その4 早苗は真相を知り、神様は煎餅を齧る
電車の窓ガラスが一斉に外へ向けて砕け散った。悲鳴が響き、電車は緊急停止をする。
「早穂!」
--早穂が感情を爆発させたからだ
咄嗟に私は早穂を抱きしめ、落ち着かせようとした。
だけど同時にふっと、早穂の体から力が抜けたのを感じた。
恐る恐る「女」の方へ振り返ってみる。
……既に彼女は消えていた。
足が震えた。
結局、電車は運行を取りやめ次の駅で全員が下ろされた。他の乗客には申し訳なかったが、心の内で謝りながら、私は早穂を連れて、その駅から歩いて帰ることを選んだ。
私の手を握りしめながら歩く早穂は、確かに怯えてはいたが、それでも力強さは感じられた。去年、呪いの指輪騒動の時には逃げて近寄ることもできなかったことを思えば、「相良京子」そのものに直面しながらも、なお力強さを見せる早穂は、確かに強くなっている。
--ふたりなら大丈夫
私は自分に言い聞かせるように強く思った。
家に帰り着くなり、早穂はパソコンの前に座り込み、何かを調べ始めた。キーボードをたたく音とマウスをクリックする音だけが響いた。
私は凛子さんへ電話を掛けた。すぐには繋がらなかったが、折り返し凛子さんから掛けて来てくれた。
「どうしたの?」
なにかあったのか、凛子さんの声が固く感じられた。
--あっちにも出たのか?
そう思った私だったが、思い切って伝えてみた。
「相良京子が出た」
と一言だけ。
電話の向こうで絶句している凛子さんの姿がありありと浮かんだ。
「絶対に早まらないで。すぐにこっちへ来て」
凛子さんはそう言った。そして「伝えたいことがある」とも。
私は急ぎ、旅支度を始めた。
そんな私の手を掴み、早穂が指さすパソコンの画面には、あの村があった場所の地図が表示されていた。
私は首を振った。
「まだ、今は行かないわ」
そう言うと、早穂の頭を撫でながら頑張って笑ってみた。
そんな私の顔を見ながら、早穂は珍しくあっさりと頷いた。
新幹線を降りると、そこには達也くんと凛子さんが居た。わざわざ京都駅まで迎えに来てくれたらしい。二人の姿を見ると、私は緊張感が解け、座り込みそうになってしまった。そしてそんな私を小さな早穂が支えてくれて、凛子さんも手を差し伸べてくれた。
「ごめんなさい」
泣き笑いの顔になって、私は早穂と凛子さんを見た。
「しっかりしないといけないのに……」
早穂になのか、凛子さんになのか、私は呟いた。いや、自分自身にかもしれない。
大変なことが起こりそうな予感がしていた。
そんな私を凛子さんは優しい目で見つめてくれていた。
自動車専用道に入ってトンネルをいくつか抜けた頃、達也くんは話し始めた。
「
と。
本来、ヒルマモチは「昼間持ち」であり、田植えの時期に昼食を用意する女たちを示していたが、それは田の神に仕える巫女でもあった。
それが時に生贄として神に捧げようとする村落が現れはじめ、その多くはあたりまえだが為政者たちにより弾圧された。
ヒルマモチは概念としてそれらの地の人々に残り、それが贄とされた人の怨念、あるいは無念と混ざり合って、その土地のヒルマモチになっていった、という。
達也くんと凛子さんの話はそのように始まった。
ところが、平安後期の頃、各地で頻発する不作により、京の都へ年貢が届きにくくなることが頻回に起こったらしい。
関連して民の食糧事情も、厳しいものとなる年が増えたそうだ。
実際、平安末期には「養和の飢饉」というものが記録されており、京都だけでも4万人が餓死したと考えられている。一説には鎌倉幕府誕生の遠因ともなったとか。
そのような食糧事情のなかで、とんでもないことを考える男が現れた。陰陽師とは違う系統の呪術師である男は「
「えこくどう……?」
私は聞き返した。神を造り出すって、それって……
「おそらく私たちが知っている、ヒルマモチね」
凛子さんがぽつりと言った。早穂は黙って窓の外を見ている。そして達也くんが続ける。
「細かいことは流石にわからなかったけれど、ほら、うち、三橋も鎌倉時代からだから、古文書を漁っても伝聞ばかりでね」
--おっと、さらりと旧家自慢ですか達也くん
そう思ったが、早苗は口には出さなかった。実際、それどころではない。
「京都を追い出された『相良斎』は各地を転々として、あの東北の寒村にたどり着いたと思われるんだ」
そう思うのは早穂に「重なって」早穂の過去を直接感じた、凛子さんと達也くんの実感なんだろう。事実、二人は相良京子の父親である
ここで、私は迷っていたひとことをついに言った。実は早穂以上に怯えている私が、あえて気づかないふりをしていて、それでも無視してはいけない事柄を。
「電車の中に居た『相良京子』は…… ヒルマモチだと思う……」
達也くんと凛子さんは沈黙した。
それは、おそらく二人がたどり着いていただろう推測を裏付けるものとなる一言だったようだ。
「相良 ……か」
そう、私は呟いた。
凛子さんは前を向いたまま、それに応えるように言う。
「こじつけかもしれないけれど『さ』は『境界』や『狭間』を表すわ。つまり現世と幽世(かくりよ)の境よ」
「そして『がら』は『殻』や『器』、つまり『霊を宿す器』だわ」
--そうか、相良京子はヒルマモチになるのに最適な『器』だったのね
私は目を瞑った。
--本当にしつこいなあ。いい加減諦めればよいのに……
心底、そう思っていた。
三橋家に着き、車を降りた私と早穂は、門をくぐることを一瞬だが躊躇った。
いつの時代のご先祖様によるものなのか、この家には強力な浄化の結界が施されている。早穂が弾き飛ばされたら大変だ。
事実、私がヒルマモチの呪いに襲われていた時、この家へ避難することで、一時的にも浄化され呪いから解放されたのだ。当然、早穂もそのことを覚えているだろう。
そんな私たちの戸惑いを凛子は笑った。そして早穂を見つめて言った。
「自信がないの、早穂?」
と。
早穂は少しムッとしたように一歩を踏み出した。
三橋家は早穂を拒まなかった。
屋敷の広間に通された私と早穂を、相好を崩した老人が迎えてくれた。三橋家前当主、三橋益次郎翁であった。
私にとってはずいぶんと久しぶりの再会であった。
「その節は大変お世話になりました」
私は両手をついた。それを見てなぜか早穂も両手をついた。益次郎翁は大笑いをした。
「神様に手をつかせるとは、わしも罰当たりじゃなあ、また寿命が延びたかもしれんわ」
--えっ、見えるの?
いや、この家の住人なら見えても不思議はないのか、など目まぐるしく考えながら、私はさらに思った。
--良いの早穂? 神様が手をついたら、お祖父さんどうなっちゃうの?
笑う益次郎と、顔をあげてニコニコしている早穂を見ながら、この状況が私の頭の中では整理できないのであった。
あてがわれた部屋で私は荷を解いた。まるで高級旅館の一室のような部屋だ。しかしここは、かつて私がしばらく寝泊まりした部屋でもある。なんとなく懐かしかった。
早穂はテーブルに置かれた煎餅をさっそく齧り始めている。
不思議なことに、齧った煎餅のかすは畳に落ちない。
--いつ見ても不思議だけど、流石は神様、お供え物は無駄にしないのね
私はしばし、自分たちが置かれている状況を忘れることができた。
達也くんたちに呼ばれ別の座敷に通された時、私はそこに意外な人物を見た。
警察の偉い人、屋敷さんであった。
どうして彼がここに居るのか、本当にもう目が回りそうだった。
しかし、そこは私、すぐに屋敷さんにも両手をついて礼を言った。「呪いの指輪」騒動では本当に助けてもらったのだ。あれがなければどうなっていたことやら。そう思えばいくら感謝してもしきれない。
気が付くと早穂もまた両手をついている。
--早穂、神様がそんなに手をついてちゃ駄目じゃない? 気持ちはわかるけど
滅相もないと笑いながら屋敷さんは私に手を振った。どうやら早穂のことは見えないらしい。良かった、これが普通なんだ、と変なところで安心した。
遅れて凛子さんが入って来た。私は目を奪われた。
--凛子さん凄い、ちゃんと旧家の奥様やってる……
そして流石に声は出さないが、心の内で呟き始めた。
--着物!黒地に控えめな地紋が入ってて、これがまた絶妙に“品”を出してるわ。重くなりがちな黒なのに、逆に“凛とした静けさ”を纏ってる。流石は凛子さん
--そして帯!見てちょうだい、赤と金の花柄がパッと咲いてるわ。これがなかったら地味になっちゃうところを、帯で華やかさを差し込んでるのよ。しかも柄がうるさくない。客を迎える“もてなしの心”が、帯に出てるわ
早穂で身についてしまった「特技」は、ついつい無意識に出てしまう。知らないうちに早穂も凛子さんをじっと見ていた。
--あ、これは帰ったら真似しそう
私は和服の写真雑誌も買わなくては、と思ったのだけれど、
--でもあんた、振袖は着たことあったよね
とも考える。まあ、あれとこれとはまた別物なんだろう、そう思うとやっぱり雑誌買わなくちゃ、と考えは落ち着いた。
凛子さんはお盆に乗せた湯呑をテーブルの上に静かに置きながら。菓子皿をひとつは屋敷さんの前に、そしてもう一つは早穂の前に置いた。みると煎餅がてんこ盛りに積まれている。早穂の目が輝いていた。
ところが屋敷さんは、その凛子さんの不可思議な行動に目をぱちくりとしている。誰も居ない場所へ山盛りの煎餅を置く意図がわからないというように。
「ちょっとしたお供え物なんです」
凛子さんはそう言って静かに微笑んだ。そう、口を開かずに笑っている。
--完璧な旧家の奥様だ…… どうしたら数年でここまで化けられるの?
私は驚愕していた。
さて、屋敷さんがこの場に居る意味はすぐにわかった。
あくまでも内密ですが、と前置きし他言無用を念押しした屋敷さんは語り出した。
「あの廃村でのバラバラ死体ですが…… 今のところ15体発見されています」
私は手にした湯呑を落としそうになった。落ちなかったのは早穂がこっそり支えてくれたからだろう。空気を読む神様だ。
達也くんと凛子さんはあらかじめ聞いていたのだろう、青ざめてはいるが動じていない。
「身元は一名を除いて不明です。その一名は最初の被害者で登山客でした。一応、熊に襲われたことになっています。そしてその他の被害者は、どうやら…… 各地から集められた家出人ではないかと推測しています」
私は理解が付いて行かなかった。熊に襲われた「ことになっている」? 家出人ではないかと「推測しています」?
ある程度、絞られているなら身元は分かりそうなものなのに、ましてや熊に襲われたことになっているって、情報操作ではないか、警察が?
そんな私の表情から屋敷さんも察したようで、言った。
「遺体の状況があまりにもひどく、最初の被害者の遺族がそれを見るなりそう言いだしたんです。それ以外にないと。それゆえ表向きはそうなっています」
聞きたいことはあったが、私は次の言葉を待った。
「家出人だと推測できるというのは…… 所持品が全くないことと、誰一人捜索願に該当する人物がいないことが原因にあげられます」
屋敷さんがそう言った後でも、私はくいさがった。
「それでも指紋や血液鑑定や、いろいろやれば、どこかで一人くらいは……」
屋敷さんが困ったように達也くんを見る。達也くんも凛子さんも黙って頷いた。
「『見て』もらった方が良いかな。本当は見ない方が良いのだけれど……」
達也くんは屋敷さんになにかを促した。諦めたように屋敷さんが大きな封筒を鞄から取り出した。
「後悔しないでください」
そう言いながら、封筒の中から写真を取り出しテーブルへ広げた。
私は見たことを後悔した。
その隣で、煎餅をくわえながら、早穂の眼が静かに光っていた。
屋敷さんが帰ってからしばらく私は横になっていた。あまりにも悲惨な被害者の姿が目に焼き付いている。
あれでは、熊に襲われた、熊に食べられたと思った方が遥かにマシだろう。
そして屋敷さんが最後に伝えたのは、司法解剖の結果、遺体のすべての部分に生活反応があった、という事であった。
彼らは「生きたまま」解体されたのだ。
私の隣では煎餅を齧る音が続いていた。屋敷さんには聞こえなかったであろうが、その音はずっと続いていて途切れることがなかった。今も、三橋家のお手伝いさんが入れ替わり立ち替わりで、山盛りの煎餅を菓子皿に積んで持ってきてくれている。
煎餅を齧る音は、いつまでも止まなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます