社畜ゲーマー、異世界でギルドの参謀にされて気づけば王国軍師
妙原奇天/KITEN Myohara
第1話 「社畜、倒れて、参謀になる」
終電のドアが閉まるたび、ガラスに映る自分の顔が少しずつ幽霊に近づいていく。
頬はこけ、目の下に二本線。パワポは二百枚、議事録は一万字、休日は未実装。
今日の僕のタスク名は「帰宅」。進捗は──未着手。
たぶん、これは誰のせいでもなく、僕が「はい」を押し続けた結果だ。
だけど人間、「はい」を押すだけで世界が回るなら、こんなに眠くない。
車内アナウンスがやけに遠い。次は──
視界が、線香花火の最後の火の粉みたいに、はらりと散った。
(あ、これ、倒れるやつだ)
床に落ちる感覚はなかった。
音も、匂いも、重さも、折り畳みられた紙のように消えていく。
暗転。
◇
「……お、おきました?」
柔らかな声が耳を撫でた。まぶたを開けると、木の梁。石壁。乾いた薬草の匂い。
ベッドの横には栗色の髪を三つ編みにした若い女性。袖口から白いリボンが揺れている。
「ここは……?」
「冒険者ギルド、ルナーグ支部の医務室です。倒れているところを、巡回帰りのハンスさんが見つけて」
冒険者、ギルド、ルナーグ支部。耳慣れない単語が並ぶのに、なぜか意味はわかった。
いや、正確には知っている。僕は何年も、戦略シミュレーションとファンタジーMMOで夜を切り売りしてきた。
ゲーム画面で見慣れた単語が、現実の空気を持ってそこにある。
「私は受付のノエルです。お名前、言えます?」
「……佐伯、悠真。さえき・ゆうま」
「ユーマさんですね。えっと、その……ステータス、出ます?」
「ステータス?」
「はい、手をこう、胸の前で──」
促されるまま両手を重ねる。ぬるい空気が指の間をすり抜け、視界に半透明の板が浮かんだ。
――――――――――
【佐伯悠真】
職能:参謀(サポート)
戦闘適性:C-
知略適性:S
技能:資料整理/進行管理/合意形成/可視化/退路設計
特記:「戦闘行動不可(直接攻撃を行えない)」
――――――――――
笑った。いや、笑うしかないだろう。
この理不尽な人事異動、どこの会社だよ。
「参謀……?」
ノエルが小首をかしげる。
たぶん、この世界でも珍しい。
「戦えないってことですか?」
「直接は、ね」
「うう……。ちなみに、ギルドの規定では、非戦闘職のパーティ参加は“可”。ただし“自己責任”ってはっきり書いてあるので……」
現実だ。書面はいつだって冷たい。
僕は身体を起こし、深呼吸した。筋肉は鉛みたいに重いが、頭は妙に静かだ。
「ノエルさん。仕事、あります?」
「え?」
「とりあえず、稼がないといけないので」
「……前向き! はい、あります! ただ、今日は冒険者さんが少なくて。小型の依頼はいっぱい出ていますよ、ほら」
ノエルは木製の掲示板へ僕を案内した。
羊皮紙がびっしり。ゴブリン出没。配送護衛。薬草採取。失せ物捜索。
その中に、見覚えのある型番を見つける。
──ゴブリン集落の偵察。出現パターン、活動時間、群れの規模、巣穴の方角を報告せよ。報酬:銅貨十二枚。
僕の脳内に、古いゲームの攻略チャートが開く。
ゴブリンは薄明、薄暮に活発化。偵察が先、狩りは後。風下に立ち、煙を使う。巣穴の入り口はたいてい乾いた土と骨片。
そしてもうひとつ。
僕は会社で、何百回もやってきた。「勝ち筋を、手順に落とす」という仕事を。
「これ、受けます」
「……ユーマさん、戦闘できないのに?」
「偵察は、戦わないから偵察です。戻って報告するのが仕事」
ノエルは困り顔をしながらも、依頼票を外してくれた。
受注の刻印。封蝋の赤が、胸の奥で小さく灯る。
「パーティ、どうします? 今いるのは──あ、あの人たち」
ノエルが顎で示した先、酒場の長テーブルに四人組。
大剣を担いだ男、弓の少女、短杖の魔術師、無精ひげの軽装兵。そこそこ場数を踏んでいそうだ。
「声、かけますね」
ノエルが手を振る。四人組の視線がこちらに集まり、僕のステータスを一瞥する。
大剣の男が鼻で笑った。
「参謀? 非戦闘?」
「偵察でして。情報を取ってきます。帰還してからルートを──」
「いや、いらねえ」
大剣の男は椅子を蹴って立ち上がった。
酒精の匂い。目だけが笑っていない。
「戦えねえやつに、飯は割らせねえ主義でな」
「……割らせないの、優しいですね」
「褒められた。帰っていいぞ」
刺すような視線。周囲の冒険者の何人かは、あからさまに同意して頷いた。
この世界でも、「成果物の見えない仕事」は理解されにくいらしい。
「ノエルさん、他の人は?」
「えっと……新人の三人組がいます。まだ銅級。危ない依頼は出せないけど、偵察なら」
「その三人で、行きます」
◇
新人三人組は、見た目からして新人だった。
装備はまちまち。剣の鞘は擦り切れ、弓の弦は張りすぎ、盾の革は乾いてひび割れている。
「ぼ、僕はトマス。剣士、です」
「私はピア。弓……多分、当てられます」
「レオン。祈祷士。回復はちょっと」
声が小さく、目が泳いでいる。
でも、悪くない。素直で、指示が入る目をしている。僕は笑ってうなずいた。
「じゃあ、出発前に十分钟だけ、会議をしましょう」
「か、会議?」
「はい。“やる前に決める”。十分钟で生き残る確率が上がるなら、安い投資です」
酒場の隅の空いたテーブルに、僕は羊皮紙と炭筆を広げた。
四角を描き、矢印でつなぎ、項目を短く切る。僕の指は会社の癖を覚えている。
「まず、目標は“無傷で戻って報告”。討伐はしません。次に、役割分担」
僕は三人の顔を順に見る。
「トマスは“先頭だが、敵を見たら止まる人”。斬らない。止める」
「……止まる?」
「うん。偵察で一番強いのは“止まる勇気”。ピアは“風を見る人”。風下に立つこと。レオンは“退路の神”。一本道を嫌って、常に二手、覚える」
ピアが窓の外に目をやる。旗が南へ流れていた。
彼女の喉が小さく鳴る。理解の音がした。
「想定リスクは三つ。ひとつ、伏兵。ふたつ、罠。みっつ、戻れない迷い。対策は──」
僕は手短にポイントを書き込んだ。
“風下固定”“足跡の交差”“目印を二種類(刃で樹皮、石積み)”“踏み跡の浅い道は罠”“巣穴の入り口は乾いた土”“戻る合図は二回の笛”。
彼らの表情が、言葉と矢印の形に沿って少しずつ落ち着いていく。
「最後に、僕のスキルを使います」
僕は掌に意識を集中させた。半透明の板が再び現れ、指先が自然に項目を選ぶ。
――――――――――
《会議進行》:小隊の“目的・役割・手順”を揃える。短時間、動揺耐性と連携が上がる。
《可視化》:重要情報を図式化。理解速度と記憶定着が上がる。
《退路設計》:事前に撤退ルートを二本以上確保。退却時のパニック低減。
――――――――――
ゲームのバフみたいだけど、これは僕の“仕事”だ。
会社で、何度も、人の目の焦点を揃えてきた。
「……ユーマさん」
レオンが口を開いた。
「戦えないって聞いて、正直、不安でした。でも、今ちょっとだけ──行ける気がします」
「行けます。行けるだけにします」
僕は羊皮紙を丸め、腰に差した。
ノエルが出口で手を振る。
「気をつけて! 日が傾く前に戻ってね!」
◇
森は、会社より静かだった。
いや、会社の会議室も十分に静かだが、あれは沈黙の種類が違う。森の静けさは、意味を含まない。
足裏が苔を踏むたび、その意味のない静けさに、こちらの動きだけが浮かぶ。
「風下、維持」
ピアが手の甲で合図を送る。旗印は見えないが、彼女の髪が常に同じ向きに揺れている。
トマスは歩幅を一定に、レオンは左側の獣道をチラ見しながら右の木に小さな二本線を刻む。
目印は二種類。ひとつは削り痕。もうひとつは腰ほどの石を二つ積む。ひとつだけだと見落とす。二つなら、気づく。
やがて、土の匂いが乾く。湿った草の香りが薄れ、鼻に、古い骨の粉のような灰の気配がかすかに引っかかった。
「止まって」
トマスの踵が土を押さえる。僕らは膝を落とし、茂みの影に身を沈めた。
前方に、土が盛り上がっている場所。枯れ枝が不自然に重なり、足跡が渦を巻いて、消えている。
「巣穴……」
ピアが唇をかすかに震わせる。
僕は頷き、指を三本立て、折る。三十、二十、十──呼吸を合わせるための意味のない数。
心拍は書類の角みたいに手の内で揃っていく。
「煙玉、あります?」
「こんなんで足りるか、わかんないけど」
レオンが腰袋から小さな土製の玉を出した。
僕は受け取り、風の流れを見て、巣穴の右斜め前、低い地面にそっと置く。
「ピア、火花。弱く」
鋼と鋼が小さく噛み、ぱちりと火花。白い煙が、風に押されて巣穴の縁をなめた。
しばらくして──土が、こつん、と内側から突かれる音がした。
枯れ枝が揺れ、黄色い目が二つ、三つ、四つ。煙に顔をしかめて、ゴブリンが這い出してくる。
鼻を鳴らし、煙を避けるように、風上側──僕らから見て左へ流れる。
「今は数えるだけ。六、七、八……九。武装、短槍中心。弓、一」
ピアが弦に指をかける。僕は小さく首を振る。彼女の指が緩む。
ゴブリンたちが散って、視界から消えた。巣穴の奥には、まだ気配がある。幼体か、雌。
「戻る?」
トマスの囁き。
僕は首を横に振る。
「もうひと呼吸。入り口の位置、規模、周辺の見張り位置を確定させる」
僕は石を拾い、手の中で重さを測った。
会議室でペン回しをする指だ。無駄な力を抜き、放物線を描く。
石は巣穴のさらに右、枯れ葉の山に落ち、乾いた音を立てた。
反射的に、巣穴から一匹のゴブリンが飛び出し、音のほうを見る。
その動きで、見張りの位置がずれる。
斜めに薄い影──伏兵の定位置。巣穴から五歩。木の根元。視界の死角。
「把握完了」
僕は二度、短く口笛を鳴らした。撤退の合図。
トマスが先頭で下がり、僕が最後尾。ピアが途中でわざと枝を折り、レオンが石印を増やす。
来た道を、来る前提で戻る。
呼吸は早くならない。足音を重ねる。足跡を増やさない。
森の密度が、呼吸の数字に合わせて薄くなったところで、僕はホッと息を吐いた。
「よし、帰ろう」
「え、討伐しないの?」
「しない。偵察は生きて帰るのが仕事」
トマスが唇を噛んだ。彼の剣はまだ抜かれていない。
僕は微笑んだ。
「次に勝つための、今日の勝ちです」
◇
ギルドへ戻ると、酒場の空気が昼の匂いから夕方の匂いに変わっていた。
鉄の匂いは薄く、パンとスープの匂いが増える時間帯。人の声が少しだけ丸くなる。
「おかえり! 怪我、なし!」
ノエルがカウンター越しに身を乗り出した。
僕は依頼票に報告を書き込む。図と矢印。周辺の見張り位置と活動時間。巣穴の規模推定。
ノエルの目が、文字の上を滑っていくたびに丸くなる。
「こ、これは……軍の報告書?」
「会社の議事メモです。軍とは縁がないです」
「すごい……。この密度なら、討伐隊が動けます。えっと、依頼主に確認しなきゃ……でも、報酬は、はい、全額」
彼女が銅貨の袋を置く。その音は、会議室で「承認」が下りるときの音に似ていた。
「ねえ」
背中から声。昼に僕を笑った大剣の男だ。
彼は袋を見下ろし、僕と報告書を順に見た。
「お前、戦わねえのに、稼げるのか」
「仕事なので」
「運がよかっただけだ。偵察で死ぬやつは、星の数ほど見た」
「わかってます。だから“運の影響を減らす”ために、手順を作ります」
男は鼻で笑い、それ以上は何も言わずに去った。
勝ち負けではない。僕は、僕のやり方で、生きる確率を上げたいだけだ。
「ユーマさん」
ノエルが小声で呼ぶ。封筒をそっと滑らせてくる。
封蝋は赤ではなく、夜の色。黒に近い深い青。紋章は盾と麦束、斜めに走る一本の矢。
「さっき、変わったお客様が来て……ユーマさん宛だって」
僕は封を切った。
紙の手触りは良い。匂いは薄いインクと、雨の気配。
参謀殿
貴殿の“報告”を見た者がいる。
明朝、城下の北門にて会いたい。
我が領、辺境防衛に知恵を借りたい。
──灰麦の弓、グレイス
“灰麦の弓”。
確か、戦略ゲームで人気のある小領主キャラの称号に、似た名前があった。堅実で守りが硬い。
偶然か、世界の写しなのか。
「どうする?」
トマスが目を輝かせ、ピアが不安そうに袖を握り、レオンが祈るように手を組む。
僕は返事の代わりに、羊皮紙を広げた。今日の図に、明日の矢印を足す。
「まず今夜は休む。寝る。寝ないと人は判断を間違う。これは絶対」
三人が揃って頷く。
僕はノエルに視線を向けた。
「ギルド会議室、借りられます?」
「え、今から?」
「十五分だけ。明朝の“面談の議題”を決めておきたい。要件整理、成果物の定義、リスク、見積もり。持ち帰りなしで決める」
ノエルは目をぱちぱちさせて、それから笑った。
「うちの会議室、こんなに“会議室”っぽい使われ方、初めてです。どうぞ!」
◇
会議室は狭く、壁に古い地図が貼られていた。
僕は炭筆で四つの枠を描く。
“相手の目的”“こちらの提案”“想定質問と回答”“合意のゴール”。
「相手は辺境防衛の知恵を求めている。こちらは“参謀という役割”の価値を提案する。ただの相談役ではなく、仕組みを残す人材だって」
トマスが「仕組み……?」と首を傾げる。
僕は笑って、地図の端を軽く叩いた。
「今日の偵察みたいに、人が変わっても回る手順。退路が二本あるように、選択肢を常に二つ以上用意する体制。それを“仕組み”って呼びます」
ピアが口元を引き結ぶ。レオンが頷く。
「対価は?」
「お金以外に、“権限”も欲しい。決めるための権限がなければ、責任だけ増える。それ、社畜の地獄」
三人は意味がわかったような、わからないような顔をしたけど、それでいい。
わかっているのは、僕だ。今はそれで十分だ。
最後に、僕は自分のステータス板を開いた。
新しい行が、薄く光っている。
――――――――――
《指揮:退路確保Lv1》:作戦開始時に撤退ルートを自動検出。退却時の混乱を軽減。
《段取り魔》:準備フェーズの時間効率が上がる。会議の“迷子”を減らす。
――――――――――
会社でも、ゲームでも、僕はずっとこれを上げてきた。
それが今、世界の“スキル”になっている。ただ、それだけなのに──胸が、すごく軽かった。
「ユーマさん」
ノエルが扉から顔を出した。手に、小さな包み。
「差し入れ。焼きたてのパン。明日、北門は朝早いから」
「ありがとう」
「ううん。ユーマさんみたいな人、うちに必要だって思ったから」
その言葉は、報酬袋より重かった。
◇
夜が深くなる。ギルドの喧噪は遠のき、蝋燭の炎が細くなる。
僕は借りた寝台に身体を沈め、天井の木目を眺める。
目を閉じる前に、短く祈った。宗教はない。でも、儀式はある。
明日、失敗したら、きっと笑われる。
でも、手順を作れば、失敗は“原因”になる。原因は、次の改善の材料だ。
社畜ゲーマーの取り柄は、派手な剣じゃない。
土台を敷く、見えない手だ。
眠りに落ちる瞬間、遠くで笛の音がした。
それが本物か、夢の余韻かはわからない。
とにかく、明日の議題は決まっている。
“参謀とは何をする人か”。
“どうやって、領を守るか”。
“誰が、決めるか”。
僕は眠りながら、図の中の矢印を少しだけ太くした。
◇
夜明け前。空は薄い羊皮紙みたいに白く、息は少しだけ白かった。
北門前には馬車が一台。灰色のマントの騎士たちが列を作り、その前に一人、矢羽根のブローチをつけた女性が立っていた。
栗色の髪は短く、目は麦畑の色。背筋がまっすぐだ。
僕を見ると、彼女はわずかに目を細め、口角を上げた。
「参謀殿だな。灰麦のグレイスだ」
硬い握手。掌は温かい。
彼女の背後、荷台に立てかけられた地図板が風に鳴る。
「聞いている。ギルドに、珍しい“報告”を残す男がいると」
「仕事ですので」
「よろしい。では、仕事を頼む。道中で話そう。辺境は、もうすぐ“狩り”の季節だ」
彼女の「狩り」という言い方に、会社の「決算」と同じ匂いを感じた。
周期、追い込み、仕留める。準備が結果の八割を決める世界の言葉だ。
馬車が軋む。朝の光が地図の上を滑り、未記入の領域を白く照らす。
僕はその白に、矢印の始点を置く。
「参謀、仕事を受諾」
小声で、誰にともなく宣言する。
ノエルが背後で小さく手を振り、トマスたち三人が緊張で固まった笑顔を浮かべる。
社畜ゲーマーの朝は早い。
でも、今日は眠くない。
(次回へつづく)
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