第2話 スラムの少年と禁忌の力
廃工場の扉を押し開けると、夜風が油と血の匂いをさらっていった。
リクはフラフラと歩きながら、全身から装甲が剥がれ落ちる感覚に身を任せる。
黒い鎧が分解され、パーツが蒸気と共に霧散した。気づけば、いつもの油まみれの整備服だけが残っていた。
「……はぁ、はぁ……何が……起きたんだ……」
膝が笑っている。
今しがた自分がやったことが信じられない。
巨大な蒸気狼を、たった一撃で倒した――それが自分だなんて。
足を引きずりながら、彼はスラム街の奥へ戻った。
明かりの少ない裏路地の中、唯一まだ人の気配がある修理工房にたどり着く。
「リクか? 顔が真っ青だぞ!」
扉を開けると、初老の整備士ガロが驚きの声を上げた。
彼はスラムでリクに工具の使い方を教え、父親代わりとなってくれた人物だ。
「ガロ……俺、変なものを……見つけたんだ。バイクのはずだったのに、いきなり――」
「まさか……動いたのか?」
「動いたどころじゃない! 俺の身体に……くっついて……」
リクが震える声で語ると、ガロは顔をしかめ、作業台の奥から古びた本を取り出した。
油と煤で汚れたその本には、複雑な魔術回路と歯車の図が描かれている。
「リク、それはたぶん《ライドシステム》だ。」
「……ライド?」
「古代の戦闘機構だよ。エンジンと魂を同調させ、戦士を超える力を与える禁忌の技術だ。
だが今は王国も騎士団も、その使用を厳しく禁じている。見つかれば……」
ガロは一瞬言葉を濁し、低く続けた。
「……処刑だ。」
「は……?」
頭が真っ白になった。
あのバイクを見つけた瞬間から、運命が勝手に狂い始めている。
「だから言ったろ、スクラップ漁りはほどほどにしろって……!
特に古代遺産は手を出すなって。お前、どんな危険を招いたか分かってるのか!」
「でも……俺、あれがなかったら死んでた! スチームウルフに……!」
「スチームウルフだと……?」
ガロの表情が固まった。
スラムに魔王軍の兵器が現れるなど、通常あり得ないことだ。
「……どうやら、ただの不運じゃなさそうだな」
ガロは窓の外を見やった。夜空には都市を監視する巨大な飛行船の影が見える。
「リク、いいか。もし誰かに見つかる前に、そのバイクを捨てろ。封じて、誰にも話すな。
あれを持っていれば、王国の騎士団に目を付けられる」
リクは黙って聞いていた。
だが胸の奥では、別の感情が沸き上がっていた。
――あの瞬間、確かに自分は“生きている”と感じた。
整備士として、ただ錆びた機械を直すだけの日々。
逃げ場のないスラムで、未来なんて想像できなかった。
でもあのバイクは、自分に走る道を与えた。
「……無理だ」
リクは小さく呟いた。
「は?」
「俺、あれを手放せない。あんな力、初めてだったんだ。
死にかけて、でも生きてるって感じられたんだ……!」
ガロは深いため息をつき、額を押さえた。
「お前……。そういうところ、昔の“英雄病”に似てるぞ」
「英雄病?」
「勇者を信じすぎて、真似をしたがる愚か者のことさ。
百年前の敗北を忘れられない奴らが何人も同じように死んでいった」
リクは返せなかった。
だが、その時――
ゴウン……ゴウン……。
遠くから、鈍い金属音が近づいてくる。
窓の外を覗いたガロの顔が、一瞬で蒼白になった。
「まずい……来やがった」
夜のスラムに、甲冑の足音と蒸気の唸りが響く。
黒いマントを纏った数人の影が現れ、青白いランプを掲げながら周囲を調べ始めた。
「……騎士団だ」
ガロの声が震える。
リクは息を呑んだ。
蒸気鎧に身を包んだ兵士たちが路地を封鎖していく。
中央には、銀の装甲をまとった若い女騎士が立っていた。
艶やかな金髪をポニーテールにまとめ、凛とした瞳を夜に光らせている。
その姿を見た瞬間、リクは息をのんだ。
「……勇者騎士団……」
スラムの子供たちでさえ名前を知る存在。
勇者を支えた王国の末裔たちが作った、神話の残党とも呼ばれる精鋭部隊だ。
その先頭に立つ女騎士が、低く命じた。
「魔王軍の痕跡を追え。……それと、禁忌の機巧反応を確認した。
適合者がいる。必ず捕らえろ」
声の主は――セリナ・ブレイヴ。
まだ若いが、勇者信仰を胸に抱く正義感の塊だと噂される女騎士だ。
その視線はまっすぐで、揺るぎなくリクの潜む路地を射抜いた。
「……見つかった、のか?」
リクは思わずガロを見る。
老人は顔を歪め、工具を握りしめた。
「リク、逃げろ。あいつらに捕まったら終わりだ。
禁忌の適合者なんざ、即刻処刑だ……!」
ガロの叫びを背に、リクは窓から外を覗く。
セリナが率いる騎士たちが、ゆっくりとこちらに迫ってくるのが見えた。
彼女の鎧は夜でも光を反射し、かつての勇者を思わせる荘厳さを放っていた。
しかしその美しさの奥には、迷いを知らぬ冷たい決意があった。
リクの胸に、再びあのエンジンの鼓動が響く。
――逃げろ、と頭が告げている。
だが心の奥底では、別の声が囁いていた。
この力を……試してみろ。
リクは無意識に、ジャケットの中へ手を伸ばす。
そこには黒い金属製のキーのようなもの――バイクから分離した起動装置があった。
彼がそれを握りしめた瞬間、窓の外でセリナの視線がぴたりと合った。
「……見つけた。」
冷たい声が夜を切り裂いた。
次の瞬間、スラムの路地が騎士団の蒸気銃の光に包まれる。
リクは迷う暇もなく、再びエンジンを呼び覚ますしかなかった。
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