二十一号室

 大勢の人は、壁に囲まれた広い部屋で、微弱な水位の上昇を笑ってみていた。ドアは鍵を外から閉められた押戸で、こちらからは開かなかったものの、外からなら簡単に開けられるだろうという程度のものだった。人々は靴下が濡れたとはしゃぎ、水位が上がっても机や椅子を固定する器具を編み出し、退屈な時間を忘れさせるような娯楽をいくつも生み出した。そうした人たちの多くは、苦しくも楽観的だった。次第に体が浮かび上がり、ぐらぐらと基盤のないいささか狭くなった部屋での生活を余儀なくされていったものの、遅々極まりない水位の上昇が生命の危機を脅かす前にドアが開くか打ち破られるかして、ずぶ濡れの服を張り付かせながら外に出られるだろうと思っていた。呼吸に必要なだけの換気のため天井付近に設けられた装置の向こうから、微かに聞きなれない音がしていた。人々は、その音を外の世界の音だ、異国のメロディだとはやしたてた。しかし、期待していた外からのアクションは一向に起こらない。だんだん人々は焦りはじめた。隣のものに命乞いをするものところ構わず怒鳴るもの、最近発明された濡れた状態で書ける紙とペンで涙ながら遺書を書くものが現れた。内側から扉を開けようと躍起になる人々も多かったが、その試みはことごとく失敗に終わった。そうこうしているあいだに水位はもう人がなんとか生きていられるかというほどにまで上がっていた。まともに口が聞ける者は全体の一割くらい、あとは正気を失ってあばれまわったり、狂乱して溺れていったり、全てをあきらめ死を待つように漂ったりしていた。いよいよもう呼吸するスペースもなくなりかけていたあるとき、ある諦めの悪い男がドアを押したところ、なんとその扉が開いた。その男は大いに喜び水中で緩慢なガッツポーズを見せたものの、次の一瞬には呆然とそのポーズのまま硬直することとなった。果たしてその扉の向こうにはまた部屋があって、まったく同じように、水で満たされていた。男は天井の付近に浮かんでいるたくさんの背中を見つけた。震える体を押さえ部屋を進んでいくと、ドアは、さっきまでいた部屋からは扉のかたちをしていたが、こちらからは全くの壁であることがわかった。もちろん、鍵などはない。広い部屋を進んでいくと、開いているドアがあった。その先もまた水に満たされていて、驚いたことにその構図は何回も何回も、ずっと続いていた。十五部屋はゆうに通過したころ、男は次第に、浮かんでいる人の様子がおかしいことに気付いた。明らかに人の密度が少なかった。近付いてみると、人の姿をしたそれは腐敗が進行し、なかば白骨化していた。分解された彼らの薄い表皮や真皮、脂肪が混じり、水は薄肌色に濁っていた。男は慌てて、来た部屋を犬のように泳いで引き返した。自分が過ごしていた部屋まで戻ると、暴れていた者も、泣いていた者も大人しくなって、みなあの光景と同じように静かに、揺蕩うようにして天井にいた。今まで作って、使ってきた数々の道具や家具や娯楽品などと一緒に。彼は静かに近付いて、かつてともに太陽の夢を見た女のぶよぶよとした肌を撫で、口付けをして、目を閉じた。壁が開いて、誰かが入ってきた音がしたような気がしたが、もう、定かではない。

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掌編、ショートショート なみくに @namikuni

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