アンデッド姫は謎を喰(は)む──死に戻るたび、婚約者が増えていく【読み切り版】

見早

プロローグ:婚約式の夜/1回目

 アンデッド姫は永遠に知らない。

 幾度も繰り返される婚約式で――自分が毎夜、だれにころされているのかを。




【婚約式の夜:1回目】

 

 誕生日に黒のドレスなんて、絶対に着てやるものか――そう、固く決心していたのに。


「20歳おめでとうございます、リリン姫! またひとつ死に近づきましたねぇ」

「そのドレス! 死体をつつくからすの濡れ羽色ですわねぇ、お美しいわぁ」


 大臣夫妻の挨拶に、ただ笑顔を引きつらせることしかできなかった。

 お客様方のドレスも、玉座の間を彩る装飾も、誕生日ケーキも、ぜんぶ黒。


「……隣の国のお姫様は、瑠璃色のドレスとか着てるのに」


 冥府の境界を守るここ――ヴィリデス王国は“喪服色”で埋め尽くされている。

 私が女王に即位したらまず、「黒が崇高な正装」という法律を変えてやりたいくらいだ。


「どうだいリリン! みんながお前の成人を祝福しているよ」

 

 隣の玉座で高笑いをしている黒髭のおじさん――パパは、会場のあちこちを見回している。


「でも“もう1人の主役”がいないねぇ。彼はまだお仕事中かな?」


 偶然、私と同じ日に生まれた“彼”。

 でも今日は本来、私たちの誕生日を祝うパーティーではない。

 客たちが舞う舞踏スペースにも、カボチャのケーキを囲む甘党たちの中にも、彼の姿はなかった。


「たぶん、嫌になって逃げたのかも」

「えっ、なんだいリリン?」

「別になんでも――」


 呑気なパパから顔を背けた、その時。

 正面の巨大扉が、軋む音を立てて開いた。


「……遅れてすみません、大事な日に」


 しんと静まり返ったホールに響くのは、胸の奥を震わせるような低音。

 黒の鎧に黒髪の騎士――私の嫌いな色で埋め尽くされた彼を、人々は一斉に振り返る。


「おお……『無焔むえんの番人』がご帰還だ!」

「鎧についた、あの赤い血! なんと艶かしい」


 真っ白な頬にまで、血が跳ねている。

 怪我をしているのでは――思わず椅子から腰を浮かせると、氷柱を思わせる鋭い碧が私を捉えた。


「……ウル」


 あの瞳。

 刃のように鋭く、触れたら切られそうだ。

 それでも、せめて無事を確かめようと、首から下へ視線を向けたところ。


「……はぁ」


 あいつ――今、ため息と一緒に目を逸らした。

 あれがに対する態度だというのか。


「おかえりウル〜! 国境の魔獣退治、大変だったでしょ」

「王様、ただいま帰還いたしました」


 黒炎を帯びた大剣を背から下ろすと、彼はパパの前に膝をついた。

 幼馴染にはあの態度だというのに、他の人の前では礼儀正しいのだから腹が立つ。


「お前たちの『婚約式』っていっても堅苦しいものじゃないんだからね。『誕生日パーティー』でもあるんだし、ゆっくり休みなさいな」

「はい、王様」


 瞼を伏せた横顔が、いつもより凛々しい。

 戦いの後で、まだ緊張が解けていないのだろうか。


「姫様」


 ウルはいつの間にか顔を上げていた。

「姫様」なんて呼び方、鳥肌が立つ――とっさに顔を逸らそうとすると。


「……いや」

「え……?」


「いや」の続きを言わないまま、ウルは当たり前のように私の隣へ腰を落とした。

 この男は、いつもこうだ――先日、急に私との婚約を受けたのだって、いまだにどうしてか分からない。

 初めて出会った15年前からずっと、彼は私の後をついて回るだけ。女性として意識されているなんて、感じたこともなかった。


(本当は嫌なんだろうな……)


 澄ました横顔を眺めながら、胸の中で唱えた。「何も期待してはいけない」と。




 結局、パーティーが終わるまでに交わした言葉は「いや」、や「はい」だけ。

 自室に戻り、メイドが忌々しい色のドレスから解放してくれた後。天蓋ベッドの天井に瞬く「魔法の星空」を見上げていると――私を見るウルの、冷たい目が浮かび上がってきた。


「はぁ……『アーサー王子』に会いに行こう」


 サイドテーブルに置いた本を開けば、すぐに彼と会うことができる。完璧で優しい王子様――唯一の欠点は、彼に“触れられない”こと。


「……また本か」


 耳元で何か聞こえた気がするが、今私の心を占めているのは王子の甘い囁き。


『貴女が欲しい』


 物語の中の姫が、『恥ずかしいわ……』と逃げ腰になっている。

 そこは「私もです、アーサー」と素直になるべきでは――。


「……おい」


 どういうわけか、本が宙に浮いた。いや、誰かの手が後ろから伸びている――振り返ると。ランプの灯りを反射する瞳が、すぐそこにあった。


「なっ……!」

 

 ウルだ。

 いつの間に部屋へ入ったのだろうか。

 とにかく顔が近い――もう血は付いていないし、ほのかに石鹸の香りがする。


「やっとこっちを見たな」

「え……」

 

 さり気なく身を逸らし、本を奪い返そうとしたが。彼は真顔で、私が取れない位置に本を持ち上げた。


「ちょっと返して! 今せっかくアーサー様と結ばれるところだったのに」

「アーサー……?」


 不機嫌な低音が、鼓膜を震わせた瞬間。

 辞書ほど分厚い本が、目の前で真っ二つに引き裂かれた。


「は……」


 あまりの衝撃に声が出ない。

 いや、待て――先ほどのやり取りのどこにキレたのだろう。そして相変わらず、馬鹿力が過ぎる。


「お前は俺の婚約者だろう……誰だ、その男は」

「え……?」


 まさか、とは思うが――。


(あのウルが、嫉妬してる……?)


「アーサー様って、『本の中の住人』なんですけど」


 できるだけ刺激しないよう、そっと囁くと。

 ウルはため息とともに顔を背けた。


「すまない……浮気かと」

「本の世界でも浮気判定とか、心が狭すぎるわ!」


 いつの間にか、昔のように話せている気がする。

 彼が“番人”を継ぐ前みたいに。

 相変わらず、目は合わないが――考える間にも、冷えたグラスを差し出された。


「……本、直す。これ」


 飲んで待っていろ、と渡されたグラスを受け取ると、彼は寝室から出ていった。


「このカクテル、『永遠の口づけ』……だっけ」


 透明な液体の中に、銀の粉が舞っている――意中の相手を落とす時の必殺カクテルだ。

 こんなキザな飲み物を、あのウルがもらってくるなんて。明日の天気は『死者の灰』だろうか。


 グラスの水滴が手を伝う頃。

 戻ってきた彼が、手にしていたのは――。


澱粉のりと……当て紙?」


 読書用のランプを手繰り寄せ、ウルは本を貼り直し始めた。

 本当に直してくれるのか――。

 その真剣な横顔を眺めながら、グラスを傾けることにした。


「まだ、返事を聞いていなかったが……お前はいいのか? 俺で」


 私の気持ちはどうなのか、なんて、唐突かつ今更な問いかけだ。


「別に義務だし。本の中なら、いつでも恋の相手と出会えるから」


 できるだけ声色を変えないよう、少し早口に言うと。「……そうか」と、普段と変わらない声が返ってきた。


 私はもう、誰の温もりも知りたくない。いずれ無くなってしまうものなんて――欲しくない。


「だからウルも、結婚した後に恋人作ってもいいんだからね」

「……は?」

「私が即位したら……」


 もう、誰からも触れられることはない。


「それに、ほら。ウルは、から私を嫌っているみたいだし――」


 今まで言えなかったことを、酒の勢いで口にした瞬間。

 グラスを持つ手を、痛いほどの力で掴まれた。

 歪むグラス越しに、碧い瞳が揺れている。


「リリン。俺の目を見ろ」


 名前――何年ぶりに呼ばれただろう。


 心臓が、痛いほどに鳴っている。


「お前がどう思っていようと、俺は……もう、手を離さない」


 何があろうと――鼓膜を震わせる声に、肩が揺れる。

 ウルの吐息、声、匂い。

 それらに頭を支配される前に、ベッドから逃げようとした途端。グラスが奪われた。水のしたたる指先に、熱を帯びた太い指が絡む。


「あ……」


 何かを悔いるような、申し訳なさそうな顔――。

 でも、近づいてくる。息が、頬にかかる。

 その先を想像する間もなく、唇に冷たい温度が重なった。


 今の、まさか――。


 静かな炎を燃やす瞳が、視界の端をかすめた。

「どうして」を口にする前に、こわばった身体を、鍛えられた腕の中へ閉じ込められる。


「嫌なら、突き飛ばせ」


 嫌。そう胸の中で唱えただけで、声は出なかった。胸が膨らみそうなほどに脈打つ鼓動のせいで、思考が鈍る。

 あのウルが――私の腰を強く抱いて、離そうとしない。


「いや、っていうか……ウルの顔を、アーサー王子に変換してもよければ」


 気持ちを誤魔化すように、「それなら、この先もいいですよ」と、おどけてみせると。


「……今夜、絶対泣かす」

「えっ! ぼ、暴力反対!」


 ああ言えば、萎えると思ったのに。

 腕の力がより強くなった。


 息がかかる距離で頭を固定され、強制的に顔を見合わせるしかなくて――。


「『僕はできるだけ君に優しくしたいのに、それと同じくらい……ドロドロに溶けた君の泣き顔も見たいんだ』」

「それって……!」


 こんなに饒舌なウル、初めて見た。

 いや。それよりこの人、本の修理中に濡れ場のセリフを覚えたのか――。


 衝撃で固まる間にも、大きな手のひらが頭を優しく撫でている。


「嘘だ。俺は優しくする……お前は俺に優しくないが」


 さっきの、「アーサー王子の顔に変換」の件を言っているのだろう。

 耳元の囁きから逃げるように、身をよじらせていると。また、唇が重なった。今度は長く、深く――夜着の肩が落ちた気がしたが、それでも熱は離れない。

 頭がぼうっとする中、何度も息を繋ぎ直す。

 甘い毒が、ゆっくり全身へ回るような――くらくらする口づけ。


(ウルが私を好きだって、勘違いしそうだ……)

 

 恋も愛も、義務だと割り切っていた。

 ヴィリデス王国の姫として生まれた、自分の役割――でも。

 誰かとこうするのって、気持ち良い。


「……え?」


 今。ウルの瞳に、何かが光った気がした。


 とっさに顔を離すと――。


「ウル、泣いてるの……?」


 それでもウルは、また、息を繋ぎ直そうとする。

 彼の流した涙が、私の頬まで濡らした瞬間。


 身体に力が入らないことに気づいた。

 ウルの頭が私の胸にもたれているのに、感覚がない。


 声も出せないまま、静かに。

 視界が、真っ暗になった。




『おめでとうございます、リリン姫! 貴女様は今夜、尊い死を迎えられました』


 軽快な声に、目を開くと――そこは懺悔室だった。

 色とりどりのステンドグラスから射し込む光が、くすんだ木製の演台を虹色に照らしている。

 誰かの罪を告白するためだけに作られたような、美しくも不気味な空間だ。


「ここは……私、どうして」


 ついさっきまで、彼とふたり、薄暗い自室のベッドにいたはずなのに。


『こっちですよ、こっち』


 小部屋に響くのは、甘みを帯びた男性の声。

 扉の前に立つその人の姿は、透明な輪郭が揺らいでいるのみで、はっきりとは見えない。


『私は仮死状態のヴィリデス王家の方をご案内する、“案内人”でございます』

「案内人?」


(それに、仮死って……)


 膜の張ったような頭が、ようやくはっきりしてきた。


「まさか私、1死んだの……?」

『その通り! いやぁ、姫様が『アンデッド』体質で助かりましたねぇ』


 笑い混じりに死を告げる声に対し、静かな怒りが込み上げてくる。

 肝心な「どうして死んだか」を考えると、少しも笑えないが。


「待って……私、初めてのキスで死んだんですけど!?」


 ゾッとするような死の記憶が頭をよぎる間にも、透明な影は指をパチンと鳴らした。


『それ、本当でしょうか? ご自分でそう思い込んでいるだけでは?』

「でも、あの場には婚約者かれと私しかいなくて……」


 そういえば、ウルは泣いていた。

 あの涙は罪悪感だったのか。


 それとも――。


『記憶が曖昧ならば、もう一度たどればいいのです』


 甘みを削いだ声が響いた。


「え……?」


 二度目の指の音が響いた直後。

 現実味のない懺悔室は崩れるように消え、突然、暗闇の中へ放り出された。

 私を殺したのは、ウルなのか――その疑問だけを頭に残して。

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