ずっとあなたが好きだった
榊ダダ
第1話
【
自分には釣り合わない人。
そう重々承知していても、惹かれてしまう気持ちは止められるものじゃなかった。
胸が引きちぎれそうに愛おしく想っていても、恐れていた未来は皮肉なほど寸分狂わずにやって来た。
分かっていた。あの子はこんな小さな田舎町で満足するような子じゃない。どうせこうなると、ずっと前から予想していた。
高校を卒業したら、あの子は東京に行くらしい。そうなってしまえば、もう私たちの間に顔を合わせる理由はなくなる。会う理由なく会ったことはたったの一度だってない。そんな間柄にはほど遠い。春が来るのと同時に、恋心に終止符を打つしかなかった。
望む関係になれることは一生ない。それは、出会ったその日から知っていたこと。なのに、何を今さらこんなに打ちひしがれてるんだろう。
始まりさえ迎えずに終わる恋はなかったものと同じ。誰にも言えず、自分の胸だけにしまってきた苦しい片想いも、いつかは風化して消え去る。そうすればきっと楽になれる。その方がいいに決まってるのに、表面的な会話を淡々と交わすこと、気遣いの笑顔を向けてもらえること、そんな薄い関係だとしても、それ以上何にもならなかったとしても、わずかな繋がりが永遠に続くことを私は願っていたのだろうか……。
あの子とは二人きりで遊んだことはない。
自分とは真逆で、コミュニケーション能力が桁外れなあの子に私は、何年経っても朝の挨拶すら身構えてしまう。それでもあの子の家にしょっちゅう遊びに行けていたのは、同じグループの一員だったから。それが全て。たったそれだけの理由で私は、あの子の家に集まるその中に、いつもしれっと参加させてもらえていた。
忘れもしない出会いは中3になりたての春の終わり。親の都合で突然中途半端な時期に他県から転入することになり、大げさかもしれないけど、私は人生最大とも言える絶望を感じていた。そんな私に後ろの席から『一緒にお弁当食べよう!』と声をかけてくれた京華ちゃんに、私はあの日からずっと感謝している。
心優しい京華ちゃんは、今でも私が唯一『友だち』と胸を張って宣言出来る人。京香ちゃんが入れてくれたグループは、6人の女の子たちの集まりで、その中にあの子はいた。
みんなとてもいい人たちで、感じが悪いととられてもおかしくないくらい口数の少ない私に対して、嫌な顔をする人は一人もいなかった。
その中でも、あの子の笑顔はひときわ眩しく輝いていた。そして、眩しいのは笑顔だけじゃなかった。初対面で、まだ一言もちゃんと会話をしたことがないような状態にも関わらず、その日の放課後にグループのみんながあの子の家に遊びに行くという話になると『よかったら
お父さんは単身赴任でひとりっ子。手芸が趣味のお母さんと二人暮らしというあの子の家には、メンバーは違えど毎日のように誰かが遊びに行っていた。無論、私が参加出来るのは京華ちゃんが行く時だけ。あの子は京華ちゃんが来れない日でも気を遣って誘ってくれたけど、どんなに行きたくても、京華ちゃんなしではどうしても無理だった。
あの子の家に行くと、部屋に入るなりみんなそれぞれ好きなことをしていた。お父さんの職業は知らないけど、きっと立派な人なんだろう。戸建てのお家は三人家族には大きすぎるし部屋数も多かった。家具はどれも高級そうで、あの子がそこまで興味があるわけじゃないと言っていたゲーム機器は、最新のものが揃っていた。雑誌や漫画も他の家とは比べものにならないほどの数があり、お菓子やジュースも至れり尽くせりな振る舞いだった。
毎日のようにまるでお祭り騒ぎで迷惑じゃないんだろうかと心配だったけど、あの子のお母さんは『静かな家が明るくなって嬉しいわ』と、うるさいくらいに騒がしい私たちをいつも温かく迎え入れてくれた。
やり放題の最新ゲームに夢中になる子、お菓子を食べながら恋話にふける子たち、自分の家のようにソファーに寝転んだり、ベッドに寄りかかったりして漫画を読みふける面々……たいてい京華ちゃんもその内の一人だった。
私はゲームにも漫画にもそこまで惹かれる性質ではなかった。唯一興味を持っていかれたのは、家のいたるところに飾ってあった見事な刺繍の作品だった。遊びに来させてもらったもののやることのない私は、まるで小さな美術館のようなお家の中をじっくりと時間をかけて巡った。それに気づいたあの子のお母さんは、私の隣に立ち、何も聞かずして目の前の作品の制作方法を説明し始めた。膨大な作品数と、少しの興味を持った私に対してあまりに生き生きとした話しぶりに、よほど毎日暇なんだろうなと同情した。
どちらかと言えば見る方が好きで、自分がやってみたいという気はまるでなかったけど、その日からあの子の家での時間は、あの子のお母さんによる刺繍のワークショップで過ぎていった。
やがて季節が変わり夏も真っ只中になると、グループの中ではゲームより漫画より、進学の話が一番の話題となっていた。
お昼休み、みんなで机を突き合わせてお弁当を食べていると、ふとあの子が口を開いた。
「ねぇねぇ!みんな志望校決まった?実はさ、私もう決めたんだよねー」
突然のそのセリフに、口に入れた玉子焼きを喉に詰まらせそうになった。それは、私がずっと知りたかったことだった。
「へー!どこどこ?」
京華ちゃんが前のめりになり、ストレートにいい質問をしてくれた。私は静かに玉子焼きを飲み込み、答えを待った。
「花ヶ崎!」
花ヶ崎高校は、この辺りでは平均より少し高めのレベルの高校だった。私とあの子の成績はほとんど同レベルで、そこに問題はない。問題は、花ヶ崎は共学の中でも男子の割合が特に高い学校だということだった。男子が苦手な私にはかなりハードルの高い学校で、予想には入れていたけど、出来れば一番選ばないでほしいと願っていた高校だった。
「……花ヶ崎なんだ」
思わずつい声に出てしまった。
「あれ?もしかして
グループの中の一人の子に単刀直入に聞かれた。普段から聞き手専門の私がこんなタイミングで呟いたものだから、思いのほかみんなに注目されてしまった。どうしよう……なんて言ったら……言葉が出ずに困っていたその時、
「ほんと!?実は私もなんだよね!じゃあさ、ここ三人は高校でも一緒なんだ!」
京華ちゃんのその言葉で、私はまた救われた。
「京華、気早すぎ。受かればだから!」
「京華は受かるに決まってんじゃん!てか、茉莉花も紬ちゃんも頭いいし、ほぼ確実でしょ」
私はまだ何も言っていないのに、みんなはすっかり私も花ヶ崎校志望だと思い込んだまま話を進めた。今回もまた、京華ちゃんのおかげで、あの子と同じ高校を受験する理由を用意しないで済んだ。
「じゃあさ、今度で三人で受験勉強しようよ、うちで!」
あの子が意外なことを言った。
「……でも、勉強はそれぞれでした方が効率がいいんじゃないかな?きっと、集中出来ないし……。……
私がたどたどしくそう返すと
「ご褒美って!紬、お菓子とジュース出してもらえるから茉莉花のうちご褒美だと思ってんの?!幼稚園児かよ!」
京華ちゃんが私の発言にオーバーに笑った。
「確かに、紬ちゃんの言う通り受験勉強なんてみんなでやったら全員破滅かもね。じゃあいいよ、それでも。ちゃんとそれぞれで勉強して、ある程度の成果が出たらうちでご褒美パーティーしよっか?」
あの子が私の案を採用してくれて、私はどれだけでも勉強を頑張れそうな気がした。
「なんかそこだけ楽しそうなんだけど!私も花ヶ崎行こっかな!」
「いや、美希の成績じゃさすがに無理だって」
「今からめちゃくちゃ頑張るし!」
「えー、みんな花ヶ崎なの?寂しいじゃん……なら私も受けるだけ受けてみようかなぁ……」
あの怠惰な日々が嘘だったかのように、それから私たちはそれぞれ、真面目に受験勉強と向き合う日々を過ごした。結局、グループ7人のうち4人が花ヶ崎高校を受け、春を前にして見事その全員が合格通知を手にした。そのメンバーは、京華ちゃんと美希ちゃんと私、そしてあの子……。
あの子はあの時の約束をちゃんと覚えていてくれて、卒業を前に、別の高校への進学を決めた他の3人も含めたご褒美のお祝いお泊まりパーティーを計画してくれた。ドキドキしながら京華ちゃんと一緒にあの子の家に行くと、あの子のお母さんがテーブルいっぱいに豪華なご馳走を作ってくれていて、私は受験勉強を頑張ってよかったと心から思った。もちろんすぐ隣で眠るわけじゃないのに、一つ屋根の下で同じ夜を越えていると思うだけで、胸が高鳴ってなかなか寝つけなかった。
あの子と美希ちゃんが同じクラス、そして私と京華ちゃんが同じクラスになった。予期していた通り、高校でもすぐに新しい友だちを作ったあの子は、入学から三日もしない内に私たちにその子を紹介した。
今さらだけど、もし京華ちゃんがたまたま同じ高校へ進学してくれていなかったら、私は一人きりであの子とどうするつもりだったんだろう……。
あの子に紹介された子もまた、元気のいい明るい子で、私が一年かかってわずかに縮めたあの子との距離を、たったの三日で超えてみせた。馴れ馴れしくあの子と話すその姿を見て、私は自分の対人能力の乏しさにほとほと呆れた。とにかく同じ高校へ進み、縁が切れないことだけに必死になっていたけど、それだけじゃなんにもならないんだと後になって不安に襲われた。
クラスは別々になってしまったけど、人との繋がりを大切にするあの子は、部活を始めても、アルバイトを始めても、中学からの縁をないがしろにはしなかった。そのおかげと、そしてやはり京華ちゃんのおかげで私は、細い糸のようなあの子との繋がりをギリギリのところで失わずに、その切れ端を握りしめてなんとか保っていた。
別の高校に進んだ子たちも多少頻度は少なくなったと言えど、相変わらずみんなあの子の家に集まった。そこにあの子が作った高校の友だちも数人加わりさらに大所帯になったけど、あの子のお母さんはいつも通り……いや、それ以上に賑やかな部屋にお菓子とジュースを持ってきては、やっぱり嬉しそうに笑っていた。
あの子の家でのみんなの過ごし方は、中学の時からだいぶ変わった。ゲームはほとんどしなくなり、代わりにお気に入りのコスメやバイト先にいる気になっている人の話などをとにかく延々とするようになった。
恋の話なんか出来るはずのない私は、ますます居づらくなってしまった。話を振られる前に部屋を出てリビングへ行くと、あの子のお母さんは待ってましたと言わんばかりに頼まずとも刺繍のマンツーマン教室をすぐに開いてくれた。そうやってレクチャーを受け続けた結果、全く集中していなかったのに、刺繍の腕は皮肉にも格段に上がっていった。
本当は、同じ高校に通う三年間の間に、一人でもあの子の家に遊びに行けるようなそんな仲になりたかった……。それが、同じ高校に進学しようと決意した目的だった。中学から合わせると約四年間、曲がりなりにも『友だち』の輪の中に入れてもらっていたのに、あの子との仲は出会った日からたったの数パーセントしか変わらなかった。
そして、そんな情けない自分のせいでついに、これからはもう簡単に会うことが出来なくなる。
未練たらしい私は、最後に一つ、せめて叶わなかった恋の思い出が欲しいと望んだ。あの子が東京へ行くまでの、わずかに残されたその猶予の間に、指先すら触れたことのないあの手に一度でいいから触れてみたい。見ているだけでしかなかったあの手の体温を、この手で感じてみたい。
もしもそれが叶うなら、これからいくつ本物とは言えない恋をしたとしても、それでいいと思えるような気がした。
だけど結局、小心者の私は行動には移せなかった。あの子が東京へ出発するという冬の日、みんなで駅まで送りに行った。あの子のお母さんはハンカチを片手に泣いてばかりいたけど、動き出す新幹線の窓越しにあの子は、寂しさなんて微塵もないような、あるのは希望だけのような、まさにあの子らしい笑顔でみんなに手を振り続けていた。
新幹線が線路の先で見えなくなった時、あまりにも密かに、あまりにも静かに何年も想い続けた恋は、空に舞って消えてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます