富士川の水に乗って

増田朋美

富士川の水に乗って

その日、富士川の河川敷を訪れた杉ちゃんと蘭は、富士川橋の下で人垣ができているのを見かけた。

「あれれ、なにかあったのかな?」

と蘭が言うと、

「行ってみようぜ!」

と杉ちゃんがいうので、二人は、車椅子を動かして、人垣の中へ行った。

「どうしたんですか?こんな賑やかに?」

蘭が隣を通りかかった人に聞くと、

「はい。ちょうど、富士川でワイルドウォーターカヌー大会が行われておりまして、もうすぐ、先頭選手がゴールするんです!」

と、隣の人は答えた。

「ワイルドウォーター?」

蘭が聞き返すと、

「あの急流を、カヌーで一気に下って、マラソンする競技だよ!」

と、杉ちゃんが言った。

「こんなところでカヌーですか、もっと穏やかな川でやるべきではないんですか?藤川は、日本でも有数の暴れ川で、急な割に短いことで有名なんですよ。」

蘭は思わずそういったのであるが、

「いやいや、ワイルドウォーターという競技は、名前の通り、急流をカヌーで下る競技です。激しい流れであればこそ、大会にぴったりなのです!」

別の人がそういった。

「まもなく先頭選手がゴールします。皆さん、拍手で迎えてあげてください!」

不意に、アナウンスが流れたので、杉ちゃんたちは、すぐに、川の方を見た。すると、小さな船を、耳かき帽を変形させたようなオールで漕いでいるのが見えた。なんだか、昔の手漕ぎの遣唐使船と似たような感じだった。

「あんなふうに、激しい流れを、手漕ぎで行くなんて、無茶じゃありませんか?」

蘭はそう言うが、

「はい。そのスリルが面白いと、選手は言ってますよ。」

と、隣の人がまた言った。

「お!来たぞ来たぞ!わあ、先頭は、どんなやつだろう!」

杉ちゃんが、先頭選手に手を振るが、それに答える余裕はないほど、選手は、オールを持って、船を漕いでいた。富士川橋の下に、白いテープを持って、待機している人がいて、先頭選手は、それを、船と一緒に切った。

「優勝は、土谷瑞稀さんです、おめでとうございます!」

アナウンサーの声が、でかい声で響き渡った。

「ん?土谷瑞稀?あれれ、どこかで聞いたような名前、、、?」

蘭が、そう考え込んでいる間に、先頭選手は、周りのひとに手伝ってもらいながら、用意された車椅子に乗った。確かに、車椅子でカヌーをするひとは、珍しいことではない。最近ではオリンピックに出たひともいる。その後、二位、三位の人が次々にゴールしていくが、土谷瑞稀がゴールして、二位の人がゴールするまで、2分くらい間があった。

「へえ、優勝者は車椅子か。それは良い時代になったものだ。そしてそれを、おめでとうと言ってやれるみんなも素敵だよ!」

杉ちゃんがそう言うと、すぐに表彰式が始まった。土谷瑞稀は自ら車椅子を漕いで大会主宰者から、一位の表彰状と、トロフィーを受け取った。その手首に、鯉の入れ墨が見えたので、

「やっぱりそうだ!土谷くん!優勝おめでとう!」

と、蘭は、思わすそう言ってしまった。土谷瑞稀さんも蘭の顔を初めてみて、

「先生!レースを見てくれたんですか。ありがとうございます!」

と嬉しそうに言った。

「あれ、蘭の客だったのかい?」

杉ちゃんが聞くと、

「うん。去年の夏にやってきて、何でも、強くなって、リストカットのあとを消したいと言ってきたので、そういうことならと思ったんだ。」

蘭は、すぐに答えた。

「そういうことだったのか。それで今年は、ワイルドウォーターレースで優勝。」

杉ちゃんがすぐ言う。

「ええ。できることなら、好きだったカヌーをもう一度やりたかったし、歩けなくなっても、しっかりやりたいと思いまして。初めは、スプリントとか、単純なレースに出ていたんですけどね。どうせなら、スリルがいっぱいあって、本当に自分で船を漕いでいるという気持ちになる、ワイルドウォーターをやってみたいと思うようになりまして。」

土谷瑞稀さんは、そうカヌーを始めた経緯を言った。

「そうなんですね。本当にやりたいことをやれるって、本当に幸せなことですよ。それでは、周りの人たちや、うんでくれたご両親などに感謝してください。」

「ありがとうございます。先生。本当に、家族や周りの人には、感謝しかありません。まさか、優勝するとは思っていなかったんで。」

蘭がそう言うと、土谷瑞稀さんは、ハイと頭を下げた。

「やい!土谷瑞稀!」

不意に、二位の選手が杉ちゃんたちの方へやってくる。

「車椅子のくせに優勝するなんて生意気だぜ!」

「生意気とか、そういう問題じゃないよ。どんなやつでも船を漕いで優勝できたんだから!」

と、杉ちゃんが言うと、

「ご、ごめんなさい。」

瑞稀さんは言った。

「謝んなくたっていいの。だって優勝したのはお前さんの実力だし、お前さんが優勝できたのも、運が良かったんだから。それは、みんなに感謝して、これからも頑張ればいいさ。」

杉ちゃんに言われて、彼は、

「本当にすみません。」

とだけ言った。だけど、彼の言う通り、生意気だと言われてしまうのが、当たり前なのである。

「じゃあ、どこかでお茶でもして、行きますか?そういうことなら、良いところ紹介しますよ。車椅子でも入れそうなところ。」

蘭がそう土谷瑞稀さんに言うと、

「ああ先生。今日は、ちょっと用事がありましてですね。すぐに帰らなければならないんですよ。」

と、彼は答えた。

「へえ、奥さんにトロフィー見せて、二人で盛り上がろう!か?」

杉ちゃんが言うと、

「いえ、そんなことしてくれる奥さんいませんから。」

瑞稀さんは答えた。

「そうか。男が一人は、いつまでも寂しいぞ。誰か良い女性を探してだな、ちゃんと世帯を持って生活しろ。カヌー大会で優勝するんだったら、それに惚れてくれる女性はいるんじゃないの?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「あの、すみません。」

不意に、メモ用紙と、ボールペンを持った女性がやってきた。

「私、岳南朝日新聞の永山と申します。永山麻里。今日、優勝できて良かったんですね。優勝の気持ちをお話していただけませんか?」

「いや、そんな新聞記者さんに話をするほどではございませんよ。」

と、瑞稀さんは言うのであるが、

「いいえ、車いすの方がカヌー大会で優勝したなんて、前代未聞です。よかったら、カヌーを始めたきっかけや、カヌーをしていて嬉しかったことを聞かせてくださいな。」

永山麻里さんはそういうのであった。

「だけど、新聞になるようなことは、僕は何も持っていないのです。調べるなら他の人を調べてください。」

土谷瑞稀さんはそういった。

「他の人をって、優勝したのは、あなたじゃありませんか。」

永山麻里さんはちょっと、変な顔をしていった。

「でも、本当に僕はちょっと。」

と、彼は言った。

「まあ、良いんじゃないの?他に、落ち込んでいるやつの勇気づけになるかもしれないよ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「じゃあ私のインタビューに答えてくれますか?このレースで優勝したの、記事にしたいんです。ぜひ、ご協力してください。よろしくお願いします。」

永山さんは、すぐにメモ帳を構えた。

「それでは、まず第一の質問ですが、カヌーを始めたきっかけはなんですか?」

「えーと、歩けなくても、船を漕いで、移動できるというのが、すごい嬉しかったからです。」

土谷瑞稀さんは答える。

「足が悪くなったきっかけはなんですか?」

「ええと、学生の時、自転車で事故にあいましてね。それで歩けなくなってしまったんです。しばらく自暴自棄になっていたときもあったんですが、それでは行けないと思い、カヌーを始めました。」

麻里さんは、メモ用紙に、その事を書いた。

「じゃあ、カヌー大会で優勝して、他の足の悪い皆さんに、伝えてあげたいことはありますか?」

「ええ、ええ、ええとそうですね。メッセージというものはありませんが、偶然をチャンスに変える生き方が好きです。それが、一番大事だと思います。」

土谷瑞稀さんは正直に答えた。

「もう良いですか?本当にこのあと用事がありますので、早く帰らないと行けないんですよ。」

「ああ、ごめんなさい。また記事を書くことになったら、何度かインタビューさせていただきますね。これ、私の電話番号です。」

そう言って、永山さんは名刺を彼に渡した。

「そうですか。ありがとうございます。すごく嬉しいです。ただ、あんまり派手な記事にするのはやめてくださいね。僕は、それを望んでいる人間ではないので。」

土谷瑞稀さんは、申し訳なさそうに言った。

「まあ良かったな。今日は、カヌーレースで一番になり、可愛い記者さんに、インタビューしてもらい。」

杉ちゃんがカラカラ笑ってそう言うと、

「ええそうですね。」

と、蘭も、そういったのであった。3人は、ありがとうございますと言い合って、杉ちゃんたちと、土谷瑞稀さんは、その場で別れた。

カヌー大会の行われた次の日。

アリスは出かけていたので、蘭が一人で昼ご飯を食べていると、またインターフォンが鳴った。

「おーい、蘭。風呂かしてくれ風呂。もうずっと入ってなくて困るだよ。」

そう言いながら華岡がやってきた。

「何だよ華岡。またなにか事件があったのかい?」

と蘭が言うと、華岡が、どんどん蘭の部屋に入ってきて、風呂を貸してくれと言って、どんどん風呂に入ってしまった。その間に蘭は、すぐに杉ちゃんに来てもらって、華岡に食べさせるカレーを作ってもらった。

「ああいい湯だったねえ。こうやって、風呂に入らせてもらうというのも俺は、幸せだなあ。」

と、華岡が風呂から出てきたときは、40分以上経っていて、もうカレーは出来上がっていた。

「いただきまあす。ああ、杉ちゃんのカレーはうまいなあ。」

華岡は、そう言って、カレーをかぶりついた。

「もうさ、署にいると、カレーどころか、カップラーメンばっかりだもんね。ここでカレーを食べられるとは。本当に美味しいよなあ。」

「で、華岡。なにかあったのか?」

蘭がでかい声でそう言うと、

「俺が来たからには、殺人事件の捜査に決まってるだろ?この間、バラ公園の入口で、男性の死体が見つかった事件を知ってるよな?被害者の名前は、角田義男で、死因は、後頭部を殴られたことによるものだとわかっているのであるが。」

と、華岡は事件を説明した。蘭の家にはテレビがないので、そんな事件があったことを、知らなかった。

「そうなんだ。また犯人探しに行き詰まって、ここへ来たのかい?」

と、蘭が言うと、

「いや、それが、角田義男の遺体の近くにおいてあった石から、女性の指紋を取れたので、解析してみたところ、それである女性が浮上した。名前は、加藤こずえ。彼女に話を聞いているのであるが、彼女は何も話さなくて。」

「やれやれ、華岡さん。いつものパターンか。本当に、取調官としては下手くそなんだね。」

杉ちゃんは呆れた顔で言った。

「その加藤というひとは、どんな人物なのか聞かせてよ。」

「すまんすまん。角田義男は、何でも、福祉事務所を経営している人物だ。加藤こずえというひとは、その利用者の母親なんだよ。」

華岡は、カレーを食べながら言った。

「福祉事務所?」

蘭が聞くと、

「はい。そうなんです。角田が行っている事業は、重度の障害のあるひとに、ティッシュ作りや、紙皿などを作らせて、販売している企業なのであるが、何でも、利用者に対して、かなり冷たくあしらっていたようなところがあるらしい。俺達も、表向きでは、前向きな企業だと思っていたので、まさかそんなことが行われていたというのは、知らなかったんだけどね。」

と、華岡は言った。

「まあ確かに、ああいう施設は閉鎖的になりやすいっていいますよね。そういう中で、お前を愛しているのは俺だけだと言う感じになってしまう。」

蘭が言った。

「そうなんだよ。角田義男も、表向きでは、すごく親切で優しい男のようにおもわれているが、利用者の間では、平気で悪口を言うなど、不評だったらしいから。それで、利用者の中では、鬱になって、やめてしまったものもいるらしい。」

と、華岡は言った。

「はあ、そうなんだねえ。働くところがないって本当に辛いなあ。確かに特別支援学校を出たあとは、どこにも行くところがないっていうやつは多いからなあ。それに劣等感を持ってしまうやつもいるだろう。そういうやつには、自信を取り戻してもらわないと。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「そう何だよなあ。角田の施設で働いていたものは、みんな、自分に自信がなくなって、家族のすすめでヒプノセラピーみたいなものを受けているひともいるって言ってたぞ。」

と、華岡が言った。

「それで、その加藤こずえというひとは、利用者の母親だと言ったけど、その中に、加藤という利用者がいたのか?」

蘭は、そう華岡に言った。

「いや、それがな!」

華岡は、これが味噌だと言う感じの顔をしていった。

「それが、いないんだよ。いくら調べても加藤という利用者が出てこないのだ。一体どうしてなのかな?考えてもわからない。」

「はあ、華岡さんは、そういうひとが出てこないので困ってるんか。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうなんだよ!いくら過去の利用者名簿を調べても、加藤という名前の利用者がいた記録がない。でも、加藤こずえは、利用していた人物の母親だと言ってる。これはどういうことなのかな?彼女が嘘をついているとは思えないし、なんか妄想のような事を言ってるのだろうか?」

と、華岡は杉ちゃんに言った。

「いや、嘘をつくということができないから、そうやって、違うことを言って、自分を無理やり納得させているんだ。僕のお客さんにもいたよ。そうしなければ生きていけないと言う人。だから、そういうひとは、心に何処かの拠り所を、持っていないとだめなので、それで刺青をさせてくれと頼んでくるんだ。」

華岡の話に蘭がそう言った。

「そういうひとは、事実を、受け入れたくても受け入れることができない。それを受け入れるのにはもしかしたら誰かの手助けが必要かもしれない。だけど、そういうひとがいないから、仕方なく、正反対の事を言って、自分を納得させるしか方法がないんだろうね。」

「なるほどねえ。そうなると、加藤こずえさんの経歴をもう少し調べてみる必要があるな。」

と、華岡は、またカレーを食べながら言った。それと同時に、また華岡のスマートフォンがなる。多分部下の刑事が、また捜査会議が始まると言って、電話をよこしてきたんだろう。華岡は、二言三言交わして、すぐ電話を切り、

「ありがとう。捜査会議が始まるから、すぐ出るわ。」

と言って、急いでカレーを食べて、蘭の家を出ていった。杉ちゃんと蘭は全くこういうひとはという態度でそれを見送った。

数日が経って、蘭と杉ちゃんがショッピングモールのに買い物に行ったところ、一人の車椅子の男性が、バス乗り場で待っていた。

「あれ、バスは、50分くらい時間があるけど。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ああ、タクシーでも良いんですが、お金がかかりすぎるかなと思いまして。」

と、その男性は言った。よく見てみると、土谷瑞稀さんだった。

「そうかな?お金は確かにかかるけどさ。でも、いろんなところへいかせてもらえるんだもん、ケチ臭いこと言わないの。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「ええ。でも、ちょっとこれから注意して生活しないといけないかなって。僕の行ってる施設も、潰れてしまいそうですし。」

と、土谷瑞稀さんは言った。

「施設って、どっかの企業とか、実業団とかにいるんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、

「いいえ、僕は、ご覧の通り歩けないので、そういうところには入れなかったんですよ。コーチもなければ、一人で、カヌーの練習していたんです。」

瑞稀さんはそういうのであった。

「だから、優勝できたのは、本当に、偶然の偶然だったんだと思っています。」

「でもあなたは、偶然をチャンスに変える生き方が好きだと言ってましたよね。それは、本当の気持ちではないのですか?」

蘭は、そう彼に聞いた。

「いえ、でも、日常生活を送っていくうえでは、いろんなひとの介助がないとできないので。僕のこと、一番見てくれるはずだった母が、施設の責任者と口論担ってしまって。」

「お母様が?」

瑞稀さんはそう答えたので蘭はすぐに聞いた。

「ええ。母です。母は、僕が特別支援学校の後頭部にいた時に家を出ていって、それ以来あっていません。父は、あの女にあわせるのであれば、二度と許さないって言ってますから、それも認めてくれないでしょうね。」

「そのお母さんっていうのはもしかして、」

と、杉ちゃんはすぐに言った。

「加藤こずえか?」

「ええ。一緒に暮らしていたときは、土谷こずえでした。ですが、僕が障害があっても、何もしなかったという理由で、父は相当母に恨みを持っていたみたいで。それで、母に考えることは俺がするとかいつも言ってて。それで、母は結局、出ていってしまったんですけど。」

「なるほどねえ。予感は当たったよ。」

杉ちゃんは、土谷瑞稀さんの答えに納得した。

「多分、僕が、角田義男さんの施設に入っていたとき、手先が不器用なことで職員から嫌な事言われていたのが、母は我慢できなかったんだと思います。それで、角田さんと口論になったんじゃないですかね。」

「そうか。お前さんのお母さんは、お前さんへの思いが強すぎたんだね。それで、そういう行動に出てしまったんだろう。」

土谷瑞稀さんがそう言うと、杉ちゃんはすぐ言った。

「土谷さん。今から警察署に行ってもらえませんか?僕の友達の警視から聞きました。お母さんが、事件の容疑者として取り調べをされているそうです。ですが、お母さんは、肝心な事件の事を全く話さないと。そうするためには、最愛の息子さんであるあなたの説得がないとだめだと思うんですね。」

不意に蘭が、そう瑞稀さんにいう。

「そうですか。でも、僕みたいな人間に何ができますかね。説得なんてできるのかな。」

「いや、大丈夫だ。お前さんは、なんて言っても、ワイルドウォーターカヌーで、優勝できるほどの腕前なんだからな。それは、僕が保証する。それくらい精神力のある男だ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

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富士川の水に乗って 増田朋美 @masubuchi4996

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