第14話 血の契約、揺れる心

 初陣の勝利から数日。

 黒薔薇の軍は勢いを増し、王都の民の支持を確かなものにしていた。

 けれどその熱を断ち切るように、凶報が届いた。


「リヒト軍が――辺境の村を占拠し、人質を取ったとのことです!」


 伝令の声が震えていた。

 捕らえられたのは農民や子どもたち、数百人。盾にされれば、こちらは迂闊に攻め込めない。


     ◇


 私は戦議の席に座り、地図を睨んでいた。

 古参の兵が進言する。


「……敵の数は多くはありません。ですが人質がいる以上、強攻すれば犠牲は避けられません」


 民を救うか、それとも見捨てて進軍するか。

 復讐を急ぐ心が、「切り捨てろ」と囁いていた。


 そのとき、胸元の印が熱を帯びた。

 アルヴィンの声が落ちてくる。


『迷うな、レイナ。民はまた増える。だがリヒトを討つ機会は二度と来ない。――切り捨てろ』


 冷酷な声だった。

 だがその声が正しいと、心のどこかで理解していた。


(……本当に、それでいいの?)


 脳裏に浮かぶのは、村の子どもたちの泣き顔。

 処刑台で私を見送った人々の無力な視線。

 あのときの悔しさを、今度は私が繰り返すのか。


     ◇


 私は立ち上がった。

 短剣を握りしめ、黒薔薇の軍の兵に告げる。


「人質を救い出します。犠牲を許しては、この刃はただの復讐の道具になる。

 私は冥王の花嫁であると同時に――王国を導く旗です!」


 兵たちの瞳が光った。

 恐怖と誇りが入り混じった視線。

 その熱を感じ、私は覚悟を決めた。


     ◇


 夜。敵陣に忍び寄り、短剣に力を込める。

 鎖が地を這い、音もなく人質の鎖を切り裂く。

 混乱の中で、黒薔薇の兵が雪崩れ込み、子どもたちを抱えて駆け出した。


「姫様だ! 冥王の花嫁様が助けてくれた!」

 歓声が夜を裂き、敵の士気が崩れる。


 しかし――背後から鋭い刃が迫った。

 私は反射的に短剣を振るう。火花と共に、敵兵が倒れる。

 自らの手で血を浴びても、心は揺れなかった。


「……これが、私の選んだ道」


     ◇


 戦の後、夜風の中でひとり息を整えていると、アルヴィンが影から現れた。

 彼の瞳は冷酷さを失い、どこか柔らかい光を宿していた。


『愚かだと思った。だが――美しい。

 お前は復讐の女ではなく、生を選んだ。だからこそ私は……』


 低く、途切れるような声。

 私は彼を見つめ、待った。


『……私は冥王である前に、レイナを愛している』


 その囁きが胸を打ち抜いた。

 契約ではなく、愛。

 私は短剣を胸に抱き、震える唇で答える。


「……私も、あなたの隣に立ちたい。花嫁として。刃として。そして……ひとりの女として」


 影の腕が私を包み、夜空に黒薔薇が咲いた。


     ◇


 しかしその花は、嵐の前触れだった。

 リヒトの本軍がついに王都に迫る。

 決戦の時が、間近に迫っていた。

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