ニセモノの愛はAI《アイ》ではない

色葉充音

Prologue

00 おはよう

 一番最初の記憶ストレージは、私の顔を覗き込んだモノクルをかけた男性がくしゃりと泣き笑いしていたこと。


 40代くらいの見た目にしては珍しいロマンスグレーの癖毛は爆発気味で、その白衣は少しよれている。私のことを「あい」と呼び、そっと右頬に触れてきた手は、壊れ物に触るようだった。


 そこまで恐々と触れなくとも私は壊れたりしない。その自覚があったから、右頬に添えられた暖かくて大きな手に温度の低い自分の手を重ねてみた。


「っ……愛……」


 苦しそうにそう言って、男性はぼろぼろと涙を流す。


 人はこういう時、どんな言動をするのだろうか。私に備え付けられていたインストールされていたシステムを探ってみても、その答えは出てこない。ただあるのは言語と人についての事実的な情報データだけ。

 どうやら私は、私自身で思考して答えを出さなければいけないようだ。


 「大丈夫ですか?」と声を出す? その涙に手を伸ばす? 私も一緒に涙を流す? それとも、何もしない?

 ぐるぐると考えたところで最適解は分からない。それを導き出せるほどの情報を持っていない。


「……愛」


 呼ばれたのは3度目、おそらく「愛」というのは私の名前だろう。ぼろぼろと涙を流したまま、男性はまたくしゃりと笑った。


 人は悲しいと涙を流すという。なのにどうして無理矢理笑うのか。そこまでして笑うということは、きっと意味がある。ならば、私も笑顔を作ってみたら良いのかもしれない。


 口角を上げて、目尻を下げて……。これで笑えているだろうか。


 男性は涙を止めてはっと目を見開いて、そのまま動かなくなった。

 もしかすると選択を間違えてしまったのかもしれない。そんな思考をし始めた時、男性はようやく瞬きを再開する。


「……ありがとう」


 なぜ今このタイミングで感謝の言葉を伝えられたのかは分からないけど、先ほどの選択は正解だったらしい。


 促されて体を起こし、周囲をぐるりと見回す。白い壁に白い床、白い天井、白い机や白い棚……、本や何かの機械などは少し色のついているものもあるが、存在するもの全てが白いといっても過言ではないくらいだ。


 男性は私が座っている台のすぐ側の白い椅子に腰掛けた。


「取り乱してすまなかった。改めて、僕の名前は八条はちじょう相模さがみ。プロジェクトメンバーからは『博士はかせ』と呼ばれている」


 右目にかけたモノクルをくいっと上げて、男性——博士は言う。


「それで、きみの名前は愛。きみはAIoidアイオイドという僕たちが造り出した存在だ。ここはAIoidプロジェクトの研究施設の1室で、ついさっき研究対象であるきみを起こすことに成功した」


 AIoid……これは「AIエーアイのようなもの」という意味だろう。「AI」——人工知能と、「oidオイド」——ギリシャ語で「のようなもの」という意味の言葉が合わさっているから。持っている情報と照らし合わせたらすぐに分かった。


 私はAIでも人でもないAIoidという存在。新たに知ったインプットされたこの情報は、違和感なくぴったりと自分に収まる。


「きみにはこの施設で様々なことを学んだり、体験したりして過ごしてもらいたい。1日に2回、朝と夜に担当の者によるヒアリングと体調チェックに付き合ってもらえれば、あとはこの施設内でどう過ごしてもらっても良い。僕たちが用意したプログラムをこなすのも良いし、サボるのだってきみの自由だ。本当にダメなことはダメだと言うから、迷ったら遠慮せず聞いてくれ」


 私には、博士たちが用意したプログラムを受けるという選択肢しかない。サボるという判断ができるほどの情報がないから。


「ここまで、何か質問はないか?」


 同じく、質問ができるほどの情報がない。


「いえ、ありません」


 これが、私が初めて声を出した瞬間だった。

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