を、俺はコメント欄に問いかけた。


〈いや?〉〈雷堂の声しかせんが。あと虫〉〈おん? ホラー期待していいヤツ?〉

「いやいや、絶対聞こえたって。なんか、人の……女の人の声、みたいなの……」

〈貴公……狂っているな……〉〈脳沸き民は静かにしててね〉


 どうやら、リスナーには聞こえていないらしいが、ならこの声は何なのだろう。

 先程まで、ホラー体験ぐらいの気持ちでいたのに、一気に肝が冷えた。じゃりじゃりとガラスを踏み抜きながら、出口まで走るように進んでいく。


「……とりあえず、さっさと出るわ。何か、嫌な予感するし。あー、なんか楽しい話すっか! ってか、近いうちにゲーム配信するんだったわ! 明日はまぁ流石にきびぃけど、明後日の夜とか──」


『────ねぇ』


 立ち止まる。明らかに、声だ。


「……は、はは、あー、これあれだろ。みんなで俺を騙そうって作戦? リスナーが事前に俺の行くとこ把握してーみたいな。サプライズってやつ? おっかねーなー、ったくよぉ」


『どうして、逃げるの』


 振り返った。懐中電灯を持つ手が震えた。

 冗談じゃない、冗談じゃ済まされないぞ、これは。


「え、あ…………!?」


 コメントなど、見る余裕もなかった。

 頭が無かったはずのマネキンに、髪が生え、そこにあった。……いや違う、足元に向けたライトから、マネキンなんかじゃないことがわかる。

 人の足だ。

 ありえない。人影なんてどこにもなかった。そんなに狭い空間でもないし、全体を見通せないほど視界が悪い訳でもない。

 なら、は一体、どこから。

 考えるより早く、足が動いた。出口まで一息に走る。跳ね上がり続ける心臓は配信に乗ってしまうほどに、強く鳴った。

 嗅ぐつもりのなかった、通り抜けた甘美な香りに思わず鼻を掻き毟った。


×××


 それから俺は、ほぼ強制的に配信を切って、疲れた体で自宅まで戻った。普段はしないのに、チェーンまでかけて用心する始末だ。

 しばらく家も出たくなかった。影が迫るような感覚がずっと、背中に張り付いている気がして……冬でもないのに羽毛布団を引っ張り出し、被る。1分もしないうちに汗が流れ出していた。

 眠れなくて、投稿されている配信アーカイブを何度も見返した。結局撮った映像には何も残っておらず、困惑した視聴者の反応と、何かに追われるように乱れるカメラの痕跡だけが映し出されていた。

 なんだったんだ。あれは。明らかに人じゃなかった。

 俺は配信アーカイブの削除を決意し、動画投稿の編集ページから一番直近の動画を消そうとした。残しておくべきものではないと感じたのだ。


 しかし。


「…………は?」


 動画が削除されない。どころか、本来遷移するはずの画面が表示されない。意味がわからなかった。バグだと思いアプリを落として試してみるも、再起動をかけて挑戦しても、反応しない。

 何が起きてる? 消せないとか、冗談じゃない。

 しかも、動画は何故かしきりにバッググラウンドで再生され続け、止むことを知らない状態だった。ついにこのスマホも逝ったか、と誤魔化すように笑った。

 情けない俺の悲鳴が意味もなく再生される中、


『ねぇ』


 不意に。

 動画には残されていなかったはずの声が。スマホのスピーカーから響いてきた。


『どうして、消そうとするの?』


 艶やかな、ハリのある、女性の声。


『わたし、あなたのファンなんだよ?』


「ひっ」


 アカウントごと消した。今度は、成功した。

 それでも、まだ背筋を這うようなえも言われぬ嫌悪感だけは、残暑のように蔓延る。

 不気味さから、スマホの電源も切った。これで、もう残るものはないはず、なのに。

 不意に嗅いだことのある匂いが鼻をついて、痒くなる。痒みは強くなる一方で、毟り取りたくなる衝動が駆け抜けた。


 香水のように少しキツい、その匂いの正体を。俺は知っていた。

 さっきも、香った匂いだ。


 うまく息を吸えない。首を回せず、全身が硬直した。

 パッと。電源を落としていたはずのスマホが、暗転を繰り返し、何も手を加えていないのに動画が勝手に再生された。

 布団に潜り込んだのは間違いだった、無防備な姿でくるまったことで、簡単に布団を剥ぎ取ることも出来ない。


『一緒に、見よ?』


 ずしり、と。重圧が俺の体を背中から覆い、身動きが取れなくなった。

 ぎりぎりと、首元を縄で締め上げるような感覚が伝う。抵抗も出来ないままに、スマホの画面から目を離すことを許されないようだった。

 もう、やめてくれ。俺が何をしたんだ、いい加減離せ。

 音にもならない声を、必死に絞り出す。絶えず背に乗る圧力に顔をしかめる。ひやりと冷たい、透明な手が頬に触れるのがわかった。

 やがて。動画は終盤へと進んでいき、俺が哀れにも逃げ惑う様子が浮かぶ。カメラはぶれまくり、映像にもなっていない。しかし、次に映ったその光景に、俺は目を疑った。

 ぶれたカメラの一瞬一瞬に、少しずつ、黒い影が、近付いていた。


 長い長い綺麗な黒髪の。

 目の陥没した、女の姿。


『わたし、あなたと一緒に映るのが夢だったの』


 俺が確かに見た、女性の姿そのもの。


『ずうっと ずうっと 一緒  だよ』


 薄れゆく景色の中。聞こえたのは、それだけだった。


『いつも 見てます


 やっと   会えたね』

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井桁スーパー 鮎のユメ @sweetfish-D

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