夏の日の花火
桜井真彩
第1話
ずっと忘れられなかった。
彼に誰よりも大事な彼女がいること、ずっと知ってた。
だけど…。
ずっと、ずっと好きだった。
高校を卒業して今年で3年になるけど…。
今でもまだ、彼のことを好きでいる。
初めて彼に会ったのは、高校1年の時。
クラス会議でだった。
彼が少しだけ遅刻してきて、慌ててたらしく筆入れを忘れたらしく。
「ごめん、会議終わるまでシャーペン貸してくれる?」
小さな声で言う。
あたしは黙って自分のペンケースからシャーペンを1本取り出して手渡す。
消しゴムも必要かな?と思って予備の消しゴムも一緒に差し出す。
「サンキュ。助かる」
あたしはただ小さくうなずくのが精一杯だった。
会議が終わってから彼が
「シャーペンのお礼にジュースでも奢るから学食に行こう」
そう言ってあたしの手を引っ張って学食に連れて行かれた。
お礼なんていらないって言ったのに、どうしてもって言って…。
そのとき握られた腕が、何故だかとても熱をもった。
彼から返してもらったシャーペンも消しゴムも、あの日からあたしの宝物になった。
入学当初からすごく人気者で、彼にあこがれてる女の子は多かったから、あたしも彼の顔ぐらいは知っていた。
隣のクラスだったのは知らなかったけど。
それから廊下ですれ違ったりすると、挨拶ぐらいはする仲になった。
短い挨拶、それだけでも嬉しかった。
クラス委員に選ばれて憂鬱だと思っていたけど、彼に会えると思うと楽しみになった。
自分でも気がつかないうちに、恋は始まっていた。
たぶんきっかけは、たった一本のシャープペンシル。
そして2年になり同じクラスになった。
男女問わず彼は人気があった。
明るくて、ちょっとお茶目で、実は意外とスポーツが得意で、成績はよくも悪くもなく。
彼はいつでもクラスの中心で、あたしはそれを遠くから眩しく眺めているだけだった。
3年になってもまた彼とは同じクラスで。
「なんか俺たち、縁があるみたいだな。今年で高校生活最後だけど、1年よろしく!」
「う、うん。こ…今年も1年よろしくね」
どもりながらなんとか返事をした。
地味で目立たないあたしにも彼は普通に接してくれた。
ただそれが嬉しくて、それだけでいいと思っていた。
でも、ダメ元でバレンタインにチョコを用意したりしたけど、結局渡せなくて帰り道の公園で一人泣きながらチョコを食べたのも今ではいい思い出になっている。
彼には3年になってからつきあい始めた彼女が居た。
別の学校の女の子だけど、同じ年だって噂で聞いた。
その話を聞いたときは、悔しくて、悲しくて一晩中泣いた。
振られてもいいから告白すればよかったって、ずっと後悔してた。
彼から離れたらきっと忘れられると思っていた。
だから少しでも彼と離れるために、遠くの短大に進学した。
新しい友達もできて毎日が楽しかったけど、だけど彼を忘れることができなくて。
今でもまだ、あたしは彼を好きでいる。
あれからもう3年が経つのに、あたしの時間はいまだに止まったまま。
彼のことをあきらめようとして、3年ぶりにこの町に帰ってきた。
どんなに両親が望んでも、お盆もお正月も帰ってこなかった。
たくさんの思い出が詰まったこの町に…。
中学の同窓会をきっかけに、あたしはこの町に帰ってきた。
久しぶりにあった両親は、3年前より少しだけ白髪としわが増えていた。
あたしが帰ってきたことに大喜びして、その日の晩は親戚も呼んでちょっとした宴会のようになってしまった。
中学の同窓会も楽しかった。
みんなすっかり大人になっていて、早い子はもう結婚して子供もいるという。
今日、この町の神社で夏祭りがある。
夏祭りの終わりにちょっとした花火大会がある。
あたしの帰省を知った友達が友達が一緒に行こうって誘ってくれたけど、断って一人で行くことにした。
神社は駅の裏側の商店街を通り抜けたところにある。
あたしの家は駅前の住宅地にある。
「行ってきます」
あたしは時間に余裕をもって家を出てゆっくりと駅へと向かう道を歩く。
3年前とあまり変わらない町並みを見ながらゆっくり歩く。
「この道も久しぶりだなぁ…」
あたしは小さくつぶやく。
ヒグラシがうるさいぐらい鳴いている夕暮れ。
少しだけ湿気を含んだ風が通りすぎていく。
空を見上げると、どんよりと重い雲が広がっている。
もしかしたら通り雨ぐらい降るかもしれない。
通り雨ぐらいなら、きっと花火大会は中止にならないよね?
彼のことをあきらめようと決めたあたしに、訪れた一瞬の幸せ。
あたしの少し前にあるコンビニから彼が出てきた。
遠目からだってわかる。
だってずっとずっと見つめ続けてきたんだもの。
あきらめようと決めたのに、彼の姿を見たら胸の鼓動が少し高鳴る。
3年ぶりに見る彼は大人っぽくなって、ますます素敵になっていた。
ふわふわの猫みたいな髪の毛も。
きれいな横顔もあの頃と変わってない。
少し早足で彼に近づこうとしたら、彼がポケットから携帯を取りだして、誰かと話し始めた。
きっと彼女かな?
今日は確か花火大会だったはずだから、これから二人で見に行くのかな?
胸がズキンと痛んだ。
わかってる…。
いい加減、あきらめなきゃって思っていたけど。
あきらめることができなかった。
彼の幸せを願いながら、でも彼女と別れるといいなってちょっぴり思いながら彼を見つめていた。
学校帰り、手を繋いで歩いている二人の姿を偶然見かけた。
隣の彼女はたぶん気付いてないけど、彼がさりげなく車道側を歩いていた。
転びそうになるたびにそっと支えていた。
ふわっと笑う彼の笑顔に胸をときめかせながら、二人の姿を目で追っていた。
辛くなるだけだってわかっているのに。
時折じゃれ合いながら、楽しそうにあたしの目の前を通り過ぎていった。
彼の視線は常に彼女の方を向いていたから、あたしの存在には気づかなかったんだろう。
その後ろ姿をただ呆然と見送って、あたしはその場にしゃがみ込んで声を殺して泣いていた。
やっぱり帰ろうかなって思ってきびすを返そうとしたとき、何か買い忘れたのか彼がこちらに向かって歩いてきた。
あたしがきびすを返すより早くあたしの姿を見つけた彼は、あのときより少し大人びた笑顔で片手をあげて呼び止める。
「すごい偶然。久しぶりだね。元気してた?」
あたしはうつむいたまま小さく頷くのが精一杯だった。
「なんだかずいぶんきれいになったね。一瞬、誰だかわからなかったよ」
そう言って笑う彼の横顔は、あの頃よりずっと大人びていたけどやっぱりきれいだった。
覚えていてくれたことがすごく嬉しくて。
一瞬、期待したくなった自分がいて、そんなこと無いって言おうとしたそのとき。
ふと目に入った彼の左手には指輪。
きっと、彼女とおそろいなんだろうなぁ。
ちくりと胸が痛んだ。
「実はさ、彼女と花火を見に行く約束してたんだけど、急にだめになっちゃったんだ」
「そ…そうなんだ。あ、あたしもね、花火を見に来たの」
「相手が俺でよかったら一緒に行かない?花火大会」
「あたしは別にかまわないけど。一緒に歩いてるのを誰かに見られたら誤解されるんじゃないの?」
冗談っぽく言って笑ってみせる。
「あはははは。それは本望だね。それより、お前はいいのか?その…」
あたしは小さく笑って首を振る。
「あたしは付き合ってる人とかいないから」
小さな声で答える。
「そっか、なら問題なしだ。お前の彼氏が突然出てきて、俺の女になにしてる!とか言われたらおっかないもんなぁ」
そう言って笑う。
「あたしだってヤダよ。あとで彼女に私の彼氏をとらないでーなんて言われるの」
あたしは精一杯の笑顔で答える。
「あいつはそんなことを言う奴じゃないしさ。それに、さ。来年結婚するんだ」
「そ…そうなんだ。おめでとう」
「ありがとう。なんだか照れるね」
そう言って彼は頬を少し赤くして照れくさそうに笑って、頭をかく。
二人並んで歩く神社までの道のり。
ずっとずーっと、この道が続けばいいと願った。
叶わない恋だって知っていた。
もうすぐこの恋は一生叶わないものになる。
望みのない想い。
わかっているのに、どうして彼を好きなんだろう。
こうして一緒に歩いているだけで、心臓がドキドキいってうるさい。
嬉しくて、苦しくて泣きそうになる。
でも彼に気づかれないように精一杯笑う。
二人の間に流れる沈黙。
ときどき盗み見る彼の横顔は、やっぱりあの頃より少し大人びていた。
だけどとてもきれいで。
あきらめなきゃって思っているのに、彼の隣にいられることを喜んでいる自分がいる。
あきらめるためにこの町に帰ってきたのに。
このままじゃますます忘れられなくなってしまいそうだよ?
おもいきって気持ちを告げて振られる勇気もないまま、あたしは黙って彼の隣を歩く。
「そのビニール袋の中、花火?」
沈黙を破ったのはあたしだった。
この心臓の高鳴りが彼に聞こえてしまいそうで、怖かった。
「うん。花火大会が終わったら彼女と一緒にやろうと思って買ったんだけど、彼女急用が入っちゃったみたいでさ」
かさかさっと、コンビニの袋を持ち上げて見せて、彼は少し寂しそうな顔で笑う。
きっと彼女を喜ばせるために用意していたんだろうな。
そのとき、突然雨が降ってきた。
「あ、雨降ってきたよ。濡れちゃうよ?あ、ここからちょっと奥に行くと小学校の体育館裏にでるんだ。雨宿りできるから行こう」
そう言って、彼はあたしの手首を掴む。
「あ、うん」
そう言ってあたしは彼と一緒に走り出した。
このまま…どこまでもどこまでも行けたらいいのに。
「結構濡れちゃったね。大丈夫?」
あたしは小さく頷く。
バックからハンカチを出して濡れた服を拭く。
見上げた空は雲間から光が差していたから、ただの通り雨だろう。
雨が地面に染みて夏の香りがした。
「大丈夫だよ。これは通り雨だから」
そう言って彼は笑う。
あたしの顔が不安げに見えたのかな?
あたしはそれに答えるように、少し笑って頷く。
二人で落ちてくる雨を黙って見つめていた。
気がついたらあたりは薄暗くなっていた。
雨もすっかり止んで、空には星が瞬き出す。
「もうすぐ、夏も終わるね」
彼がぽつりとつぶやく。
あたしは小さく頷く。
遠くの方で打ち上げ花火が上がる音がする。
「始まっちゃったね」
あたし言葉なく、ただ小さく頷く。
「今から行ってもきっと間に合わないね」
こくんと頷く。
「打ち上げ花火は見れないけどさ、せっかくだからこの花火やろうか」
そう言って花火の入ってるビニール袋を持ち上げる。
「え・・・。だって彼女とやるために買ったんでしょう?」
「また買えばいいだけだから。それに今年できなくても彼女とは今年だけじゃないから」
そう言って彼はふわりと笑って、花火をビニール袋から取り出す。
「ライターもぬかりなく買ってあるんだ」
そう言って満面の笑みで袋から100円ライターを出す。
一本花火を出して、それにライターで火をつける。
「はい、好きなの取って」
そう言って袋を破いて花火を取り出す。
あたしは黙って目についた花火を持ち上げげて、彼の花火から火をわけてもらう。
「きれいだな」
あたしはこくんと頷く。
「昔さ、毎年夏になるとみんなで集まって花火をしたんだよね。ロケット花火とか爆竹とか。楽しかったな」
そう言って昔を懐かしむように、目を細めて笑う。
そんな彼があたしはやっぱり大好きで。
この想いをあきらめなきゃいけないってわかっていても、あきらめきる自信なんてなくて。
じんわりと涙がにじんでくる。
彼に気付かれないように、そっと目元を指でぬぐう。
気づかれても花火の煙のせいにしてしまえばいい。
終わった花火を地面に置いて、新しい花火を手にして、彼の花火から火をわけてもらって燃え尽きるのを黙って眺めている。
なんてことのない、ごく普通の手持ち花火。
この時間が永遠に続けばいいって願った。
「あのね、あたし…」
最後の一本が消える前に、せめてこの想いだけでも伝えたくて。
「ん?なに」
「ずっと…あなたが…」
言いかけたところで、彼の携帯が鳴る。
「あ、ちょっとごめん。もしもし?ああ、やっと用事終わったんだ。お疲れ様。ん?花火大会?ああ…それがさ、にわか雨にやられて今、ちょっと雨宿り中」
彼女からの電話みたい。
「うん、大丈夫。はいはい、わかりました」
楽しそうになにやら話しているけど、あたしの上を笑い声が素通りしていく。
しばらくして電話が終わったのか彼がこちらに向き直る。
「で、さっき言いかけたことってなんだったの?」
「あ、うんん。なんでもないの」
そう言ってあたしは精一杯の笑顔を作る。
「なんか思い詰めたような顔をしていたからさ。俺でよかったら相談にのるよ?」
「うんん。平気。大丈夫だから」
あたしはそう言ってにっこり笑ってみせる。
「それより、彼女が待ってるんじゃない?早く帰らなきゃ!!」
「ああ…うん、そうだね」
なんだか少しだけ歯切れの悪い彼。
ちょっと気になったけど、きっとあたしのことを気遣ってくれてるんだと思う。
彼は…昔からそう言う人だったから。
「あー。花火の後かたづけならあたしがしていくから先に帰っていいよ」
「いや、後かたづけ手伝うよ。俺が誘ったんだし」
「彼女、待ってるんじゃない?」
「う、うん。まあ、そうなんだけどさ、一人でやらせるのは悪いし」
「うんん、大丈夫。待たせるとかわいそうだよ?まだ少し行けば人通りもあるからあたし一人で大丈夫」
そう言って明るく笑ってみせる。
「ほら、二人でやった方が早いだろ…それに…」
何か彼が言いたそうにしている。
「やだよぅ、遠慮なんかしちゃ。あたしと君の仲じゃないか、いまさらだよ、い・ま・さ・ら」
そう言ってあたしは笑った。
「わかった。じゃあ後はまかせた。それじゃ、次はクラス会で会おうな」
そう言って彼は昔と変わらない、大好きだった笑顔で笑う。
「うん。じゃあまたね」
そう言ってあたしもぎこちない笑みを浮かべる。
少し薄暗いからきっと気付かないはず。
「じゃあ、またな」
そう言って彼は少しだけ名残惜しそうに振り返って、立ち去った。
一人になったあたしは花火の残骸を拾い集めながら、静かに泣いた。
今さら彼から何を言われたって手遅れなんだ。
今さら何を言っても、もうこの恋は報われることはないんだ…。
神様は意地悪だ。
恋を忘れようとしているあたしと彼を引き合わせるなんて。
泣きながら神様を少しだけ恨んだ。
そして。
彼が幸せであるように願った。
夏の日の花火 桜井真彩 @minimaa
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